ブイネット教育相談事務所


2005-02-21

_ いやはや困った「問題」だ。中山新文科相は「脱ゆとり」を巡って次々に発言している。ここで問題点を整理したい。 中山氏は、発言開始の当初からOECD(経済協力開発機構)の学習到達度調査(PISA)の結果を元に、日本の学力低下の元はゆとり教育や総合学習の時間にあると指弾して、「全国統一学力試験の導入によって教育現場に競争原理を再現する。」と発言している。 文科省主導の中教審の答申により、我国はゆとり教育や総合学習の時間の導入を行った。何故そういった決断をする事態になったか。覚えている方も少ないのかも知れないが、そもそもそれは「いじめ」と「キレ」への対処のためであった。いじめは減った。しかし、キレは減らなかった。そして、学力低下が起った。この学力低下がゆとり教育によるものだとして、中山氏を初めとする自民党文教族が活動を活発にしているのである。 教育とは、中山氏も認識する通り、未来の社会をイメージして行うものであるはずである。「経済」じゃああるまいし、教育の未来展望がたかだか4年以内であるとは到底了解できない相談である。少なくとも10年以上のスパンで見なければ結果を知ることはできまい。教育とは、そのように遥か先を見据えて行うもので、その場対処的ではなく行うものであるはずである。したがって、このことを否定したかのような行動はいささか浅薄な印象を禁じ得ない。 学力低下が起った原因は複数ある。まず国際テストが知識主体のものから、思考力を伴うものを問うものにより推移しつつあること。また、いっこうに改善されない教育現場の現状に倦んだ日本の生徒の活力が失せていて、成績に関係ないテストを真面目に受けないこと。日本の「下層」域にある子供達の救済が不充分であること等が上げられよう。 以上を生み出している悪因は主として5つある。まず第一は、これは新聞などが書くことを避ける事柄ではあるが、我国の公教育の教員の質が著しく劣ることが上げられよう。これは現場で子どもの意見を拾ってみれば明白なことで早急に解決に着手するべき問題である。その2は、指導要領などに見られる文科省政策の圧力による現場の無気力化である。この点については、現場の教員に同情の余地が多々ある。その3は、観点のない教育によって良いテキストが輩出しない点である。これも文科省官僚が天下り先として教科書会社を選んでいることに間違いなく関係がある。そしてその4は、それこそ新聞が書かないことであるが、テレビの害である。私は、テレビを作っている人も、それをのべつまく無しに見ている人も「発狂」していると思う。そのわざとらしさは、それに耐えられるものと耐えられぬものをすでに二極化している。長時間テレビやゲームに向かい合うことは分別のない子どもにとって害以外の何ものでもない。長時間テレビを見る子どもが勉強出来ないのは、それによって勉強時間が短くなるからではなく、テレビを見ることの疲れからボーッとしているからである。キレの原因もここら当たりの可能性が強いと思う。これをはっきり親たちに告げることがメディアの仕事の一つだと思うが、政治経済の中心であるテレビを客観化する中立的なメディアは今のところないようだ。さらにその5は、子供達が課されているテストのあり方である。○×の時代は過ぎ、アイウエオ選択肢、さらには、小論文の機械採点と来る。大人になるまで10年以上もの間子どもがこれに耐えられると思うのは考え違いも甚だしい。平気な者は、大切な子供達を「家畜」のように見なすのである。 文科省もメディアも教育のことが良く分っていない。全世界共通の富国願望民族主義は、地球環境的に限界であることは目に見えている。教育とは10年20年50年100年先を見据えて行うものである。そしてそのためには自らの意見の根拠となる未来ヴィジョンの表明と価値観の提示がなければ話が始まらないのは明らかである。これらのことを語らずして教育のことを口にする者はきっと何らかの下心のあるものたちであると警戒した方が無難ではないのか。子どもの教育が良くないこととは、それを行う大人が無自覚であることに他ならないないと私は思う。子どものテストを強化するより、為政者や指導者のテストを強化するべきである。もちろんマークシートではなく小論文の自動採点で。