2009-10-18 V-net職員会議
_ V-net職員会議
オバマ受賞についての多種コメントの中で、イランのモッタキ外相の「時期尚早だ」という意見は筆者以上に筆者が言いたい見解であった。私は、イラン人は嫌いではないがあまりにムスリム思想利用し過ぎのイラン政府は好きになれないので、不思議な気持ちを禁じ得ない。このことを、「現象学的『冗談』」で思惟すると、「イランもパレスチナもイスラエルもアフガンもアメリカも中国もソ連も、もっと人が死ななくても良い政策をとるようにすることが賢明でないか」という考えにすぐ行き着いてしまう。
今日、18日現在、日本のメディアではほとんど報じられないが、ノルウェーのノーベル平和賞委員会会長が、他ならぬノルウェー議会から、「反対意見が多数あったのに、恣意的にオバマ氏授賞を決定した」と、辞任を求められているようだ。そして、その中心的な理由は「時期尚早」である。
政治的な「無意味」で多くの人が死ぬことを容認するのであれば、それを知る我々が「主体的」に生きていることの意味はなくなってしまう。アフガンで死ぬ米兵の多くは、国際政治になんて全く関係のない運の悪い貧しき人たちであろう。彼らは何の「理念」もなく命を奪われる。だからこそ逆に、この「矛盾点」に、同じく殺害対象であるムスリムの「テロ」攻撃が起こるのだ。
実は筆者も「参加」しているが、「現行資本主義社会」は、貧富差拡大と環境問題で早晩行き詰まるだろう。自己の存在価値を、他者の利益によって逆照射する時、不必要な消費と下等労働を前提とする活動は確実にそれを狭める。だから、これからの「富者」は、これまでとは意味が違う世の中になったのである。
てなことを考えていると、V-net国語科の未田先生の提案で、ほとんど初めてだとは思うが、突如土曜夜、「V-net職員会議」が開かれた。各先生から、教育の現状の認識に基づいた見解と具体的新提案が次々に提起された。それは、ここに「抽象化」すると、「ナマの生徒たちの問題解決に向けて、考えうるかぎり新しく有効なメッセージを他に先駆けて提案して行こう」と言う、現実的かつ極めて前向きな提案へと至り、結果的に、よりリベラルアーツ的に強い人材、AOや面接で強い人材になりうる基礎教育の推進、実践を目指す中で、前方に現れる「これは!」というものを確実に見逃さずにとらえようとするという方向性が確認された。合わせて、最新受験に関する指導技術の錬磨も積極的に継続することも確認された。また、小生ブログの「職員会議中」への移行参加も承認された。
日頃書きあぐんでいる私からすると、この会は、大きなエネルギーを与えてくれる結果となった。それは「創造性」の確認と言っても良かった。おそらく、これほど「提案」が出まくる教育現場は他にないことだろう。新提案については、普通「沈黙」するのが教育現場の実態であろう。
2011年度入試は、入試史上の大きな転回点を迎えることになろう。中高一貫公立に圧される私立中高も、まともなところは「勝負」に出るであろう。それを読んでの「対処」が我々の仕事である。