2006-12-18 義務教育廃止運動
_ 義務教育廃止運動
賢い小学生たちは冴える。
小6男子曰く、
「これからは義務教育廃止運動が必要だと思います。」
「えっ、どうして?」
「ハイ、それは無駄なことに税金を使うのは国家的戦略に反するからです〜う!」
この生徒は2週間に一度会う生徒である。向こうが勝手に自己報告しているのであり、読者ご想像の通り、私の「誘導」は一切ない。
小学生たちは超面白い。
「日本能無し研究会」とか、「お通夜大塚」とか、「サギックス」がもう流行遅れのスピードである。「分別」が不充分なだけ、判断は直裁。テレビの「思想教育」を免れる子どもたちは、まことにタチが悪い。
義務教育を「凌駕」してしまった子どもたち。これは恐ろしい現実である。彼らには客観的に「おバカ」なことが行われていることが分るのである。
逆に、これを「ヤバい!」と捉えられない大人は超ヤバい。
彼らは塾をも客観化する。
「授業意味なし、愉しくもない。塾の先生も半分以上は馬鹿です。」
「えっ、じゃあ僕は?」
「先生は、『別枠』です。先生は、『マジメ』でも『ふざけている』のでもありません。先生は、全然別のことを主張しているような存在です。」
この生徒は麻布志望である。今年はなぜか、麻布志望が多い。
今年教えた生徒たちは、週1回の指導で、約3ヶ月で急速に国語力が伸び、塾でほめられまくりというケースが多い。私はこれを、「世のリテラシーの驚くべき低下」と捉えている。たとえ「冴えて」なくても、「上等」というのであるから、営業上まことに「美味しい」。
生徒たちの中には驚くべき能力を発揮するものが複数いる。
愚直な抽象構成による、オモロくはないが減点できない答案を連発する秀才君。あっと驚く満点か、急に崩れて60点の天才少女。設問を読んだ瞬間に、抽象構成もせずに一気書きで正解の天才君。この生徒は、デカルト、韓非子、キケロー、ソクラテスを読み下す、元「問題児」の弁護士志望の小6君である。作文勝手に書きまくりの小3生。ダイアローグの達人。彼らを、「タケノコ軍団」と捉えるのは私だけではありますまい。子どもたちの成長ぶりはものすごい。まさにタケノコが皮をむく間なく丈を増し続ける姿のものに思える時が多々あります。
急速に成長する少年少女。
停滞を自覚できない大人。
この現実は、教育問題の本質を貫き通す。
子どもたちに、いとも容易く「埋葬される」可能性。
この現実に自覚的ではない大人は、急速に存在意義を失う。
それは無分別に行われる強烈な覚醒判断である。
賢い子どもは、馬鹿な大人を許さない。
これは、儒教的倫理観でも封殺し得ない、究極の「現実」である。
子どもたちの「賢さ」が、「資格」や「学歴」判断だけではない現実。
読者はこれを恐ろしいとは思われないか。
教育について語れば語るほど、「自分」が現れてしまう。
子どもにとっての、「賢い大人」、子どもにとっての究極の「見本」とは何なのか。
これを体現できなければ、我々は自己を「止揚」することはできない。
どうしようもないクソガキ小6生の父親でもある筆者はそう思う。