2007-01-01 2007
_ 2007
最早遍満する豊かさの陰で、お正月らしさは微塵もなくなりたるが、謹賀新年。
「おめでとう!」というのはオメデタ過ぎるが、でもやっぱり「おめでとう!」。
なんかブログDJ、昨年はご愛読ありがとうね。
最近若い読者が加わっているので、やつらをヒッパたきつつ、大人の暗喩を愉しむのが難しい。
キミタチね、ここは「アダルトサイト」。将来文科省役人を目指すのでないなら、アダになること請け合い。国語力増強のためというなら良いかもね。「授業料タダ」というのは、こちらも快い。
先程、実家で父親の下世話を終えて帰宅した。
午前5時。
やっと自分の書きたいことを書く時間がやって来た。
当然のことだが、意図的、多忙的理由でここには書かない日常周辺が沢山ある。
私の日常には、解決しなければならない困難な問題が絶えず複数存在する。
親の看病はその一部にしか過ぎない。
資本主義社会の都会生活はやるせない。
キリスト教徒が政治的指導者を処刑するのは、アメリカが「植民地」を持つのと同様、矛盾しまいか。
でも我々は、この石油に保障されたリッチネスを絶対に手放せないのよ。
日本の一人当たりの国民資産は2000万円以上で、世界ナンバーワンである。
私は長いこと、お金持ち相手の稼業を繰り返して来たが、その経験からすると、資産を得ることよりも維持しようとすることの方がより困難なのである。
「無常観」をこれに当てはめると面白いが、新年の話題には難しかろう。
年初にあたってもの申す。
「状況」は整いつつある。
誇りを持てる「日本人」を目指して謙虚に本格的に活動しよう。
2007-01-06 予兆
_ 予兆
あたかも火山の噴火の前に低周波地震が観測されるように、おおよその物事には本格化する前にその「兆候」があるのが一般である。したがって我々は、現在の事象を見る際に、それが来るべき大きな何かの兆候ではないかと抽象することが正着である。
いじめ、キレ、学級崩壊、学力低下。再びいじめ、自殺、家族殺人。これらは一体次なる何の兆候なのだろうか。たとえそれが何であろうとも、そのように捉えようとすることが正着であることは私にとっては「常識」である。
しかし、我が国の教育行政を司る文科省官僚や文教族たちや中教審や再生会議の構成員たちは、目の前の現象の対処にしか目を向けてこなかった。こうして、次々と後手に回った教育施策は、いつか「その日」が来ることを予知しない。つまり、彼ら超高学歴者たちは、創造力や感受性に著しく劣ったものたちの集合であることを吐露する。彼らは「無責任」なのではない。単に鈍い、愚かな人間たちなのであり、結果的に、我が国の未来社会をないがしろにするものたちなのである。
その彼らが、何をしたら良いか分からないために、大した哲学的考察もなしに、「教育基本法改正」や「日の丸君が代」や「儒教主義導入」を提案しているのである。彼らは単に意識的な「目くらまし」をしているのではない。本当に愚かで無能な、事実を見ることもできない存在なのである。
文科省はついに一度もその失策を詫びることがない。そしてそのことが自らの首をやがて完全に絞めることであることをも予知できないでいる。
教育改革は、上も下も不可能である。そして、子どもたちは反抗したり、無力化して見せたりする。創造力や感受性が欠如していても、自分たちが支配に適する高学歴者なのであると信じて止まないのである。これは著しく「反国家的」な行為である。
このことにおいて、私は、近い未来、決定的な大事件が頻発することを予見する。
「現場」そのものの、子どもたちの怒りはいよいよ本格的に大きい。
私には本当に信じられない。この期に及んでも、彼らは、自ら改めることをしない。まるで歴史的教養すらないかのようである。
彼らはあたかも、本体がダメになったら自らも滅ぶ運命にあることを自覚できずに増殖しようとする「ガン細胞」そのものである自らを認識できない。
アンシャンレジーム。イギリス名誉革命に百年遅れたフランス革命が何をもたらしたか、さらに百年遅れたロシア革命が何をもたらしたか、彼らは自覚的ではない。
私はこの結果を恐れるが、哲学人の一人として、未来社会を予想し、我が子を含めた私の周りの子どもたちに、祝福があるような教育を実践していくしかないと痛感している
2007-01-07 教員採用試験問題漏洩
_ 教員採用試験問題漏洩
福岡市の教育委員会理事が私立小学校元校長に教員採用試験の際のグループ面接の課題を漏らしていたことが明らかになった。元校長は、理事から口頭で聞いた内容をもとに受験生向けの予想問題を作成したことを認めているが、資料自体を漏らしていることは明らかであろう。元校長は中学校採用試験の問題も漏洩しているようだ。ここには親戚縁者の匂いが漂う。
私は長年、各教委が採用試験で不正行為を行うことを見抜いて来た。その理由は、有能な教員志望者の若者が面接試験で落ち続けるからである。そしてまた、その一方で、どうあっても教員に向かない人材が合格し続けることに強い疑念を抱いてきた。
日本は「コネ社会」である。教師の親の6割が教師である事実は、どう見てもこのことを裏付けると考えていた。したがって、不正な採用試験は全国各地で行われ続けて来たに相違ないと思っている。
教師の無能が歌われて久しい。その理由は、教員採用権を握る教育委員会にあると見て間違いない。このことは、校長採用試験、副校長採用試験でも同様である。これらの試験ではカンニングがまかり通っているのは既成の事実である。
では、どうしてこんなことになるのか。それは教委のさらに上部が、思想信条において自分たちに不利益な人材をできるだけ採らないようにして来たことによる。
共産党は、日の丸君が代に積極的に反対しない。その理由は、そのことが自らにとって不利な結果をとることを見抜いているからである。ゆえに採用試験でも、自分たちが共産党寄りであることをできる限りオモテに出さない戦術をとる。
この問題を解決するには、縁故による採用を重視することになる。そして、そのことが、今回の問題の事前漏洩につながるわけである。私はこのことは、思想信条の自由を歌う日本国憲法の理念に明らかに反することだと思う。ゆえに今回の事件が明らかになったのは、富山県教委の履修漏れ問題と同様に、共産党のリークである可能性が高いと思う。
安倍政権が、教委を批判しようとしたことは正しいと思う。しかし、その小泉的発想は、自民党文教族の利益と圧倒的に反する。だからこそ、つぶされた。
ここにあるのは、「理念」ではなく「利害」である。
教員免許更新制度の主張は正しいが、その場合は、教委システムをゴワサンにすることが必要不可欠である。教委とは、早い話親玉の真似をした「天下り」システムである。
どう考えても、教育改革には、文科省の解体が欠かせないようである。田中角栄が始めた補助金システムは官の腐敗を招いた。上がズルすれば下も右に倣えするのは当然のことではないか。私は全ての責任は文科省にあると確信する。
2007-01-12 奇跡―百薬の長
_ 奇跡―百薬の長
受験直前の冬休み以降、新年来、10日を過ぎても連日10時間以上の指導が続いている。もちろん老父の深夜介護も続いている。その上で新規出版以外に諸処の問題が山積みされている。いただいた年賀状の返事を書く暇もない。
昨年12月に、和歌山在住のWさんから、「是非お父上に」とフィロワイン、もとい、白ワインをお贈りいただいた。これは完全自然農法仕立てのワインで、一口飲んだ父親が「これは旨い!」と驚喜した。それを聞いた母が、岐阜県の製造元に問い合わせ、二本だけなら分けてもらえるということで、取り寄せた。父の見舞客も、「これは旨い!」と口にする。
そもそもこの父親は、八月末に、「オレは家で死にたい」と言うので、退院した。かかりつけの主治医は、「あと一週間です」と余命を宣言した。妹もオランダから帰国して看病を手伝った。そして、「今度は死んでから連絡してね」と言い捨てて帰国した。
しかし、父親は生き続けた。9月、10月、11月、12月。あっという間に四ヶ月が過ぎた。その間、1日一二杯のワインの水割りを飲み続けた。
そこへ、Wさんのワインが着いた。ワインの酒量はみるみる増えて、何と一日5回以上の飲酒状態となった。しかもそれにつれて、「つまみが欲しい」と食欲が増進されて、介護する家族は、「ははあ、さては酒を飲むために退院したな」と疑うようにすらなった。
その結果、顔色もやけに良くなり、しまいには、「オレはもう死ぬと思う。何しろ最近、痛みや苦しみがなくなってしまった」と口にするようにさえなった。もちろん、こういった台詞に飽き飽きしている家族は、「ふざけるな!本当は回復しているのだろうが。介護しているものたちの疲労困憊が分からないのか。下の世話させる病人が昼夜を問わず飲みまくりとはどういうことだ!」と、あきれかえった。それでも、ワインとつまみのための呼び出しボタンは押され続けた。
新年、ついに、多忙でフラフラの私は怒鳴りつけたー「変化球」。
「お父さん、今死ぬんじゃあないよ。忙しくて葬式をしている暇はないからね。もし今死んだら、春まで冷凍保存だ。そして、もし春まで生き続けたら、その時はリハビリしてもらう!母さんもオレも最早限界状態だ!」
数えで84歳の父親は答えた。
「そんなこと言ったって、オマエ、オレは腰が抜けてもうダメなんだよ。」
ところが意外どっこい、この日を境に、父親は、下の世話を自分でし始めたのである。
今日、クタクタになって実家にたどり着くと、母が言った。
「お父さん、夜中に起こさなくなったから、今日は帰って休むと良いよ。最近本当に良く食べて良く飲むんだよ。」
で、帰宅して、これを書いている。
相似象学会の宇野先生もその一人であられたのかと、密かに追慕するのを禁じ得ないが、本当にありがたいことに、私にはシャーマン系の女性の理解者が数多く存在する。Wさんもその一人だ。Wさん、本当にありがとうね。心から感謝申し上げます。願わくば熊野の地に恵み多からんことを!