2007-01-12 奇跡―百薬の長
_ 奇跡―百薬の長
受験直前の冬休み以降、新年来、10日を過ぎても連日10時間以上の指導が続いている。もちろん老父の深夜介護も続いている。その上で新規出版以外に諸処の問題が山積みされている。いただいた年賀状の返事を書く暇もない。
昨年12月に、和歌山在住のWさんから、「是非お父上に」とフィロワイン、もとい、白ワインをお贈りいただいた。これは完全自然農法仕立てのワインで、一口飲んだ父親が「これは旨い!」と驚喜した。それを聞いた母が、岐阜県の製造元に問い合わせ、二本だけなら分けてもらえるということで、取り寄せた。父の見舞客も、「これは旨い!」と口にする。
そもそもこの父親は、八月末に、「オレは家で死にたい」と言うので、退院した。かかりつけの主治医は、「あと一週間です」と余命を宣言した。妹もオランダから帰国して看病を手伝った。そして、「今度は死んでから連絡してね」と言い捨てて帰国した。
しかし、父親は生き続けた。9月、10月、11月、12月。あっという間に四ヶ月が過ぎた。その間、1日一二杯のワインの水割りを飲み続けた。
そこへ、Wさんのワインが着いた。ワインの酒量はみるみる増えて、何と一日5回以上の飲酒状態となった。しかもそれにつれて、「つまみが欲しい」と食欲が増進されて、介護する家族は、「ははあ、さては酒を飲むために退院したな」と疑うようにすらなった。
その結果、顔色もやけに良くなり、しまいには、「オレはもう死ぬと思う。何しろ最近、痛みや苦しみがなくなってしまった」と口にするようにさえなった。もちろん、こういった台詞に飽き飽きしている家族は、「ふざけるな!本当は回復しているのだろうが。介護しているものたちの疲労困憊が分からないのか。下の世話させる病人が昼夜を問わず飲みまくりとはどういうことだ!」と、あきれかえった。それでも、ワインとつまみのための呼び出しボタンは押され続けた。
新年、ついに、多忙でフラフラの私は怒鳴りつけたー「変化球」。
「お父さん、今死ぬんじゃあないよ。忙しくて葬式をしている暇はないからね。もし今死んだら、春まで冷凍保存だ。そして、もし春まで生き続けたら、その時はリハビリしてもらう!母さんもオレも最早限界状態だ!」
数えで84歳の父親は答えた。
「そんなこと言ったって、オマエ、オレは腰が抜けてもうダメなんだよ。」
ところが意外どっこい、この日を境に、父親は、下の世話を自分でし始めたのである。
今日、クタクタになって実家にたどり着くと、母が言った。
「お父さん、夜中に起こさなくなったから、今日は帰って休むと良いよ。最近本当に良く食べて良く飲むんだよ。」
で、帰宅して、これを書いている。
相似象学会の宇野先生もその一人であられたのかと、密かに追慕するのを禁じ得ないが、本当にありがたいことに、私にはシャーマン系の女性の理解者が数多く存在する。Wさんもその一人だ。Wさん、本当にありがとうね。心から感謝申し上げます。願わくば熊野の地に恵み多からんことを!