ブイネット教育相談事務所


2007-02-06 中学入試

_ 読者諸氏には、大変ご無沙汰失礼申し上げる。

1月12日以来、あまりにいろいろなことがあった。

かいつまんでご説明申し上げると、この受験超多忙父親介護出版企画の最中の1月20日に、予定より1ヶ月早まって突然引っ越しした。しかし、あまりに急なのでDDI回線は2月満月まで開通せず、さらに、新居では一階のモデムから無線LANでつなぐはずがつながらず、マイコンピューターは、絶海の孤島の日記帳と化したのでした。その間、中学入試がどんちゃらどんちゃら、これは予定通りほぼ順当に「勝利」。麻布2、東邦、駒東、海城、立教池袋と第一志望勝利。慶應と筑駒は失敗したが、これはいたしかないところ。慶應は、予想通り「変化」を見せたが、届かなかった。筑駒は、やはり、「運」でうかる領域が広い学校。結論から言えば、中学入試は大高入試に比して容易いという所見。しかし、当V-net大学受験生には迷惑かけた。小学生はあまりに喧しいのである。それに彼らの相手は疲れるのである。もう2度とやりたくない仕事であった。

さて、勝負稼業にはつきものだと言ってしまえばそれまでではあるが、今年は「失敗」をやらかした。最もその「傷」を恐れるべき女子中学受験生の願いを叶えることが出来なかった。最先端教育コンサルタントとしての大失敗である。男子より早熟な女子受験では、「しっかりしていること」が最低限の課題になる。しっかりするのは先天的ではない。後天的課題である。だからこそ、教育コンサルタントとしてその「見切り」、「見通し」の甘さの責任はあまりに重い。

私は、14歳時点での自己認識力に男子より女子が優れることから、12歳時点での女子の認識力も男子より上回ると決めつけていた。しかし、よく考えてみれば、12歳時点での自己認識力の差は、経験的認知の個体差によるものなのだった。「お嬢さん」を採る指向性の学校は、他ならぬその「お嬢さん」の認識に厳しいのであった。そこには、男子

に比べて、「いいかげんであること」や「自分の仕事に無責任であること」への痛烈な見極めが確実に存在するのである。畢竟、慶應同様、女子教育は甘やかされた要素で判断しようとする必然的方向性がある。そして、これは、考えてみれば、「当たり前のこと」だった。にもかかわらず、私は彼女の「存在」を尊重するあまり、誤ったことへの「糾弾」を「手控え」てしまった。そして男子パワー同様、「闘争心」に賭けてしまった。「親の甘さを追認する」—教育コンサルタントとしてあるまじき行為である。言い訳がましいが、私は「不誠実」であったのではない。ただ多忙による怠惰の迎合主義者だったのである。私は、そもそも、女性に甘い(というより、「訳の分からぬ人間存在として認識する」)ので、女子教育の仕事に向かないのかもしれない。国語だけなら別ではあるが。

さらに、高大入試が続く。そこへ新規の中学受験の相談が襲いかかる。読者おかげさまで新刊書の売れ行きは好調である。雑誌の取材も多い。私は「バイト」であったはずの今の仕事ですらキャパオーバーになりつつある。かといって、出版だけに頼るには、法外な借金の都合上とても出来ない。深夜に散歩して、かろうじて、都市アウトサイダーの心をかいま見る。

月を見る。朋を想う。星を見る。自己存在を確認する。働く人を見る。その脳内活動に敬意を感ずる。

乳の足りない雌牛、それが私の実体である。