ブイネット教育相談事務所


2007-11-01 防衛省雑感

_ 防衛省雑感

防衛庁守屋次官の山田洋行接待問題が国会で「追及」された。しかし、超不思議なことに、「天下り問題」については言及されなかった。

防衛庁(省)は、実際の戦闘に参加する可能性がないから腐敗したのか、それとも省庁とは、そもそもそういう宿命にあるものなのか。この役所がやっていることはとてもではないが真面目なことだとは思われない。危機感の欠如には驚くべきものがある。なぜだろうか。

昔、ロッキード事件の時、立花隆の「田中角栄の研究」を読んで、「こりゃあマズいよなあ」と思ったことがある。なぜかと言うと、「組織」において、上が「不正」を行えば、ゆくゆくは下がそれを行うようになるはずであるのが当然だと思ったからである。

儒教主義の逆。上が不正を行えば、下はそれを行っても咎められないはずだと思ってしまう。

守屋は脅かしたのである。「自分以上に甘い汁を吸いまくったのは誰なのか?」と。「これ以上証人喚問すれば、政治家自体に火の粉が及ぶよ」と。佐藤優とは比べ物にならないほど質が悪いが、本質は同様なものである。組織の秘密を隠匿する活動をするものを告発すれば、当然その火の粉は自らに返る。

防衛省とは、国民の安全を守ることにその存在意義がある。天下りを条件に、国家予算による受注を促進することではあるまい。やってしまったら組織の存続意味がない。でもやってしまう。

そして、その人物が出世する。なぜなら任命権のある政治家と蔓んでいるからである。

民主党はどうして政治家との癒着に踏み込まなかったのであろうか。福田小沢会談で、福田は、この問題に拘泥すると両組織にとって不利な結果になると話しかけたはずだ。

しかし、小沢は、あたかも与謝野に囲碁で勝つかのように、自民党が民主党より困ることを知っているのだ。ゆえに、国民にとっては意外なことに、わざと追求しないのである。いつか追求する可能性があると示すことを意図に。それが「政治」なのであろう。だからこそ、福田は「国対委員長」として交渉したのである。

この件は、もしGEが事実を明らかにすれば、自民党政権が崩壊する決定打になってしまう。どう考えても福田は弱い。自民党側からすれば、小沢がわざとリークしていることだと思ったに違いない。

立場を弱くされれば、「給油問題」で譲歩せざるを得ない。給油問題では、航海日誌廃棄という新たな問題も内在する。そして、米国大統領選で共和党が歴史的な大敗をすることは必定である。

政権を取りたければ、国民の最も望む「政官癒着問題」の解明と解決が最終的に欠かせないことを小沢は密かに強く認識していることだろう。「小泉」以上の改革が期待されていると考えているはずである。最早、一部の優れたマスコミに押されて、国民はこのことこそ問題の震源であることを知悉していることだろう。日経の書き方の弱さに、かえってそれが現れていて可笑しい。

金の出所は知れている。それは国民から取った税金である。支配とはそれを使う側に立つことである。

私は中選挙区に戻して、多数の政党が競合するダイナミズムが必要だと思う。

それにしても各新聞の追及は甘い。新聞社にも「天下」っているのではないかと勘ぐりたくなってしまうほどだ。


2007-11-09 恥ずかしながら‥…Reup(と最終回?)

_ 恥ずかしながら‥…Reup(と最終回?)

読者諸兄に改めてお断り申すが、この原稿の筆者のペンネームは、「Joker」である。

世間一般の多くは、真面目にやることが通常であろうが、広きこの世には、真面目にやろうとすることに大きな集中エネルギーを消費せざるを得ないものが存在するのである。つまり、「恒常的に冗談状態」であり、「真面目」のような発展的方向性を抑圧する波動を無意識的に忌み嫌うのである。

世の多くが非知性的に冗談をわきまえぬ時に、「冗談」FANほど尊いものが他に存在し得ようか。

「冗談」はいつに始まることかは分らない。つまらない時、オモロい時、ストレス発散のためにいつとはなしに行われるものである。ヤバい!また冗談で書きたくなってしまって来る。夏木マリの「絹の靴下」で、出だしを「冗談」で歌っていた高校生のころの自分が見える。

我々は日本国憲法書き換え時に、「冗談の自由」を「冗談」で盛り込ませることを主張しよう。

それにしても今回はいささか冗談のやり過ぎをやってしまったようだ。

小沢が進退問題を言うからブログでもそれをふざけることを捨象しがたい状況が生まれた。

偶々事務所ホームページが、契約期限切れで「不幸な外人女性」で繋がらない状態。進退伺いの冗談をこいてみると、意外なこと予想外に、何とうれしい多くの読者から「やめるな!」との励ましとご協力の声。やり過ぎたかと冗談で「反省」する。私はチャンバラも上段の構えであった。

しかし、忙しい。懸案の書物はついに書き始めるに至ったが難航中。その後ろに5つ以上の出版社が待っている。訪問客は滅茶多い。雑誌や新聞などへの執筆依頼も来る。今日は午後から放送局でアナウンサーさんたちに音読指導。しかもその前に三日前に買って来た植物を庭やプランターに植え替えねばならない。家族は、「リアップの副作用か」などと嘲笑うが、面倒を見なければ植物は美しくは育たない。

というわけで以後よろしく。

新刊書も出だし好調で何とも「ありがたい」。

油断大敵出前迅速。

_ 以下は、ブイネットブログが読めない間にライブドア側で更新されたものである。

_   最終回?

_ このブログは今回が最後かもしれない。

読者ご存知の通り、ブイネットのHPは、URLから書き換えられて繋がらなくなっている。

そこには白人女性の笑う姿が映し出され、多くは英文で示される。

小沢はなぜ辞めたか?

それは米国から決定的な圧力がかかったからだと思う。

即座に中曽根が大連立の後押しを表明する所にその確認がとれると思う。

メディアが沈黙するのはそのためであろう。

歴史的には、サンフランシスコ講和条約は、我が国の「独立」のための条約であるとされるが、実はこれは日本がアメリカの軍事下に完全に入る条約であったことは、明らかなことである。

今回小沢は、スイスの銀行口座を完全に止められ、動くことが出来ない状態に追い込まれたと私は見る。

福田が会談で示したことはそのことであったに相違ない。

我々は米国に完全にかなわない。

我々は完全に米国の植民地政策の下にある。

給油問題を蹴ったこと、これが小沢の致命傷だった。

しかし、それにしてもマスメディアの沈黙は相当なものがある。

そこには圧倒的な「言論封殺」が内在するのであろう。

私は断じて右翼でも民族主義者でもない。

北欧型の社会民主主義を理想の一つと掲げるものである。

今回の事件同様、米国の不利益に繋がるブログは、抹殺される宿命にあるようだ。

我々はブログの世界でも、「検閲」を受けるのである。

私同様、多くの正直な見解が抹殺されて日の目を見ることができない。

以後、私は我が国の教育の健全化のために、陰ながら努力する所存である。


2007-11-15 A評価

_ A評価

『佐賀紀行』を書かぬうちに、今度は島根県に行って来た。これも「行政」の招きである。

明くる日、朝から埼玉山奥大学。帰りに実家に寄って、事務所で夜11時まで仕事。

いくつかの仕事を片付け切れないうちに、いくつもの仕事が押し寄せる。サピックス早稲アカ浜学園宿題地獄に通っている子どもの状態。「冗談」ではない。

驚くべきことに、『青本』(PHP)が出だし超快調である。

このジョーダンブログを読んでいる人もやけに多い。暇があるらしい。

本当にわけが分からないことになって来た。

私は「愚か者」である。真面目にやることにすぐ苦痛を感じてしまう。

Ants in pants.

「愚か者」以下の、「冗談者」である。「JOKER」である。

愚か者ゆえに、現行教育に「着いて行く」ことができなかった人間である。

そして、その教育のせいで世の中がどんどん地盤沈下するおかげで、浮き上がって来た「存在」である。

「マジ」でそう思っている。

経済界の自民党民主党の政策評価比較なるものが新聞に出た。やはり、「教育」に関しては、政界同様、経済界もマスコミも「アホ」である。

安倍政権の教育改革は「A」だとよ。ということは「再生会議」(実はこれは「祭政」の安部長州的冗談)も「評価」されたってことだに。バッカじゃなかろか。経団連はほとんどの自民党政治家同様、教育を甘く見るバカですな。「経営的視点」以外もあることを許容する教養がないのですな。大切なのは「未来」ではありませんか。

読者諸兄、頭に刻み込んで欲しい。経済界は教育に関して「無知」である。

彼らは国の未来より、自らの権益未来を優先する。官僚と同じである。恥を知らない団体である。この人たちが禁ずれば一発で天下りはなくなるのである。国家予算大赤字の時に、途中でそれを食べちゃうことは何としても止めてもらわなければならない。

何が「海洋学園」だ。単なる「エリート隔離施設」である。「潰瘍」の間違いではないのか。東海は、栄にあったからこそ「東海」なことが分らないのか。学歴や知能だけでは人間は作れないってさ。

結構近未来的にバカな学校とそうでない学校の見極めがこの辺りでついちゃうのかも。

それを知りたい学校は、ぜひ私とライセンス契約を。

なーんちゃって。

冗談「冗談」マイケル上段時津風序段佐々木小次郎ジョーダン宮本武蔵野市壇上。


2007-11-21 外部監禁

_ 外部監禁

朝、家人から知人のAさんの飼っていたウサギが死んだ話を聞いた。ある日Aさんは、吉祥寺のサンロードをプラプラしていると、なんともかわいいウサギを売っていたので、近くへ寄って見てみると、本当に実に愛らしい。見ているだけで、思わずこちらの頬が緩んでしまう。おじさんが「かわいいよ?このウサギ。家の中で飼っても大丈夫だよ。」と言うので、意を決して買うことにした。そのときおじさんがなぞのようなことを言った。

「野菜をあげちゃあダメだよ。このウサギに野菜をあげないで」。

へんなことを言うおじさんだと思ったが、家でキャベツを上げて見るとウサギがとても喜んでモリモリ食べる。「やっぱりあのおじさんは頭がおかしい」と思って、毎日ウサギにたっぷり野菜をやった。ウサギが喜んでもぐもぐ食べるのが実に愛らしい。名前も愛ちゃんにした。

こうして約3ヶ月。家の中で放し飼いにしていたウサギは、大きく丸々と太って、猫より大きくなった。これが跳ねる姿は、ウサギと言うよりガマ蛙のようにゆったり単発的なもので、「ぴょんぴょん」というより、「ドシドシ」と形容するのが相応しかったそうだ。

ところが、つい最近、ウサギが臭いので、お風呂でシャンプーした。バスタオルで拭いたけれどなかなか乾かないので、ベランダに出してかごをかぶせておいた。

しばらくすると、ドタッという音がするので行ってみると、ウサギが倒れて死んでいる。獣医に持っていくと死因は「凍死」とのこと。ウサギは体の芯まで濡れると風邪を引きやすいらしい。

何でこんな話を家人がしたのかわからなかった。

さて、私は大変忙しい。酒を飲むヒマはあっても運動をするヒマはない。おまけに忙しくて頭の中は常にボロボロである。何もせずに1週間ぐらい休みたいが、じっくり休む時間はない。この状況下では究極の合理的な精神健康衛生法が必要になる。それをご紹介する。 

まず、大きい湯船の中で「体操」(水泳ではない)して、次にサウナでストレッチして、サウナを出たところの戸外の椅子で、汗が乾くまで瞑想をする。二三回繰り返す。これを行うと、体と頭が同時にほぐれるので効果が大きい。しかも約1時間ですむ。

ただしこのためには、サウナ室を出るとすぐに戸外に出られる施設が必要である。

幸い自宅近くのクアは、サウナ室を出たところに水槽があり、その脇の扉を開けると、外から見えないようにしつらえてガーデンチェアが置いてある。椅子は6脚あるが夏ならともかく、冬には利用するものは少ない。

ウサギの話の夕方のことである。原稿が書けなくて、夕方早めにサウナに行くとガラガラである。

まずは湯船でたっぷり柔軟体操。次に、サウナでストレッチ。汗だくで外へ出て、裸のままでメディテーション。私は瞑想は慣れているので、数回深く呼吸するとすぐに三昧に入れる。椅子に座り背筋をしっかり伸ばして瞑想すると、頭の中を空白にして、脳内の不純物を排出することができる。大切なことは瞑想中に周囲のことに気をとらわれて中断することがないようにすることである。

さて、深呼吸を終えて、三昧に入ろうとすると、目の前の扉の鍵をいじる音がする。一度鍵をかけてノブをひねると開かないのでもう一度鍵を回してドアを細めに開けた男は、本当に仕事に疲れきった顔をした壮年のサラリーマンである。サウナから出たばかりで意識不明瞭に思えた。私を見ると、男はドアを閉めた。同時に私は三昧に入った。するとその直後に向こう側から鍵がかかる音がするのが聞こえた。しかし、ここで瞑想をやめるのは惜しいのでそのままそれを考えずに続けた。

しばらくして瞑想を解いて、ドアを開けようとすると、やはり鍵がかけられていて中へ入れない。ウサギと同じ外部監禁である。寒空に裸でほっぽり出された。今朝のウサギの話が思い出された。このままどうなるのであろうか。体温はどんどん下がる。偶然係員か他のお客が来るのを待つのか。こういうときはどうするべきか。急に大声を上げるのも恥ずかしい。ウサギは吼えない。

まあとりあえず、目の前のドアを叩いてみた。

すると中で人の気配、ガチャっと鍵がまわってドアを開けると、さっきのくたびれた男。

「あんたねえ、人がいるのに鍵かけちゃあだめじゃないか。監禁未遂で訴えられるよ。」と言うと、まるでいつも口癖であるかのように、

「すまんこってす。」と、何語かわからんようなお答え。

放送禁止用語に免じて笑って許したが、めったにない経験をした。 

動物園は、外部監禁する設備である。


2007-11-26

_ 「教師募集」

恐怖の連休が終了した。三日間で17コマ。35時間の労働である。昨日は連続13時間教えた。音読のやり過ぎで頭痛がする。食事をする時間がないので、「ダイエット」には良いが、これでは疲労困憊、帰宅後の原稿作業が全く進まない。両者は時間的に両立できない状態にある。そして、その事情を知ってか知らぬか、新規出版社の企画持ち込みが次々にある。ちなみに、連休中、家族は私が出勤する時は眠っていて、帰宅すると「おやすみなさい」と言って各部屋に消える。

V-netでは、誠に無責任ながら、6年生は、私の授業の新規受付をお断りしている。

私は、来年以降、執筆活動を充実させるために、事務所での仕事を週4日にしようと思う。このままでは両方とも、「責任」ある仕事ができなくなってしまう。

今日いいことがあった。最近塾へも通わずに、ピアノレッスン、書道教室、自発的学習、V-net作文音読指導で、成績優秀の小学五年生が、ついには、その絵画作品もが県大会の特選に輝いた。

写真で見た。絵は、水中に飛び込んだ少女が、多数のおサカナに遭遇した瞬間を描いたものである。しかし、その何とも偶然としか思えない構図が実にどんピシャリ決まっている。これは通常の「優れた状態」を一枚上回った絵である。感情を「昇華」させることに成功した、カタルシスのある絵である。

僕は本当に嬉しい。この絵は、僕とは何の関係もないはずの「絵」である。彼女が偶々僕に音読を習いに来ていなければ、見ることのなかった絵である。しかし、思わず呼吸が乱れるほど素晴らしい。

彼女はカタカムナ音読を一発で了解した。おお、男女を問わず「感受性」の何とも偉大なることよ。感受性は明らかに「知性」を簡単に上回るのである。

同時に、女子美に脚本係として入学したいと言って、作文指導を乞う小学5年生の少女がいる。試しに半ば冗談で、「ファンタジーを書いて来い」と言うと、これがホンマに書いて来る。絵入りの訳分らぬ動物と植物と人間界の混交した力作である。この少女も音読が上手い。

我々男性は戒めなければならない。このような少女たちが現れて来ているということは、我々自身、もっと精神的に崇高な知性を持つ方向性を希求しなければ、とてもではないが30年後に「人間」としてやって行けないと。

(今、伸びをすると、棚の上にあった、陶器入りの、関西からメール教育相談の代わりに贈られた特上有機自家栽培イモコメ40°焼酎(封切り前)に手が触れたので、あわてて安全なデスクトップ前に移動した。まだ開封しない)

V-netは、子どもを壊さず、先のことを考えてアタマを良くする場所である。子どもにアタマを良くする習慣を与える場所である。

そこで、ひょっとすると、このブログ読者の進学塾or予備校関係者にお願いしたい。もしあなたが多少腕に覚えがあるなら、V-netに教師として名乗りを上げてもらえまいか。V-netは、あっと驚く中間搾取なし。プロは最低時間給6000円である。しかもストレスなしに思うままの教育実践が出切る。同様に学生諸君も名乗りを上げて欲しい。ここには「マトモ」でオモロい大人が集まっている。V-netは広告を出さない。お客をダマすことなく、実績と評判だけでやって来た。そして単なる「場」を貸すところである。応募はブイネットへメールで。

重ねてお断りするが、Livedoor blogで以下に勝手に付けられるCMは、V-netに全く関係ない。関係がないのにこんなところにのうのうと広告を付けるとは、人をダマすのが目的である。完全無視、no clickでお願いしたい。ライブドアもバッカだなあ。上層部に論理的ではないバカがいるよ。


2007-11-28 国語詐欺

_ 国語詐欺

私は他社の営業妨害をするつもりは毛頭ない。

それでも「告発」せざるを得ない。

すでに、前ブログで書いたように、V-netでは受験直前の新規相談は打ち切ったが、サピや早稲アカの営業方針は本当に心苦しい。これは関西の大手塾も同様である。金儲けのために、お客をダマすのは、自民党官財一体天下り汚職と同様である。

これらの塾は、全教科抱え込みを求める。しかし、どちらをとっても、国語科の指導は本当にひどい。これらの塾の公開(後悔)試験の問題は、本当に拙劣で、これが拙劣であることを認識できない親をカモにしているとしか言いようがない。

年末になって、いよいよこれらの塾で伸び悩む子どもたちの親の相談が加速しているが、彼らはあまりに長くこれらに「依存」し過ぎたために、その「呪縛」を解くことができない。

本当に国語力があったら、塾の国語教師になどならない。その人たちは、法学部や経済学部を経て、一流企業に勤めるか、弁護士にでもなっているはずだ。塾教師で、年収一千万以上は望むべくもない。だからこそ、国語科教師の「脱藩現象」が起こるのである。

国語数学は、本当にその力がある人に習わなければ、力がつくはずがない。どうして自らより力が劣る教師を信頼して、塾の国語を受ける必要があろうか。

チェーン店化した塾で、低賃金で国語力がある教師を充足させることは絶対不可能である。パターン学習が可能な(それも実は限界に達しているが)数学算数と異なり、国語はパターン学習が効かない。最後まで求められるのは、日本語了解能力(音読を基盤とする)と文章構成力と選択肢レトリック了解である。

超一流校を除いて、国語や算数の問題は易化の傾向にある。海城や城北や栄光や渋幕は、特に2次試験で柔軟な発想を持つものを取ろうとする試験意図が色濃く見える。これはよく分かる。私はこれまで、古くは日能研、最近ではサピックス、早稲アカに長期間通った結果、中学以降全く伸びなくなってしまった子どもの相談をずっと受け続けて来た。これは、チェーン店が、能力のない国語教師を使わざるを得ないことにより、国語そのものの能力低下を招き、先々で伸びない生徒の教育をするためであることは明らかである。

日能研や四谷は、初期の失敗を多少参考にして、充実した模試を心がける方向性であるが、まだまだ足りない。問題量も不適切である。採点簡便化の便宜をとり過ぎである。しかも記述もしの採点は劣悪である。彼らは国語力低下を潜在的に望む政府行政の手先であるとさえ感じさせる。

今日見た、サピックス6年生は、芝久我山早稲田特化コースに通いながら、芝が句読点を答えに含まないという最重要事項を知らなかった。選択肢も、ことごとく「引っ掛け」に引っかかる。これを教えないで、どうして「特化コース」なのであろうか。賞味期限食品と同様、完全に「詐欺」である。

上記2番手校では、塾対策を嫌い、前後を読んで使われた語句に引っ掛ける選択肢出題が例年化している。

低賃金下のノルマ性。公教育と相似の問題点が浮かび上がる。明らかにこの国では国語ができなくなる教育が押し通されている。

結果的に、2番手以下私立では、問題を易化することにより、国語科での差別化を避けようとしている。

結論から言えば、もし入試で勝ちたければ、サピや早稲アカの冬期以降の国語講習を絶対受けるべきではない。不合格に近づけるために、お金と時間をかけるのはバカな親がすることである。

低賃金で国語教師を雇おうとする塾は、通う期間が長いほど子どもがバカになるという、公教育と同様の法則を内在させていて、動くことが出来ない状態である。しかしこれらは、単科受講を許さない。最早「詐欺」としか言いようがない。効かぬ薬を効くと言って売るのである。

こと国語に関しては、余程良い教師が教えるコースに通う以外は、塾通いは全くの無駄である。

でも、不安に負けて、それを了解できる親がいないから、塾の「詐欺」が続くのである。

守屋夫婦だけが悪いのではない。それを利用する政治家が悪いのである。「賞味期限」の過ぎたもの、それこそまさに塾の国語教育である。