2009-09-09
_ フラードームと焚火
歴史の授業で生徒に聞かれることがある。
「どうして北九州で始まった弥生時代が奈良に移って政権を作るのですか?」
ソウルに行って確信した。それは周囲に良い山がゴツゴツとあるからである。
軽井沢はなぜ流行ったのか?―それは浅間山があるせいである。
那須高原もどうして栄えたか?―それは那須山が美しいからである。
でも奈良のように、美しい山々が周囲全体に連なる地域は、まずない。
衣食中足りた上で人が望むのは景色が佳い住処である。
いくら都会でベランダー菜園をやっても、目の前の景色が佳くなることはない。
また個人的な問題としては、焚火ができなければ生きている意味はない。
菜園と焚火と景色。
この3要素を見事に実現する人物に会った。
丹沢山系の端の山を目の前にする山の中腹にフラードーム。
つまらない建物もいくつか目に入るが、それもご愛嬌。
夜になれば目の前にシルエットで山が浮かび上がる。
庵主は其角研究の俳人の二上貴夫氏。
10月にホビット村で行う、宇野先生を偲ぶカタカムナの会についての事前確認が議題である。私は、「細かいことは良いから彼女の活動を含めて、カタカムナ相似象によって自分を高めた人たちがそのことを語る場を作ろうとするのが良いのではないか」と提案していた。
私は、一切の「所属」を拒否して生きることを選択した者である。カタカムナについても三ツ矢ならぬ「アウトサイダー」することは、傍観者ではなく、意識的に客観化する立場を貫く習性によるものであろう。私は日本国民であるが、同時に一切の組織に属さないことを選んだ者である。
庭には絶妙の石炉が円形に切ってあり、その中での焚火はこれ以上ないというほど理想的なものだった。燃え残った熾の光も素晴らしい。そして火から目を上げれば、そこに山がある。
私が得意の、竹を裂いて長い串を作って西荻「もぐもぐ」のソーセージを焼いて食べることを披露すると、庵主は、「これはいいね。良い考えだ。簡単だし美味しい。」と穏やかに感心する。私は様々なソーセージを試したが、このソーセージほど焚火であぶって美味しく出来上がるソーセージは今のところ他にない。
女子大前アテスウェイのケーキを食べて、七沢温泉に。泉質は良いがセンスがいまいち。
帰宅して執筆前にこれを書いた。