2005-11-03 シーズン・オン
_ 事務所に季節の風が吹き始めた。
受験直前。今年は6年制の私立女子校を抜けたいという相談が多い。
だが、いよいよもって、本格的に国語了解能力が未然のものが次の世代群から押し寄せて来るのが実態となった。
テレビとコミックスという映像。自分が「近眼」になっているという自覚が持てないから、「了解」ができない。この人たちにはちょっと難しい文章なんてからっきし無理だ。
完全受動の国語学習。答えは自ら作るものではなくて、どこかにあるものだと思っている。これはデパートで1階上の階に行く時でもエレベーターに乗ろうとするのにどこか似ている。国語ができない人は国語ができないことがどれほど大きな損失なのかを自覚できないのだ。
しかし、ついに、それに気づく人たちもいる。私はエライと思うが、その立ち直りの苦労も当然エライことである。
「情報」に対する認識の大転換。
「情報」には実態がなく、自分の判断に実態があるという認識。
国語ができるようになるとは、アタマが良くなること。アタマが良くなるとはそれまでの自分ではいられないということ。
しかしスキがあるんだなあ、みんな、やっぱり自分の日本語が不完全であることをリアルに認識することは日本人には難しいからね。
というわけで、解決法は、古文音読。
主体性のない言語使用なんてありえないからね。
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