2006-11-12 <ムジナの知恵ー連載2>
_ <ムジナの知恵ー連載2>
それではまず私的な考察から。
もし読者諸兄が、朝8時から夕方5時まで残務処理を含めて9時間の間、今どきの少子化社会の小学生たちをあずかって、これを責任を持って管理しかも勉強も教えるとしたら、いったい何人なら引き受けることができますか。
その答えは多くても5人だと思います。小学校教師の生徒比率は17,1人です。
ではその職務を週に約50時間、ひと月約220時間行うとしたら時間給としていくら要求しますか。
小学校教師の平均年齢は公立で40,5歳、平均年収は746万円。私立では790万円。これにはさらに幅があろう。ともあれ、公立小学校40歳教師の時間給は、およそ2800円である。
これを個人教授と比較すると、仲介の会社を挟むと大学生家庭教師初任時間給1250円。直接だと2000円から。院生だと時間4500〜くらいから。プロは6000円以上。熟練者はすぐに10000円を超える。ただ、中間移動のない連続労働として学校教師は、楽とは言えるが実に疲れるのである。でも、時間給1500円でも人を雇えるであろうから、ある意味で教職はオイシいとも言えよう。
しかし、それは間違っている。
約40歳で二児の親だとすると、月収にして62万ということになる。一般にサラリーマンの給与は手取り時点で8割だから約50万。住居費が15万、生活費が20万、生活費以外に10万はかかるとすると、残りは5万円で、これが教育費になる。これだと、家庭教師は雇えない。進学塾には通えない。もちろん、私立の学校に通わせるのは無理。私立の学校に通わせるには40歳で年収が1000万近くなければならないだろう。
私は、公平な観点から見て、小学校教師にもその機会を得るくらいの年収を与えるべきだと思う。問題なのは、社会主義的に、能力の劣るものにも一律の賃金を支払うわけにはいかないということです。一生懸命働かない者に一律の給料が支払われるのであれば誰もが熱心に働く気力を失せることは明白です。しかも、彼らは、教員資格を得るために専門教育を受け、しかも50倍とも言われる試験にパスするために努力した者たちです。それが医者の収入の3分の1程度というのは不公平すぎます。
教師の給与を1000万に近づけるとすると、全国で41万人いますから、1兆円近い予算増が必要になります。教員に査定制度を設け、できる教師とできない教師の収入格差をつくっても、何千億万円かの投資が必要です。私には正確なことがさっぱり分りませんが、もし全ての文科省天下り法人が廃止されれば、そこから浮く人件費などからこのうちのかなりに資金が調達できると思います。また教育補助金も削減し、教員給与以外の全ての人件費を削ります。つまり、経費の面では、天下り先と法人をなくせば、かなりの資金を教員給与に回せます。文科省の機能を可能な限り小さくして、予算5兆のうち約10分の一を節約すれば、必要な人件費を確保できることになります。私は専門家ではありません。専門家が数値計算して出してもらいたいと思います。
少子化社会の中で逆に異様なほど多様化して行く子ども。それは生物学的必然だと思います。並走する遺伝子が数少ないとき(もしくは全くないとき)、個体は「ユニークさ」を暗黙のうちに希求します。いわば、「特殊」を夢見ます。願うことは勝手ですが、「特殊」には、前提としてある程度の、後天的能力が必要されます。多くの人はそれを学歴や偏差値や「資格」と捉えるのでしょう。それは相対的価値観において見ればそれなりに正しいが、直勘的経験真理から見れば危ういものとなると言えます。
情報の渦の中での覚醒。
妄想の果てにかいま見られる真理。
あはれきわまりない非現実。
どうしても始めざるを得ない躍動。
ここで多くの若者が、浅田彰が予言した通りに、「逃走」し始めるのです。つまらない世の中から可能性のある世の中に若者ほど本能的に「逃走(スキゾ・キッズ)」するのです。私はこれを、「社会学的現象」としてではなく、「生物学現象」と捉えたくなります。人類は、つまらないことに耐えられず、愉しいことに未来を夢見るのです。
「逃走」は、「教育」の反意語です。これはいじめや学級崩壊以上に怖い問題です。自殺問題以上に怖い問題です。そして、このことを「警句」と受け止めることができたとき、未来教育の可能性を知ることができます。国語力の問題は、その暗示です。国語にさえ優れれば、自分で本を読んで学ぶことが可能です。創性や感受性を含めた知能向上なのか、それとも知識を主体とした技術獲得なのか。そしてそれのブレンド比は何対何なのか。現行試験で測れるものなのか。このことにおいても、選択肢型「全国学力試験」は外れます。
国際情勢史を眺めれば、日本は完全にアメリカの「支配下」にある。中国と北朝鮮以外の東アジア諸国と同等である。我が民族はなぜか資本主義経済への適応性において優秀であり、今のところ生産性が高い。我々は核兵器によって無条件降伏・支配された唯一の国である。経済力と科学力に打ち負かされた最初の国である。中国はもう学習した。アメリカが困れば困るほど資本主義的に正解なのである。ゆえに中国は、まるで蚕の幼虫のように米国債を喰う。ここにおいて、中国が先例として我が国家に学ぼうとしているのは本当に面白いことである。アメリカ資本主義経済を喰い滅ぼすーこれこそアメリカ先住民と我々との「密約」であった。アーミッシュは創価学会よりはるかに尊い。公明党の方向性が社会民主主義であることは必然であり、弱者救済という意味で共産党と手を握ることも可能だと冗想したい。阿部政権は、次回選挙で記録的な大敗を喫すと思う。彼には構造改革がロマンチシズムの観点でしか見えていない。岸信介は誤摩化したのではない。理性的に考えて何が国家利益であるかを巣鴨プリズンで省察したのである。彼はアメリカ人役人をつぶさに観察し切った最初の官僚である(あたかも瀬島がシベリアでロシア人のそれを見抜いたように)。であるとするならば、今回の一連の流れは、政治を、「お祭り」程度に認識する我々国民の姿がそこに投影されたということになろう。民主主義に政党が必要であると言うのは永遠のファシズム的問題である。阿部さん、あんた本当にバッターボックスに立ったことがないであろうが。麻生サンはバカなので、谷垣にするべきだったが、谷垣にはガキ以上のアイデアがない。勉強し過ぎの真面目行動はアタマに悪い。善い人間よりも、できる人間を求めていることが了解されない。人間的スケールの人材的限界である。教育問題は自民党政権の存命に関わる問題になる。阿部氏は本当の意味で自民党を「ぶっ壊す」小泉爆弾を抱えたことになる。長い歴史の蓄積の中で、自民党がアメリカの「エージェント」であることは最早明らかなことである。そして、そのことのある意味での「正しさ」を長年にわたって受け入れたのが戦後日本人の大半であった。しかし、教育までアメリカ型未来のためにする必要はない。だからといって日の丸君が代では形だけのことである。独立した一個の経験的集成による意見を述べることができる日本人。まず日本語で自己意見を自由に表明する力を身につけ、その上で外国語でもそれができるようになる日本人。経済的蓄積が充分になった今、日本人は自らやりたいことを個々各々勝手に追求するべきである。「逃走」すべきである。そして、そのこそこそがこれからの国際社会における日本の原動力となるのである。てめえの意見を言うためにはてめえの意見がなければならない。そのためには価値観が必要である。そしてその価値観は、他者から丸ごと与えられるものではなく、個人の純粋な好奇心による探求と追体験結果と、日常あらゆる場面における不断の価値判断の集積によって獲得されるものである。上のものに価値観を与えられようとしてはならない。個人の価値観は、個人が実人生で極限まで自己を押し通そうとした時に、その結果として得られるのである。いじめをするのは、それがつまらぬことだという価値判断がないからである。自殺も同様。学歴第一主義も同様である。これら価値判断形成の場を整備することをこそ「教育」と私は呼びたい。そして、そのツールは断然日本語である。
拙いながらまだまだ書き続けたいが、読者率直なご意見を請う。