ブイネット教育相談事務所


2006-11-23 <ムジナの知恵ー連載4>

_ <ムジナの知恵ー連載4>

私生活でオモロいことが次々起こっているが、教育改革について書く。

すでに書いたように、筆者に言わせれば、「日の丸君が代」も「教育基本法改正」も、「教育改革再生会議」も、実は本当の改革をしないための政府目くらまし策である。そして新聞は、「いじめ」や「自殺」については書くが、学校現状乃至は文科省現状については一切書かない。これは筆者のところに来た新聞記者が言明した通り、「書けない」のである。思えば、旧建設省周辺と建設会社の癒着は可愛いものだった。しかし、文科省と天下り法人、教科書会社、出版関係、メディアを含めた大掛かりな「癒着」は、最早修正不能のところまで至っている。またこの反対側で、教員組織も政党、出版メディアを巻き込んでおのが地位保全に躍起になっている。彼らは生活のために、教育を食い物にして子どもたちを絶望させ、自らの立場を守ろうとしているのである。そして、教育学者や教育学部は、これまで通りにほぼ沈黙を保っている。これも「生活のため」なのであろう。同じ教育関係者としていささか同情も禁じ得ないが、子どもたちの苦しみを思うと、筆者の怒りも抑えることはできない。

筆者は一切の組織に属さないことを決意して生きて来た者である。ただ直接子どもたちとご家庭と接して生きて来た者である。

学力低下の原因はさまざまな要素を持つ。暗記とレトリック読みだけのセンター試験、それに準じるあらゆるテスト問題、質も使い勝手も悪い学校教科書、どんどん低下する学校教師の質、いよいよ進んだ少子化社会の中で育った新しい世代の子どもたちの教育法の不備、場当たり的対処かつ思想対立を誘引させることで現場を混乱させる行政施策、新しい教育法の開発をほとんど行う気がない教育学部とその教師養成方法、何よりも人物見定めを無視する暗記型の教員採用試験(これには微妙にコネもあるとの噂→教員の60%が教員の子弟)。いずれもが「利権」に絡み、変えようにも動きが取れない。未来を担う子どもたちの健全な成長と教育環境の設定ができない「恥ずかしい国日本」。教育改革には以上すべてが変わろうとしなければ無理である。

そのためにはまず、文科省権限を縮小する必要がある。以前に私の知り合いで、大蔵省予算案を24時間で終わらせることができるソフトを開発したものがいた。彼はこれを旧大蔵省に持ち込んだが、当然門前払いされた。役所は、「パソコン一人一台制」をとり、一人も辞めさせることがなかった。大手銀行を中心とした一般企業では、人件費削減のために大規模なコンピューターシステムを導入、ガンガンリストラを押し進めることを可能とした。しかし、役所ではそんなことは全く起こらなかった。センター試験ではコンピューター処理を最大限に活用しているのに、文科省では本格的にこれを活用して人員を減らす措置は取らない。私は、まず大規模な法改正を行い、文科省に積極的にコンピューターシステムを導入して人員を10分の1にするべきだと思う。

その上で、次に、国立教育政策研究所や国語教育研究所など、あまたある天下り法人を、同様に可能な限り縮小しつつ、単なる「課」などの部署扱いし、一つの建物におさめ、余分な役職や組織や建物を可能な限り処分するべきである。

こうして、まず文科省権限を最大限縮小しつつ、教育を地域行政に任せるため財源を分与する。

次に、文科省検定を廃止し、教科書を完全に自由競争のもとに置く。さらに、良いテキストやメソッドをネット上で公開し、必要に応じていつでも全国の教師たちが利用できるようにする。しかも、その使用度により、制作者/考案者に使用料が入るシステムを作る。もちろん一般企業の参入も可能とする。またボランティアで無償提供するものもあってかまわないことにする。各教科別の使用ランキングも公開し、上位者には報奨金を出す。優れた授業メソッドの研究発表コンクールを行い、これまた上位者には報奨金や、あとで述べる賃金システムも加味する。

各地域の教育委員を、自治体選挙と同時に行う公選制にし、ここにもネットを幅広く用い、苦情や情報や提案や対処が包み隠さず閲覧できるようにする。同時に各校長も地域による選出制にし、これにしっかりとした権限と責任を与える。

教員の査定を、生徒やご家庭に行わせて、その結果により、毎年5%程度の給与の上下をつけ、その結果を教員ランキングとして一目瞭然とする。また、まともに働く気がある者に社会的に胸を張れる賃金を保証するようにする。

センター試験を廃止し、選択肢による試験を禁止する。このことによって、各教科の基本知識の記述力と文章力を第一義に掲げる試験を行う。

国立大学は、定員の2倍採ってクジ引き制にし、経済格差による試験結果を機会均等・平等化させる。また、定員の約半数をAO入試によって採り、進学後の目的のはっきりしているものの入学を優先する。

国立の専門学校を多く設立し、職人的技術者に学力的観点ではないしっかりした資格が与えられるようにする。

教育学部を改革し、もっと実際的な教育者を、大学院まで教育養成し、教師のレベルと社会的地位を上げさせる。インターン生を大量に雇い、生徒対教師の比率を下げる。もちろん地域ボランティアも積極的に活用する。この中で、教育に適するものをその仕事によって判断し正式に採用してゆく。

こうして縮小化された文科省には、最低5年の教壇経験がある者を入省させ、やがてキャリアー官僚をすべて追放する。

以上が私のおおざっぱな私案であるが、メディアが沈黙する理由が読者にもお分かりのことと思う。以上は全く実行不能で、「冗談」としか言いようがないだろう。読者諸兄のご意見を請う。