2007-10-05 検定
_ 検定
また検定歴史教科書の記述問題が揺れている。沖縄戦で日本軍による集団自決強要はなかったというのである。沖縄で11万人がデモに参加したというから、国外韓国や中国の批判も、国家による「検定」を非難していたことが再確認されよう。共通項は第二次大戦における歴史認識についてであることである。
東アジアで民主主義が最も発達しているのはおそらく我が国であろう。同様に西アジアではイスラエルである。イスラエルでは、言論の自由が保障され、政治は選挙による完全民主制によって行われている。
私は日本国憲法で最も素晴らしいところは、言論の自由が保障されたことだと思う。これはもし我が国の上層部が自分で起草した場合、到底加えられるはずがない条項だと思う。これだけは国民の「いただき得」だったと強く思うところである。
民主主義は、言論の自由が保障されなければ成立しない。言論によって悪しきが破れる仕組みがなければ成立しない。
日本人は、全体集合概念の「地獄」の逆が、部分集合概念である「極楽」としても気づくことのなかった論理性に一枚欠ける民族である。だからこそ、上層部が自らの非論理性を自覚しない時、それは体勢の危機に向かうことになろう。
民主主義国家で、「検定」はあってはならない。教師に対する特定教科書の押しつけもあってはならない。学者知識人や教師たちは、一般人よりも常識的な人たちの集合だろう。もしウソ八百を教えればたちどころに信用を失う。
私は検定の問題など、長い歴史全体から見れば瑣末的事項の一つだと思う。ただ問題なのは、そこに、憲法に反して、自由な記述が許されないことである。
いったいこれを決めたのはだれであろうか。検定委員が全員並んで責任記者会見するべきであるが、賛成したと思われる男の一人は大恥をかいて入院中である。
検定は廃止されるべきである。その方が良い教科書がたくさん生まれる。
検定は廃止されるべきである。なぜかと言うと、それが言論の自由と論理矛盾するからである。