2007-10-23 「禅問答」
_ 「禅問答」
猫の額と同様、もとは自分がまいたタネなのであるが、我が家の会話は完全「禅問答」である。
滅多にない夕食の席で、私が何か言ったとする(これは単なる「何か」であって、「何でも」同じなのである)。
娘「今日学校で、『哲学科を目指したい』って言う友だちがいたから、『それだけは止めなさい』とアドバイスして上げたわ」。
息子「バカにバカと言われてもバカとは認識できない」。
先日ある新聞から、「有名人の子育ての現場を特集しているコラムなんですが、先生のご家族にご登場願えませんか?」という取材申し込みがあったので、当然断られるとは思ったが、一応、いささか民主主義的にその旨をさりげなく「家族会議」にかけると、先ず全員同時に腹を抱えて大爆笑。ややしばらく笑って息子が絞り出すように、「見本にならね〜!」と漏らすと、一同また弾けるかのようにさらに大爆笑。つい気の弱い私も、「ファシズム」はコワいし、体裁上笑わざるを得なかった。
信じられないことに、私の家族は私の本を全く読まない。
娘は志望に通らなかったら浪人する方向性である。当然私は「最低点法」を提示して現役合格を目指すように主張する。すると我が家の「絶対権力者」が、「早生まれなんだからゆっくりやればいいのよ」と、せっかくの「炎」に砂をかぶせる。思わず反論すると、「二年も浪人した人間にそれを言う資格はない。」と大学付属校育ちの苦労知らずの「女王」がほざく。
この家族の前で目を閉じることは絶対にできない。なぜなら、およそ信じられないことに、彼らの「趣味」は、携帯電話で私の頭頂部の写真を撮り、私のいないところでそれを見せ合って自慢し合うことなのである。
それには、「南極大陸」、「ホワイトホール」、「不毛地帯」‥…なんとも心ないタイトルがつけられている。
つい先だってまで、「回転お好み焼きやチェーン店」経営を夢見ていた息子は、現在は、「断然国家公務員。刑事課長になって、スーツを着て、ロープをくぐって現場に入ることが夢」と、平気で口にするから、単なる「バカ」である。
私は、私以外の、この非常識な人間たちが社会で受け入れられているとは到底信じがたい。
しかし、現実は悲しい。彼らは、「常識人」で通っているのである。
私は迫害される「ユダヤ人」と友達になろうと思う。
「冗談」が恒常化した時、それは最早「それ」ではない。
我が家は全く持って「世間」の参考にはならない家庭である。