ブイネット教育相談事務所


2007-12-08 吉野家牛丼

_ 吉野家牛丼

PISAについて書きかけたが、やっぱりこちらの方を優先して先に書くことにした。

私は吉野家の牛丼を当面食べないことにした。

そもそも私はファーストフードが大嫌いで、西荻南口の「笠置そば」以外は滅多に口にしないが、吉野家の牛丼は、忙しい時に、「並み卵お新香みそ汁付き」で、年に2回くらい食べることがあった。

私には下着をわざわざユニクロで買うことに快感を覚えるという、女房の顰蹙を買う庶民感覚がある。それは安いからではない。最低ラインで庶民感覚を共有することが好きなだけだ。みんなと同じパンツを着用することはえも言われぬ快感である。ちなみに西荻超安飲み店「戒」を愛用するのもこの感覚と同じである。都立高出身の私は、自分が「庶民」の一人であることを確認することに快感を覚えるのである。

マクドナルドは不味過ぎて食べられないが、吉野家ならたまに食べてもかまわない、と思っていたが、今回、「超大盛り丼問題」で、二度と食べないことを決意した。

一連の賞味期限切れなどの食品問題には辟易したが、それとは全く関係がない「超大盛り問題」をマスコミが大きく取り上げ、その結果、吉野家ホールディングスが、「厳正処分」を発表するのは、超いただけない。

これは単なる若者の「ジョーク」ではないか。「超大盛り」を食べてみたいというのは、あの超薄切りの牛丼を食べれば、多くの若者が望むところであろう。だからこそこのジョークがあったと思う。

本来、お腹がすいた若者こそが、吉野家のお客であるはずだ。そしてその店を支えるのは、同じく若者のバイトであるはずだ。その若者のジョークに目くじらを立てる大人もいただけなければ、それを「ニュース」として取り上げて歓ぶマスコミも質が悪い。いったい彼らが誰に迷惑をかけたというのだ。さらにはそれを受けて、「厳正処分」を発表する吉野家が、ビジネス戦略に則って、「処分」を発表するのは、若者にはミエミエであろう。吉野家は、「危機管理」の意味が全然分かっていない。若者よ、私に続いて、吉野家が謝るまでは不買運動を展開しよう。

私だったら、「ジョークを本物に!若いお客様のご期待にお応えして、超大盛り豚丼500円!」と新ビジネスを展開するところだ。

自分たちがろくでもない不正を行って、「記憶にございません」とやって平気でいるのに、若者が何ら害のないジョークを行うと、それを「厳正に処分」する。これでは若者が浮かばれない。

これは、関東学院大麻問題にも通じる。大麻はすでにオランダなどではほぼ解禁。イギリス、アメリカでもほとんど問題にならない。我が国では、「神宮大麻」として、伊勢神宮のブランド品である。そんなに騒ぐほどのことではないはずだ。本質的に害があることが明らかである覚醒剤やヘロイン使用とは異なる問題だ。

法律に反することをするのは良くないが、過剰に捜査して、部活そのものを禁ずるのはキチガイ沙汰である。「連帯責任」なら、大学全体が入学試験を取りやめるべきである。そうでなければ、自衛隊や防衛省が連帯責任で活動を停止するべきではないのか。そうでなければ、薬物や大麻で作ったことが明らかのビートルズを代表するロックや文学や美術作品を完全否定するべきであろう。モロッコ産のハッシッシがなければ、ヴォードレールの文学や印象派などの絵画作品ががあり得なかったことを、もっと積極的に報道するべきではないか。

マスコミの書き方もよろしくない。過剰な処罰が、かえって学生や若者の大人への反感や絶望を大きくすることを憂慮すべきである。人権無視の「婦女暴行」なら、連帯責任に結びついてもしかたがないとも思う。だが、若者の「逸脱」について、過剰に取り上げてこれを楽しむのは大人のするべきことではない。高校野球についても同様である。

せめて春口監督には、辞任会見で、「法を犯すことは良くないが、将来ある若者を、必要以上に苛んで欲しくない。」と言って欲しかった。これまで懸命にスポーツに打ち込んで来た若者を、たった一回の「過ち」で、社会全体で悪者扱いすることを、若者たちがどうとるのか、もっとまじめに考えて欲しかった。

この若者たちが、反社会的になることは当然のことだろう。彼らは大人社会そのものを否定する方向に走ってしまうことだろう。

形式だけの謝罪や処罰に若者が辟易していることを、もっと大人全体が自覚的になるべきではないのか。高学歴者の高給団体のマスコミにももう少し度量が欲しかった。

話が逸れたが、私は若者の「敵」の吉野家には当面入店しないことにする。

以上、当然のように、「冗談」で書いた。