2007-12-31 穀物
_ 掉尾にて読者に重ねて御礼申し上げる。
筆者にとって、本年はかってない多動の年であった。
新年に新居引っ越しをした。初めて多額の借金をしたが、どういうわけか同時に出版物がかつてないほど売れ始めた。リライトされていることを考えると、売れているのはソフトやコンセプトのせいであると思われる。相変わらず「当たり前」のことが受けるので、あまり「手応え」がない。
4月に長年療養した父親が他界した。「謝」の一言である。彼の「寛容」がなければ、今日の私はなかった。同時に第二子(♂)が中学生になった。彼はバスケとラグビーの両天秤である。
その後、顧客出版雑誌講演と相次いで、切れ目なく「人生最多忙」を味わった。人に逢い過ぎである。しかし、振り返れば、私が、私とは何ものかと問いかけるところの私であることにはかわりがない。
「愚か者」を、心底自認する私には、大衆社会の「地すべり」は、お笑い沙汰ではない現実である。
権益保存のために、できるだけ覚醒させない方向性は何と世論と一体化した。日本の株価の下落は、外国人が実際接する日本人エリートの程度の悪さに対する「見切り」とも言えよう。
「植民地」から抜け出せないのであれば、その状況下における自らの「旨味」を追求することが生存的に正しいと思う人が大多数になりつつある。これは、地球環境問題を軽視する(誰かがこの問題を解決してくれるという消極的な思想)国際的方向性とも一致する。
でも「関係」ない。最もひどい目に遭うのは、その「準備」のない「下層」である可能性が高い。「危機管理」とは、子どもをキャンプに連れて行くことである。芸術などの「暇つぶし」の手段を体現させることである。文章を含めた表現活動を行わせることである。
未来認識が混迷化するとき、既成の価値は効力を喪失する。最下等の穀物を粉にして油で揚げたスナック菓子のようなものである。人々は簡単に「家畜以下」になる現実的宿命にある。
人類はなぜ進化したか?それは、火の使用により「種」である穀物を大量に食べる習慣を持ったからである。タネは遺伝子情報の集積である。優れた穀物は、それを食むものの文化の進化を保証する。したがって、良質の米がいかなる値段になろうが関係ない。完全無農薬有機アイガモ玄米なんて食べているものが一番リッチであることは明らかである。優れたタネ=穀物を食らわずして類人猿の最先端を走ることはできない。だから農家にもっと質の良い米を大量に作ってもらうことはいいことなのだ。しっかりした備蓄に余れば、それを食糧難の地域に寄付してもいいではないか。
正月といえば餅米。これほどリッチなものはない。お餅よりうまいものが、最上質のパン以上にあり得ようか。
穀物は無限大に美味である。
高品質の米を使った煎餅はウマい。
ゆえに、このことを追求すれば、能力のあるものは全て「リッチ」になれる。しかし、「皮肉」なことに、それには、「味わう能力」=感性がなければあり得ないのだ。
ここで、Happinessが、感受性に保障されることが明らかになろう。
Happinessは、知的に了解されるものではなく、感覚的に感受されるものなのである。
「差別化」の無意味化。
新しい年は、宗教や政治を越えた、「人間としての納得」をより深く求める時代になろう。
読者にとってもまた、「乾坤一擲」の年であることをお祈り申し上げる。