ブイネット教育相談事務所


2007-12-10 PISA

_ PISA

経済協力開発機構(OECD)の学習到達度調査(PISA)結果で、15歳時点における日本の生徒たちの、科学的思考能力の学力低下が再度確認された。

これは、知識よりも思考力が問われる記述解答型のテストで、センター型の選択肢試験が依然として中心的な日本の子どもには苦手なものであったためであると考えられる。

しかし、私は最大の問題は、読解力=国語リテラシーが依然として低迷する傾向に現れていることであると見る。

前回当ブログで明らかにしたが、国語力(音読力、作文力)をつけると、理社もできるようになるのである。当然社会科学的な思考力や、科学的応用力も伸びるのは当然のことだろう。

各国ごとの言語が異なるのに、どうやって言語了解能力の違いを審査できるのかは謎だが、私の目から見れば、国語力の低下は一段と大きくなり、高度な事柄の学習能力は減退する一方であるのは確かなことだと思える。

しかし、子どもの国語力が低下するのは、単に学校教育の低下のためだけではない。教師たちを含め、社会全体の大人の国語力が著しく低下していると思われるのである。日常の会話力の低下もさることながら、拙劣なテレビ番組、マスコミの報道姿勢の程度の悪さは年を追って強まっている。

不肖私も、「先生の言葉そのままでは難しくて読者がついて来れない」と、リライトを要求されるのは常のことである。親たちからは、「言葉がポンポン口をついて出る松永先生と会話すれば、塾や学校の先生の言葉は簡単に理解されるようになるのは当然だ」と言われて久しい。ということは、その子どもの周囲の誰もが子どもの国語力を高めるような会話が出来ないことが暗示される。

私は、センター試験を導入した文科省の中心目的は、国民リテラシーの全体的低下であるとかねてから主張して来た。暗記中心の教員採用試験も同様である。だからこそ、「指導者」たちの国語力が低下しているのである。これは、漢字を禁じた韓国政府同等、難解なマルクスなどの左翼哲学書を読めなくする「国策」であったと思われるが、ついでに指導層、マスコミを含めた国民全体の国語力低下を招いてしまったとは皮肉としか言いようがない。

もう一つ国語力の低下の原因がある。それはテレビである。どこの国でも革命が起これば先ず占拠されるのはテレビ局であるが、テレビの持つ力はまことに大きい。中国、北朝鮮を見ても、テレビは国民統制の重要な政治手段であることは明らかである。近くは小泉/飯島のポピュリズムが記憶に新しい。テレビモニターの視聴は、読書と同時存在できない。読書しなければ、やはり国語力は減退せざるを得ない。

生徒の一人が言った。

「学力では台湾に負けたが、野球では台湾に勝った。」

学力と野球を同じ次元で扱っても無意味であるが、大衆にそれを感じさせないのがテレビである。

最後になるが、米国、ドイツ、フランス、イギリスなどの資本主義最先端国でも、学力上位国に顔を出すものはない。ということは、消費の盛んな国家では、上下の学力格差が大きいことが分る。つまり学力の高い層が、低い層にモノを上手に売っているということが理解される。やはり、我々の豊かさは、一定数の低学歴層、すなわち、国語力の低いものによって支えられていると言えるようだ。そしてこの人たちは、所得減税よりも消費税増税を「社会民主的主義的」に願うのである。私はこれを大変興味深いことだと思う。

以上言論の自由に基づいて、「冗談」で書いた。