2006-06-02 大阪の女性
_ 大阪の女性
今日仕事で大阪に行って来た。
最近歳のせいか、女性が美しく感じられる。特に若い女性は70%近くが美しく感じられ、彼女たちの彼氏を羨ましく思ったりする。
これは妙なことである。若い時には、そんなに美しいと思う女性はいなかった。分別がついて、下らないものは「下らない!」と分る歳になって、自然を代表に、美しいものをすぐに美しいと思っている自分に気づく。
しかし、サルのメスを美しいとは思わないから、人間の女性の美しさは格別のものなのであろう。
大阪の女性は美しかった。何と言ったら良いのだろう。東京の女性よりも「フェロモン」が無理なく自然に出ている感じなのだ。
女の人だって男がいなければつまらないよね。
男だって女の人がいなければ話にならないよね。
痴漢とかセクハラとかのバカなことをする男たちのせいで、またちょっと女性たちが思い上がり過ぎてわがままになったせいで、男と女の社会的な「接触」は確実に少なくなっていると思う。SMが流行ることを納得すると同時に、それを行う人たちを子どものようにも思う。
女性に、「きれいだね」とか「可愛いね」とか言うことはセクハラなのであろうか。フェミニズムはブスであることから起こったと言う人がいるが、もし「ブス」が男が近寄る気にならない女性のことを言うのであるならば、限りなく接触の可能性のない人が、「セクハラ」を叫ぶのは、論理的に当然のことであり、ここで急遽、フェミニズムとは、女性が愛されないことの悲しみを訴えていることのような気がしないでもない。
これは女性が男性に知性を求めていることなのであろうか、それとも動物性を求めていることなのであろうか。これには答えが出ない。
大阪の女性の方が「正直」なのである。
彼女たちの方が「標準語」に呪縛されてないのである。
2006-06-04 家族連れ
_ 家族連れ
いい忘れたが前回のも冗談だが今回のも冗談である。
相変わらず街で私に不用意に声をかけて来たものは、たとえ警察官であろうが、手痛い返り討ちにあわせている。警察官に、軽い問答の末、「じゃあボクはどうしたらいいんですか」と嘆かせたこともある。そのせいか、最近勘のいい警察官たちに全く声をかけられないので少々物足りなく思っていた。また、この行動は予めの用意なしに行われるので、自分でも意外な対応をするのが楽しみであったのであるに。
今日、百年ぶりで家族と夜食事に出た。御殿山のスペイン料理に行くのであるが、途中には風俗の呼び込みが無数に立つ。
もうとっくに崩壊している私の家族は、私と一緒に歩くのが嫌らしく、いつも私の10メーター以上後方を歩く。これは私が歩くスピードが速いためではないかと一時疑って何回か歩調を遅めて見たりもしてみたが、決して10メーター以上近づくことはないので、意図的であることが分る。
さて家族の前10メートルを行くと、スーツ姿の無数の呼び込みたちが近寄って声をかけてくる。家族と逆である。
「キャバクラいかがですか?お一人様今すぐご案内です。」
私は答える。
「家族連れなんだけど。」
「はっ、家族連れですか?」
相手は後方に去る。
こうしてやり過ごして行くと、何回か後で、後方でどっと笑う声がする。
家族連れである。息子が笑いこけて近寄る。
「お父さん、家族連れって言ったでしょ。後ろの人に報告していたよ。」
「笑っていたか?」
「いやマジな顔だったよ。」
私はまた少し憂鬱な気分になって、前を向いて歩き続けた。
2006-06-08 随々ズイッコロ随想
_ 随々ズイッコロ随想
冗談でばかり書いていると、つい本当のことを書きたくなるが、実は紙の上に現実のことを写すことはそもそも現実的に不可能という認識により、相変わらず「冗談」のつもりで書き進める。
私が、日本人社会の一員として組織に属さない人間になることを自ら選んだのは、おそらくは21歳のときの体験が起点である。
インド、パキスタン、アフガン、イラン、トルコ、と、アジアの国々を陸路横断している時に、人々の顔と生活の仕方に決定的関係があることが了解された。人々が集団で構成する「顔」は人々の生活の有り様そのものだった。そして、今さら驚いても何にもならないが、当時の私が何よりも驚いたことは、大自然に密着して生活するものほど、年老いるのは早いが、男は歳経るごとに美しい顔になって行くという事実である。
私は日本の都会生まれの都会育ちである。アジア一豊かな街東京で、いい顔をした大人に出会うことなど滅多にあることではなかった。ということは、彼らの選択した生活が間違っていたということである。もしかすると彼らの多くは幸福ではない道を選んでいるものたちであるかもしれないのだ。
私は「社会」に属さないことに決めた。日本人社会組織に属さないことにした。そもそもこれは、哲学科進学を決定した時にすでに定まっていたことが再確認されたに過ぎないと言えるのかもしれない。
社会に属さないものたちは、芸術家たちだった。しかし当然のごとく、これほど非生産的な社会存在もない。私は子どもたちを抱え積極的に収入を増やす、つまり、働く時間を長くする必要があった。私にも親鳥の本能があってしまった。
こうして,何かに所属することから身につけざるを得ない先入観からできるだけ解放されて生き続けると、期せずして、同一範疇に納まらない様々な興味深い,どうしても素通りできないことに出逢うことになる。カタカムナ音読法、抽象構成作文法などの日本語能力活性化メソッド。月の遠近WAVE利用。神社の波動的見地からの再規定。サイコロ学習法。能力向上に柱をおいた新しい教育観。宗教の客観化。メディテーションの重視。芸術活動の存在の必要性。これらのことの背後に,いくつもの哲学的な考察体験がある。そして、この観点からすると、現在の我が国で行われている教育が未来方向性から大きく外れたものであることがはっきりと浮かび上がってくる。
いろいろのことをやっている、良くわけが分からない人。昔からそういわれるが、今もそれは変わらない。ただ現在最も強く思うことは、自分も子を持つ親の一人として、未来社会を担う子どもたち全員に、もっと意味のある教育を与えようとしなければならないということだ。学べば学んだだけ賢くなるようでなければ教育とは言えないと私は思う。これまで以上に、眠りかけた人たちの目を覚まさせるためによりいっそう大声で音読して行きたいと思う。とにかくまず英会話の授業より、日本語古典音読学習導入を優先して欲しい。深刻でっせ,この問題は。
2006-06-11 わたしの一日
_ わたしの一日
今回は,冗談でも「冗談」でもない。
現在多く中学入試国語記述のコツのコツを親御さん同伴で教授しているが、すると、面白いくらいやけに利発な妹さんがついて来ることが多い。以下は小学一年になったばかりの少女が私宛に作って来てくれた絵本の文章である。この子はいまだ「モーツァルトな状態」にあるといえまいか。
_ わたしの一日
_ こんにちは.わたしの名まえはMIYUです。これからわたしの一日をおはなしします。
まずよるからです。
きょうもよる、みゆは「おやすみ」っていってねます。
うさぎのぬいぐるみをだいてねます。
みゆはねぞうがわるいので、いつもパパかママをけりとばしています。
おきたときにはもとにもどっていてわかりませんけど、おきてママのところにいくと、いつもパパかママをけりとばしているよっていわれます。
あさごはんをたべます。
がっこうにいきます。
がっこうがおわってからおひるごはんをたべます。
おにいちゃんがかえってきます。
おにいちゃんにいじめられます。
わたしはないてしまいます。
おにいちゃんがサピにでかけます。
よるにおにいちゃんがかえってくるまで、いえがしずかになります。
さみしいけど、みゆはママといっしょにあそんだり、うさぎのぬいぐるみとおままごとをしたり、あんさつごっこをしたりします。
いまでもうさぎのぬいぐるみをかわいがっています。いつも一日に一かいはぜったいにだきしめています。
ばんごはんをたべてはみがきをすると、ママにしあげをしてもらいます。
10じにパパがかえってきます。
それからパパがごはんをたべて、みゆとあそびます。
おにいちゃんは12じまでべんきょうしています。
わたしはねるよういをしておふとんにはいります。
うさぎのぬいぐるみをだいてねます。
「おやすみなさい」
2006-06-15 執筆体勢突入
_ 執筆体勢突入
4月中旬に上梓した本はやっと1月で2刷になったかと思ったら、その1週間後に3刷決定。驚いたのは、その刷数が2刷の倍、初版と同数になったことである。こんなことは初めてなので判断を停止して様子見をしていると、月刊誌から論文的な執筆依頼が来る。講演の予感もある。周辺では秋に向けての出版物の準備が複数進行している。この結果、ざっと計算してみると、通常の仕事以外に、この2ヶ月で原稿用紙約500枚見当の仕事をすでに抱えていることが分った。思えばひどい会社に就職してしまったものだ。この会社はほとんど唯一の従業員に、通常の相談指導業務、メソッド開発兼販売、出版物の執筆とその会議出席、大学教員、セミナー・講演、ホームページの文章管理、etcの全ての仕事を負わせているのである。しかも、これはいかな中国の農村でもないほどの搾取で、生産者には、まるで飼い犬が生きていける程度のドックフード代しか与えないのである。仕事に必要なのは遊びである。遊びに必要なのは暇と金である。私はすぐに組合を作り鉄壁の経営側と団体交渉に入ることにした。これでは、オチンチン力を全ての創造力の源に掲げている筆者のオチンチン力が遊び不足で枯渇してしまうという、言行不一致というきわめて非倫理的なことになってしまうではないか。誤解のない様に。このブログ、「冗談」にもどっているから。てなわけで、最早何が本業だかいよいよよく分らなくなってしまったが、この多忙の中で執筆体勢に入ってしまった。「夏休み」を儚く夢見て。金と時間の節約には、酒を控えるしかなさそうだ。そして出来るだけ歩くことだ。家人にも予告したが、大量に執筆するとアタマがまともでなくなるから、これまで以上に変な感じがしても、一種の『冗談』だと思って許して。
2006-06-18 キャロム(CARROM
_ キャロム(CARROM)
たった今、試合が決定された。
私は「イスラム聖戦者」と決定的な戦いを行うことになった。
期日は7月2日(日)。
時間は14時より。
場所は西荻V-net。
種目は言わずと知れたカラムボード。
これは四隅に空いた穴に自駒9個を先に叩き込んだ方が勝ちの実に奥が深いゲームである。
ご存知の通り、私は、TVゲームの代案として、このゲームを提唱して来た。集中力を増す教材として授業でも利用して来た。
このゲームは、インドなどで雨期の体育授業として用いられ、我が国では冬期越冬の南極観測隊が携行することで有名である。
「キャロム」と言う。
インドやバングラディッシュでは、成績として記録され、大学進学に欠かせない重要教育科目である。
対戦する「イスラム聖戦者」は、高校での成績は、全校(3000人中!)優勝決定戦に敗れた2位で、雷雨の研究で日本に留学中という。
私は、変幻自在の、「温帯モンスーンもののあはれ大和魂」で対戦する所存である。言うまでもなく、「同期の桜」とは異なるグローヴァル魂においてである
観戦入場料は無用である。
ただし、勤労留学生へのカンパはご自由である。
彼は積乱雲の研究のために日本を選んだバングラディシュ留学生である。
厳しいバイトの中で睡眠時間を削って働き学ぶ者である。
故郷にも仕送りしているに違いない。
しかし、何を言おうが、日本人として、妄想癖のムスリム教徒に黙って破れるわけにはいかない。
温帯モンスーンの雷の見事さを見せつけなければならない。
アッラーは、必ずしも、「至高」とは限らない。
彼らは最高法則の、自然や天界の波動の真の体現者ではない。
中国や朝鮮やインドネシアも台湾も、この戦いに参集して欲しい。
新たな国際親善の術となろう。
My rule and my ground.
これしか勝ち目はない。
加えて彼は日本生活に疲れているはずだ。
チャンスはある?
我々はフェアに戦いたい。
2006-06-23 雑感
_ 雑感
_ 最近考え続けていることがある。
もし我々が、何かを学ぼうとする時において、その教えてくれる相手が愚かであると思われた時、どういうことが起こるか?
相手から「技術」を学ぼうと思っている時、知能は関係ないからそのまま我慢して聞き続けられる。自分が知らない「やり方」を教えてくれるのであるから相手はまさしく「先生」である。
では、授業などの知能を向上させる学習をする時はどうであろう。相手の説明を聞いて、この思いが3回以上起こった場合、解説をそうは熱心に聞き取ろうとする気がなくなるのが普通だろう。そしてこれが連発されるとき、我々は学んでいるものそのものへの好奇心を失うのである。
職場ならばし方がない。我々は賃金を得るために組織に従属しているのである。いかに上司が馬鹿であっても、多くの場合それに逆らわない。
教師の職にあるものはどうであろう。
彼らは、組織人として、馬鹿らしいカリキュラムと、馬鹿らしい上司と、馬鹿らしい評定基準に順じなければならない。
できない仕事を、できない仕組みで、できない環境下でさせられようとしている。
これは教職者が長い長い「ストライキ」に入っていることを暗示する。
でもね、やはりちょっと不思議に思ってしまう。どうしてそのことと、今目の前にいる、将来を背負った子どもたちが関係あるの?
何も教育だけではない。自らの生活を支えるべき労働で、どうして積極的にエネルギーを投入しないことがあろうか。競争原理がなくとも、目の前の人のために最善を尽くそうとすることは、代価を得るのなら、医者も娼婦も自転車屋も同じである。
これは宗教や思想を超えた人間真理であると私は思う。ここでは、「代価」とは自分が活かされ続けることである。
目の前の子どもの多くがウンザリしていることを知りながらそのことを継続すること、これは愚かなことなのだろうか非倫理的なことなのであろうか。
オモロいことへの評価観点、つまり税金の代償の「サービス」であることを捨象するところが現行教育の最も大きい欠点である。
アタマに良くてオモロくなければ教育ではないと思う。
2006-06-27 音読法
_ 音読法
昨年9月から隔週で行って来た「日本語指導者養成講座」が終了した。全課程出席のものに認定証を発行する。この人たちは初心者向け音読指導が確実にできるようになった人たちである。これらの人たちは、学校教師、塾教師、幼児教育専門者、etcと教育に従事する前向きな人が多く、私に何かあってもこのメソッドを伝えて行くことが期待できる人たちである。
私のカタカムナ音読メソッドには、確たる科学的根拠がない。ただ結果的に学んだ人の国語力が確実に伸びることがあるだけである。
7月9日、1;00より、西荻ホビット村学校で、初心者向け通読会を開く。関心のある方は是非一度出席していただきたい(問い合わせ先はナワ=プラサード書店:03−3332−1187)。
またV-netでの「日本語音読指導者養成講座」は9月に新規開講予定ですので、この方も関心ある方は、V-net教育相談事務所(03−5382−8688)までご連絡下さい。
ただひたすら原稿を書く日々。遊ばないと気が狂いそうだ。
2006-06-28 大学院
_ 大学院
以下もちろん大いに冗談を含んで書く。
先日、高校の同期学年同窓会なるものに生まれて初めて出席した。
全体で集まって行動することがどうしても嫌いな私が出席したのはもちろ ん「取材」のためである。自分と同様に公立上級校進学を果たしたものたちの行く末がどうなったのかどうしても確かめたかったのだ。
約40%が出席。
その印象は、「敢えて貧乏くじを引かざるを得ず、その結果やや損はしたと思うものの、どうも世の中にダマされた人生をたどった印象を持つものが多い」というもの。
今ほどではないが、30年前の都立高生は、経済的に苦しいご家庭の子どもが多かった。要求通りに弁当を作ってもらっていた私には、前の日のおかずの残りを詰めるのが定番の同僚のお弁当には、なんとも不思議な思いがしたものだった。兄弟がいるものたちの多くは、早稲田や慶応より、各落ちの国立大学に進学したものだった。
今その集団内での、「勝ち組」、「負け組」が薄らと浮かび上がる。
勝ち組の筆頭は、弁護士や医者と言った「高給国家試験」に通ったものたちと、貧しいながら学者になったものたちである。負け組は、一流大学を経て一流企業に入って、そのまま独立することがなかった連中である。彼らの多くは、生活のために高学歴を得、大卒後即就職し、真面目に努め、世代交代した人たちだった。
かつてあれほど優秀だった人間たちが、組織に入ることにより、その「制約」に従い、本来の自己開花を迎えないまま老齢に至らんとしている。
私は私が劣等生だったゆえに、かれらのことを、誠に僭越ながら、「もったいない」と思わざるを得なかった。もし彼らが、私と同様の海外体験をし、私同様の「日本人社会の客観化」ができれば、その多くは、既成の路線を選ばずに、充分に成功する能力を持っていたと思う。このことは私の父親にも当てはまる。他ならぬ私は、出世の早い我が父のサラリーマン生活のむなしさを見て、敢えて世間を拒み哲学科に進学し、敢えて就職せずの今日に至っているのである。私は「勝ち組」ではないが、断じて「負け組」ではない。負け組ではないとは、自らの未来への価値判断を自らの判断で行えた者たちである。
このことを社会学的視点で抽象化すると、大学院、乃至はそれに準ずる過程を経るだけの経済的基盤を持った家庭の出身者の勝ちということである。もちろんこれは現在の東大生に象徴される。
大学院も、医者も弁護士も、海外留学も、全て親の年収の規制を受けざるを得ない。かつての「世間並み以上」であれば良いという価値観に制約された者たちは、ほとんどが自己実現の代わりに労働提供に埋没したのである。
私は3年遅れで哲学科を卒業して就職しなかった。一見勇気のある選択であるが、親がそれを容認できなければあり得なかったとも言える。そして、私の親も、その後の私の芸術活動を後押しできるほどの経済力はなかった。
以上のことから演繹するに、大学進学を目的にして、大学院的なその先を選べなかった者は圧倒的に損をしているという事実が浮かび上がる。聞けば東大の大学院は、能力はないが財力があるために、就職する気がないから進学した者が大半だそうだ。
どうやら、私たちの社会ははっきりと階級を作りつつあるようだ。そしてこのことからの逸脱は、学問芸術か、高級資格修得か、自ら起業の選択しかないようである。このことが予め分らないご家庭の子どもは、労働者階級を選択せざるを得ないことになると言えそうだ。
私の級友たちは私よりも遥かに潜在的な能力がある優秀なものたちだった。彼らの多くを「まっ仕方がない」と思わせた国家戦略はさすがである。私はあまりに「劣等」であるがゆえに「国家戦略」に乗れなかった。人の人生、何が幸いであるか本当に分らないものだ。
現在の私の境遇も、自分の子どものために時間給1万円以上の家庭教師を雇うことはできない状態であるが、子どもには大学院を視野に入れるような将来設計がないと今社会では損したことになることは予め伝えるつもりだ。
価値観を持つことは、優秀さや学歴とは関係ないことを実感させられた「取材」だった。
会の最後に、校歌斉唱のとき、私は、後部座席に座り煙草を吹かす自分を認識した。集団を嫌うこと、こればかりは3歳から変えることのできない習癖である。