2006-06-28 大学院
_ 大学院
以下もちろん大いに冗談を含んで書く。
先日、高校の同期学年同窓会なるものに生まれて初めて出席した。
全体で集まって行動することがどうしても嫌いな私が出席したのはもちろ ん「取材」のためである。自分と同様に公立上級校進学を果たしたものたちの行く末がどうなったのかどうしても確かめたかったのだ。
約40%が出席。
その印象は、「敢えて貧乏くじを引かざるを得ず、その結果やや損はしたと思うものの、どうも世の中にダマされた人生をたどった印象を持つものが多い」というもの。
今ほどではないが、30年前の都立高生は、経済的に苦しいご家庭の子どもが多かった。要求通りに弁当を作ってもらっていた私には、前の日のおかずの残りを詰めるのが定番の同僚のお弁当には、なんとも不思議な思いがしたものだった。兄弟がいるものたちの多くは、早稲田や慶応より、各落ちの国立大学に進学したものだった。
今その集団内での、「勝ち組」、「負け組」が薄らと浮かび上がる。
勝ち組の筆頭は、弁護士や医者と言った「高給国家試験」に通ったものたちと、貧しいながら学者になったものたちである。負け組は、一流大学を経て一流企業に入って、そのまま独立することがなかった連中である。彼らの多くは、生活のために高学歴を得、大卒後即就職し、真面目に努め、世代交代した人たちだった。
かつてあれほど優秀だった人間たちが、組織に入ることにより、その「制約」に従い、本来の自己開花を迎えないまま老齢に至らんとしている。
私は私が劣等生だったゆえに、かれらのことを、誠に僭越ながら、「もったいない」と思わざるを得なかった。もし彼らが、私と同様の海外体験をし、私同様の「日本人社会の客観化」ができれば、その多くは、既成の路線を選ばずに、充分に成功する能力を持っていたと思う。このことは私の父親にも当てはまる。他ならぬ私は、出世の早い我が父のサラリーマン生活のむなしさを見て、敢えて世間を拒み哲学科に進学し、敢えて就職せずの今日に至っているのである。私は「勝ち組」ではないが、断じて「負け組」ではない。負け組ではないとは、自らの未来への価値判断を自らの判断で行えた者たちである。
このことを社会学的視点で抽象化すると、大学院、乃至はそれに準ずる過程を経るだけの経済的基盤を持った家庭の出身者の勝ちということである。もちろんこれは現在の東大生に象徴される。
大学院も、医者も弁護士も、海外留学も、全て親の年収の規制を受けざるを得ない。かつての「世間並み以上」であれば良いという価値観に制約された者たちは、ほとんどが自己実現の代わりに労働提供に埋没したのである。
私は3年遅れで哲学科を卒業して就職しなかった。一見勇気のある選択であるが、親がそれを容認できなければあり得なかったとも言える。そして、私の親も、その後の私の芸術活動を後押しできるほどの経済力はなかった。
以上のことから演繹するに、大学進学を目的にして、大学院的なその先を選べなかった者は圧倒的に損をしているという事実が浮かび上がる。聞けば東大の大学院は、能力はないが財力があるために、就職する気がないから進学した者が大半だそうだ。
どうやら、私たちの社会ははっきりと階級を作りつつあるようだ。そしてこのことからの逸脱は、学問芸術か、高級資格修得か、自ら起業の選択しかないようである。このことが予め分らないご家庭の子どもは、労働者階級を選択せざるを得ないことになると言えそうだ。
私の級友たちは私よりも遥かに潜在的な能力がある優秀なものたちだった。彼らの多くを「まっ仕方がない」と思わせた国家戦略はさすがである。私はあまりに「劣等」であるがゆえに「国家戦略」に乗れなかった。人の人生、何が幸いであるか本当に分らないものだ。
現在の私の境遇も、自分の子どものために時間給1万円以上の家庭教師を雇うことはできない状態であるが、子どもには大学院を視野に入れるような将来設計がないと今社会では損したことになることは予め伝えるつもりだ。
価値観を持つことは、優秀さや学歴とは関係ないことを実感させられた「取材」だった。
会の最後に、校歌斉唱のとき、私は、後部座席に座り煙草を吹かす自分を認識した。集団を嫌うこと、こればかりは3歳から変えることのできない習癖である。