ブイネット教育相談事務所


2006-06-08 随々ズイッコロ随想

_ 随々ズイッコロ随想

冗談でばかり書いていると、つい本当のことを書きたくなるが、実は紙の上に現実のことを写すことはそもそも現実的に不可能という認識により、相変わらず「冗談」のつもりで書き進める。

私が、日本人社会の一員として組織に属さない人間になることを自ら選んだのは、おそらくは21歳のときの体験が起点である。

インド、パキスタン、アフガン、イラン、トルコ、と、アジアの国々を陸路横断している時に、人々の顔と生活の仕方に決定的関係があることが了解された。人々が集団で構成する「顔」は人々の生活の有り様そのものだった。そして、今さら驚いても何にもならないが、当時の私が何よりも驚いたことは、大自然に密着して生活するものほど、年老いるのは早いが、男は歳経るごとに美しい顔になって行くという事実である。

私は日本の都会生まれの都会育ちである。アジア一豊かな街東京で、いい顔をした大人に出会うことなど滅多にあることではなかった。ということは、彼らの選択した生活が間違っていたということである。もしかすると彼らの多くは幸福ではない道を選んでいるものたちであるかもしれないのだ。

私は「社会」に属さないことに決めた。日本人社会組織に属さないことにした。そもそもこれは、哲学科進学を決定した時にすでに定まっていたことが再確認されたに過ぎないと言えるのかもしれない。

社会に属さないものたちは、芸術家たちだった。しかし当然のごとく、これほど非生産的な社会存在もない。私は子どもたちを抱え積極的に収入を増やす、つまり、働く時間を長くする必要があった。私にも親鳥の本能があってしまった。

こうして,何かに所属することから身につけざるを得ない先入観からできるだけ解放されて生き続けると、期せずして、同一範疇に納まらない様々な興味深い,どうしても素通りできないことに出逢うことになる。カタカムナ音読法、抽象構成作文法などの日本語能力活性化メソッド。月の遠近WAVE利用。神社の波動的見地からの再規定。サイコロ学習法。能力向上に柱をおいた新しい教育観。宗教の客観化。メディテーションの重視。芸術活動の存在の必要性。これらのことの背後に,いくつもの哲学的な考察体験がある。そして、この観点からすると、現在の我が国で行われている教育が未来方向性から大きく外れたものであることがはっきりと浮かび上がってくる。

いろいろのことをやっている、良くわけが分からない人。昔からそういわれるが、今もそれは変わらない。ただ現在最も強く思うことは、自分も子を持つ親の一人として、未来社会を担う子どもたち全員に、もっと意味のある教育を与えようとしなければならないということだ。学べば学んだだけ賢くなるようでなければ教育とは言えないと私は思う。これまで以上に、眠りかけた人たちの目を覚まさせるためによりいっそう大声で音読して行きたいと思う。とにかくまず英会話の授業より、日本語古典音読学習導入を優先して欲しい。深刻でっせ,この問題は。