2006-09-03 火あぶり
_ 火あぶり
単行本原稿は9月に入って予想通りどちらも「一週間位なら何とかなります」と言って来る。
私は仕事が速い。しかも締め切りを正確に告げるレトリック読み取りにも強い。さらには「言い訳」の材料を抱え切れぬほど持っている。
「正論」10月号に、「文科省にこれだけは言っておきたい」(タイトル編集部決め)で「『冗談』秀作」過激に書いた。もし私の家が火事になることがあったら、その時は火をつけたのは文科省の天下り法人のコマンドであると思っていただきたい。
以下、夏休み掉尾の母子の会話。
外で遊んで帰って来るなりマンガ単行本を読み始めた小六の子どもへの、洗濯物をたたみながらの母親の呼びかけから始まる。いくら何でもひど過ぎる。彼らはこれも私が家にいるせいだと声を揃える。
_ 「Kちゃ〜ん、あんたもう学校なんだから、計算練習の宿題くらいちょっとやりなさいよ。」
「ケッ、やだだし」
「なんですって、すぐやりなさいすぐに、さあすぐにマンガ置いて!」
ここまではいつもと割りと同じ。しかし、この後がスゴい。そしてその後はもっとスゴい。
子どもマンガから目も上げず、
「知らないの、最近そんな言い方すると、家に火〜つけられちゃうんだと・・・」
我が『天敵』は、もちろん最後までしゃべらせなかった。しかし怒りもしなかった。怒りはなしに、だがはっきりした口調で言った。
「ハハッ、そんなことしたら即座に火あぶりさ。さあ早くやって頂戴」
息子はマンガを置いて立ち上がった。
私以外の家族全員が私が存在するために我が家の会話がこのようになったと結論している。
私は彼らがそもそもの人間性の卑しさのためにそうなってしまったと判断している。
以上全て『冗談』で書いた。
_ 読者に秋の訪れのお祝い申し上げます。
_ 重陽の 想いが重い 月のかげ (冗兆)
2006-09-14 房窓より
_ 房窓より
読者に慎んで秋のご挨拶申し上げます。
相変わらず仕事、執筆、看病の三つが重なって、読者にいたずらにクリックをさせ続けて申し訳ありません。
最近いよいよ原稿作業の質と密度ではなくて、量と時間が増えて、原稿の合間に他のことをするか、他のことをしながら原稿もやると言った状態に陥っている。これは酒飲みに喩えると、飲んでる合間に仕事をしている状態であり、いわゆる「中毒」状態になっていると言える。書き過ぎている人間は当然アタマが少し変になっている。長い付き合いだからなんとか制御することができるが、この状態で国語の指導を行うと、妙に冴える反面、すぐに脱線したくなってしまうのを押さえるのがなかなか大変だ。で、これをやると妙に気疲れしてしまい原稿を書くパワーが喪失される。仕方がないのでアルコールを飲みながら看病しつつ原稿を実家で書くが、長くは書けないで、病人からの呼び出しがなければそのまま2〜3時間寝てしまう。実家にヘルパーさんが来てくれて、自宅デスクで行う時は、デスク脇に布団が運んであって、書いて疲れるとそこに倒れ込み、目が覚めるとまた書き、その間にまたアルコール何ぞも口にし、疲れれば横になり,目が覚めれば机に向かう。そして仕事に出る。これで隣に温泉があれば言うことはない。う〜ん、やっぱりこの温泉が出て来るようだと結構切羽詰まっているんだよね。秋の法師温泉の湯舟がくっきりと脳裏に浮かぶ。普通この精神症状が来るのは受験で忙しい2月頃だもんね。ネットで調べると,我ながら何度も驚くが相変わらず本が良く売れている。もう8刷だか9刷だか忘れてしまった。5万部を超えたあたりで「ヤバい!」と感じた。図書館もあるし家族や友人もいるだろうから、10万人以上の人が私の本を読んでいることになる。実家近辺の本屋では仕入れる先からなくなってしまっているというから、過去の私を知っている人たちが読んでいる可能性が高い。これはコワイ。ウレシいけれどコワい。ていうわけで、この重圧を感じながら締め切りに追われているわけだが、私は思う。少なくとも,この状態を脱するためには、能力の進歩か新しいアイデアの着想が欠かせない。能力の進歩には努力の連続しかない。アイデアの着想には、良い景色と温泉が欠かせない。ハハッ、ダメだ。どうしてもここへ行く。後少しで一段落する。温泉を捨象して原稿へもどる。もたもたしていると次の本の締め切りがやって来てしまう。滅多に言葉を交わさない『天敵』に、「これが若い頃憧れた執筆生活かと思うと、笑うしかないな」というと、「ハハッ、本当だね」と笑う。現在時間14日午前11時だが、これから夕方まで一線に書く。多分それで出版社に送れる形になる。その上で仕事に出るのが本当に辛い。今夜は二人教えてその後実家に回る予定。今日は毛布を用意しないと危ないな。皆様も窓の開けっ放しなど、寝冷えにご注意下さいませ。ではまた。
2006-09-15 転末
_ 転末
あまりに前日書いたこととその後の予想事態が異なったために、これを記す。
あの後、集中して原稿総仕上げに挑み始めたとたんに、母より電話。聞けば、ついに、父が、「何言ってんだか分らない状態」とのこと。パソコンのスイッチを切って実家へ。医者、看護婦×2とつめている。医者が、「点滴を拒否なさるのですが」というので、ハヒハヒ状態の父親の耳元で、「点滴はしないのか?」と尋ねると、日本語流にクビを立てに数度うなづく。「点滴しますか?」には反応しない。「嫌なのか?」と言うと、はっきりうなずく。医者に、「どうも点滴は命の回復より回避される対象らしい」というと、やや聞いたことがない珍しい台詞を聞いたかのような顔をして黙って待ち受けるから、「本件は、本人が「家で死にたいという望みを成就するための過程であるから、本人の希望通りにしてやって欲しい。本人、思い残すことはない充実した人生の感慨を口にしている。」と言った。何と私は父親の死の意思を確認しているのだった。これはその場にいた母を含めた誰よりも強く、私と父との「男は働けなくなったら生きていてもしかたがない」の再確認でもあった。父は,祖父が亡くなったとき、「親父は地球の塩になった」と述懐した。塩とはミネラルのことであろう。つまり子孫を産み出せない男の肉体は、子孫のために完全燃焼して、さらに役に立つミネラルに還元されるということだろう。この日私は二つのことだけは聞き取れた。一つは、「何か飲み物を」と尋ねた時、「フィロワイン」と聞き取って、末期の病人に白ワインの水割り氷入りを飲ませて、「美味しい」と言わせたこと、もう一つは、仕事のために退席してまた夜10時過ぎに来訪することを告げたとき、「フィアノフィミニフィテイル」と言うのを、「楽しみにしている」と聞き取ったことである。アムス在住の妹も帰国することになった。死の儀式が整いつつある。儀式の合い言葉を,「人間の尊厳」と強く肝に銘ずる。ただ刻々と時間が過ぎ行くのみ。私は今、歌舞伎を見たら多分泣くであろう。しかし、こうして原稿を書き続ける。なぜだかなんて自分でも分らない。
2006-09-22 命
_ 命
日中の許せる暑さ。夜の涼しさ。最高の季節である。
娘の帰国で病人元気。指折る日数が増えて喜ばしい。
面白いことがある。
病院に入院する際もこれが問題になるのだが、病父は女性に下の世話をさせることを実に嫌う。若い看護婦は絶対ダメ。自分でトイレに立とうとしては問題を起こす。
結局、「許される」のは、母と私。この二人には一物を見せても良いらしい。
ところが、娘は絶対にダメなのである。最後まで娘にだけはチンコを触らせないのである。
この状態になってまでも・・と単純には思うが、ここが「尊厳」の難しいところなのである。
老人は、ボケ病でなければ、深い考察を持ちながらそれを身体的に上手に表現できないものたちである。ましてや身動きならぬ病床では、「分っている」のは他ならぬ患者の方であるに違いない。
「デリカシー」を失っている存在と見なされれば、最早そこに「尊厳」は限りなくない。老人は,デリカシーを表現しようとする。
人間の最後は、言葉が伝達できない状態に至る。
残るのは表情だけである。
周りのものが幸福に感じる笑顔。
まさしく病人は「幼児」に他ならない。
生きている限り周囲を喜ばす。
働けなくても、喜ばすことがあるのだ。
老父が自ら冷やした水をチュウチュウ吸う時、
私にはえも言われぬ快感が走る。
2006-09-24 「ワナ」
_ 「ワナ」
筆者の実家は、地図上で、JR中央線高円寺駅と西武新宿線野方駅を結んだ線上にある。
両駅間の距離は約1700mである。
例の「電光石火」で仕事を出版社に差し戻し、これが帰って来る間の約40時間のブランク。
昼間に病人を訪問すると、生活的なコミュニケーションが取れるので、夕方の授業までの合間、明るい時間に実家訪問。
病人顔色良い。
実家には、狭いながらも庭がある。
この庭は、春夏秋冬花が絶えることがない。地面にも木にも鉢植えにも何かしらの花が咲いている。
病人が退院したとき小振りだったサルビアは、次々と花穂を伸ばし、地にもその赤いラッパを散らしている。
なぜか、今日は,久しぶりで雑草が抜かれている。
するとどうだ。「ジャングル」の中に、新しく赤い花の色が見え隠れする。近づいてみて驚いた。庭の隅の、草や枝や枯れたものや咲き終わった植木鉢の中身の「堆積所」=(墓場)の奥に、見事なまでに渋く赤く鮮やかな彼岸花が、まるで宙を貫くがごとく屹立して、その冠のような姿を漂わせて群生しているではなかろうか。高さ50cm位に茎を伸ばし、およそ30本が絡み付くように、別世界を形作って咲き誇っている。まさに「桃源郷」である。
病人を驚かせようと思って、植木鋏を持って、うまいことポッカリ空いたかがみ込めば入れそうな穴の口から、半身を入れて3本切った。根元はアスパラガスのような力強さだ。そのときついでに気がついた。その辺りには黄色いクロッカスのような花が咲き誇り、その根元は極めて美味しそうなミョウガなのであった。
お互いに絡み合った彼岸花3本を花瓶に差して、病人に、
「彼岸花だ。すごいと思わない?こんなのが何十本も咲いているぜ。」
と言うと、病人は、花のすごさではなく、
「どうしておまえはそういうことを感じることができるのかね。」
と言う。
「ハッハッハ、そんなの当たり前じゃあないか。見ろよこの咲きっぷり。見事としか言いようがないじゃあないか。この庭は本当にいろいろなものが咲いているね。」
母に、「ミョウガに黄色い花が咲くの知っている?」と話しかけると、
「そんなことも知らないの。私は練馬の生まれだよ」と言う。
「あれ天ぷらにしたら旨くない?」
「さあね。八月からずっと咲いているからねあの辺り。なんか知らないけれどみんな勝手に大きくなって育っちゃうんだよ。」
肥やしをやって大きくなったものを、咲き終わると引っこ抜いて「墓場」に捨てる。
ところがこれらが枯れずに再生する。元々肥やしの固まりだから、異常に良く育つ。
今この庭の中央は、信じられないくらい巨大化した里芋の葉で覆われている。その手前には伸び切ったシソの山がある。
彼岸花の茎元の穴のところに行くと、あるわあるわ、そこら中超美味しそうにふっくらとした、まるでキノコのようなミョウガとその花の山である。夢中になってむしる。前の方、彼岸花の根元あたりにも沢山ある。上部より光差し込むそこはまさしく小さな「桃源郷」と言えた。
「ミョウガの親葉の生え振りと、彼岸花の生えぶりは似ておるわい。対向発生しているのだな。」と納得して、両手一杯のおいしそうなミョウガを穫る。
これをキッチンで、花を落としてきれいに洗っていると、やっぱりやられたらしい。
蚊である。*。超かゆい!
ミョウガを洗いながらも痒くて濡れた手で掻き始めてしまう。
「超痒い!」
「大げさな!慣れてないんだね」
そんなことはない。しかしそれにしても痒い。
「うるさいな。かゆみなんて初めのうちだけさ」
この人は,男の子の伸ばし方の本を読んだ方が良い。
ウナコーワを塗っても痒い。それに蚊なら、特定箇所がふくれて痒みを発しそうなものだが、特定の場所が痒いのではない。右腕上腕が幅広く痒いのだ。徐々に赤く膨らんで来た。右腕中央部が真っ赤である。ついに母も認めた。
「それは毛虫だね。いるんだよ。今年は。」
私は知っていた。山茶花や椿、バラに毛虫が付いていることを。
しかしこれほどとは思わなかった。
「桃源郷」が目に浮かぶ。
私には後悔はない。
あれは、自然のワナにしては見事すぎた。
ワナにかかることは一種の快感である。
だが、大衆に「夢」を見さすこと、そこには「ワナ」を仕掛けてはならない。
_ (問い)23日午前2時。筆者は*印で筆を置いて何をしたと思うか。次のうち最も適切なものを選べ。(灘筑駒型)
_ ア かゆみがこみ上げてウナコーワを取りに行った。
イ ミョウガの天ぷらを作って食べた。
ウ 睡魔に襲われて約30分間眠った。
エ キーボードにアルコール飲料をこぼしドライヤーで乾かした。
オ サウナで汗を流した。
_ 答えは次回。
読者水準アンケート。コメント欄で推論を述べて赤っ恥をかくのも可。
_ PSPR:十月下旬主婦友から『中学入試国語選択肢のウラのウラ』出版予定。選択肢を読むだけで答えを当てる方術伝授。よろしう!
2006-09-26 国歌斉唱強制違憲判決
_ 国歌斉唱強制違憲判決
期待したコメントがまだないので、正解答を保留して、書かねばならぬことを「冗談」で書く。ちなみに事務所で選択肢テクニックに優れる小6と高3に試すと、どちらも長考の末正解を言い当てた。
*
多くの人に問われる。
「貴兄は、21日の東京地裁、『国歌斉唱強制違憲判決』についてどう思われるか?」
以下「正論」読者なら、いささか怒りに駆られるかもしれないことをここに「冗談」で書く。良識ある方にお断りしておきたいが、「冗談」と言うのは、冗談で現象学的用語であり、「エポケー」(現象学的論題棚上げ)をより現象学的に加速した概念で、つまり、「何でも話しうることに対しての深い恨みは無意味ではないか」というより広範な意見を容認するアナキスト自由発言的提案であり、畢竟、「遊びが前提だからオモロい広がりを最優先にすれば」という「正論」を述べるものであります。
私が第一に思ったのは、「この判決を出した難波孝一裁判長は(名前からすると両親の期待は「親孝行をする長男」であるが)、網走地方裁判所送りになるのではないか」という同情と、「なかなかオモロい」という傍観者的感想である。
なるほど、現行憲法では、そうなるのが当然だろう。
と言うよりも、単なる石原ゴマスリの中村都教育長が完全に馬鹿だったことになる。
中村が、麻生同様「どバカ」であることは全国的に明らかになりつつあるが、国歌斉唱日の丸規律を強制して、教育現場を混乱に貶めた罪は、名誉革命を引き起こした英国国王と同次元の大罪である。損失額は何億円にのぼることであろうか。とっとと「亡命」するべきである。
これで石原氏再選は濃い黄色信号をともした。東京都民を舐めてはいけない。教育現場の問題の根深さを洞察せずに、単に表面上の統制を行おうとして現場の不要な混乱と多数の優秀教師の退職を招いた行政的失策は実に重い。彼らは、教育基本法改正問題に長く拘泥して子どもたちの悲鳴を感じることができなかった上位集団と同レベルの社会観の持ち主なのである。その彼らには、自己の正しいと思う心情に勇気ある教師や裁判官の立場を社会に有為なものとして認めることはできないだろう。私は裁判官も「現場」を知る親であるからこそ自己の信念に忠実なのだと思う。胸を張って起立し、声高らかに歌ったものよりも、考えなしに生き残りを優先して自己心情を不明瞭にして起立して小声で歌った教師たちこそ、生徒たちにとっては「不要」の存在なのだ。
私は日の丸のデザインは好きだが、音読のプロとして、君が代のニュワンスは今の時代にそぐわないと思う。露骨な追従で皇室を立てるのは、古今集の時代の宮中でやって欲しい。国技館はともかく、体育館で歌う歌ではない。宮中で宮様に向かって歌うべき歌である。特にお生まれになられたばかりの宮様の前でふさわしい。
国立教育政策研究所名誉所員(ケッ,嗤わせるぜ、名誉職なのか給与職なのかはっきりせい!完全な元文科省OB天下り人間であるのは明らか。略歴:京大法卒、元文部省初等中等教育局長、元国立教育研究所長、元駒場東邦中・高校長!現在公立学校共済組合理事長、日本図書教材協会会長。これぞ天下り綱渡りの達人中の達人である。「長」が付かないと引き受けないらしい。)の菱村幸彦は、
「最近の判例の傾向から見ても特異な判決ではないか。行政当局が法に基づいて行った行為が不当な支配に該当するというのはおかしい。東京都の行政がこの判決に影響を受けることはないだろうし、上級審で正されることになると思う。」
と語っている。この人物は森や中山並のオンタンチンである。
我々は冷静に考察するべきである。なぜこの人物はこういうコメントを述べるのか。彼は、全くどうしてか理解できないが、公人として、裁判官が進退を賭けた司法判断を無視せよと平気で簡単に口にするのである。石原氏は沈黙しているが、こういう人物がいるからこそ、かえって本当の国家改革ができないことを胆に命ずるべきである。右も左も上にいるのは自覚のないバカばかりである。
もしタイ式マッサージ、もとい、クーデターが起こったら、軍部が最優先で冗談で誅殺するべき人物は正にこういう人物であろう。この人物は、自己の立場だけを考えて、都教委も石原政権も潰れてかまわないと高みの見物をする、教育コンサルタント的に言えば、女房家族に威張り散らしてそっぽを向かれるだけの最低の男であろう。貴殿は即座に教育ボランティアの修行の旅に出ろ。新宿でモク拾いし、公立学校の便所掃除をせよ、さもなくば、民主国家国民不敬罪で即刻死刑判決である。もちろん控訴するであろうが・・・。
繰り返しになるが、以上全てつい冗談で書いた。
私は、「右翼」ではない「愛国者」であり、「左翼」ではない「対等主義者」である。
「左」とか「右」とか判断する習慣を、叡智で現象学的に還元しよう。教育にあるべきなのは我が国の子どもたちの未来社会を思う心だけである。もっと上手に我が国の自然と文化の素晴らしさをナチュラルにそして賢く子どもたちの世代に伝える教育を考えていただきたい。アイデンティティーなしにコミュニケーションは現象しない。コミュニケーションなしにアイデンティティーは現象しない。
2006-09-30 正解答・・・花の味
_ 正解答・・・花の味
以下に前々回出題の解答解説を記す。
(問い)23日午前2時。筆者は*印で筆を置いて何をしたと思うか。次のうち最も適切なものを選べ。(灘筑駒型)
ア かゆみがこみ上げてウナコーワを取りに行った。
イ ミョウガの天ぷらを作って食べた。
ウ 睡魔に襲われて約30分間眠った。
エ キーボードにアルコール飲料をこぼしドライヤーで乾かした。
オ サウナで汗を流した。
_ 選択肢の解答作業は、出題者との一対一の戦い。いくつかの観点から答えを二つに絞ることが肝要。とは言うものの、これはおふざけ問題なので、答えは面白いものであることが前提になる。このことからウが即座に消える。「灘筑駒型」とあるので妙なオモロさか「納得」の手応えがなければならない。出題者心理を読んで,ここでウが答えならばそもそも問題として出題しないことが洞察できよう。選択肢対処にこの観点は大切である。次にアは明らかに引っ掛け択肢。進学塾では「解答決定には、前後の文章を良く読め」とのワンパターン徹底指導を繰り返すので、それを手がかりにするものを引っ掛けるためのもの。これに引っかかるものはテレビ広告に毒され易いゴキブリホイホイキンチョールカンドラ4丁セリブリティ。一般に,最初の選択肢が思わずバカがパクリとイきそうなものである場合、合格プロは積極的には選ばない。次にエを消す。そんなことがあったら、ドライヤーで乾かすぐらいですぐに使えるようにはならないのは、去年の11月の事件で実証済み。それに、「筆をおいて」とあるから意識的な中断である。すると、イかオになる。オは、いくら何でも午前二時に突然外出してサウナに行くには遅過ぎる。原稿中にデスクを遠く離れてサウナに行くことはまずない。おまけに筆者行きつけのサウナは午前2時で閉店である。すると、イと言うことになるが、ここで出題者の心理を分析する。出題者は、日常生活のほとんどの行動に冗談性を含み、オモロいということがヒラメくと、躊躇なく実行するタイプ。あまりに旨そうなので天ぷらにして食べようと思って採ったのに、毛虫騒動で食べるのを忘れていたことを、その記述中に思い出したのである。「明日になれば採れ立ての新鮮さが失われるのではないか?」そこでいてもたってもいられなくなり、あっという間に天ぷらを作った。その天ぷらを食べると超うまい。「原稿執筆中に急にそんなことをするとは読者は想像もできまい。これを選択肢クイズにしたらオモロい。この冗文読者への冗談のサービスになるかもしれない。」と冗談でなく思ったオヤジ少年は、「超ウマい!」の「ウマ」を「超かゆい!」の「かゆ」に書き直して、天ぷらを食しながら以下を綴ったのではないか。以上の考察により、イを答えとする。ちなみにこの天ぷらは花の味がして実においしかった。このことを記述するよりも、事実を隠してクイズにする方がオモロいということになったわけである。冗談たらの芽彼岸妙香ギャテイギャテイパラソーギャテイ。私は山菜採りの熱心な愛好者は天ぷら好きであると確信した。
_ わがてては いまだいませり 彼岸には 花ぞ妙香の 天婦羅すらむ