ブイネット教育相談事務所


2006-09-15 転末

_ 転末

あまりに前日書いたこととその後の予想事態が異なったために、これを記す。

あの後、集中して原稿総仕上げに挑み始めたとたんに、母より電話。聞けば、ついに、父が、「何言ってんだか分らない状態」とのこと。パソコンのスイッチを切って実家へ。医者、看護婦×2とつめている。医者が、「点滴を拒否なさるのですが」というので、ハヒハヒ状態の父親の耳元で、「点滴はしないのか?」と尋ねると、日本語流にクビを立てに数度うなづく。「点滴しますか?」には反応しない。「嫌なのか?」と言うと、はっきりうなずく。医者に、「どうも点滴は命の回復より回避される対象らしい」というと、やや聞いたことがない珍しい台詞を聞いたかのような顔をして黙って待ち受けるから、「本件は、本人が「家で死にたいという望みを成就するための過程であるから、本人の希望通りにしてやって欲しい。本人、思い残すことはない充実した人生の感慨を口にしている。」と言った。何と私は父親の死の意思を確認しているのだった。これはその場にいた母を含めた誰よりも強く、私と父との「男は働けなくなったら生きていてもしかたがない」の再確認でもあった。父は,祖父が亡くなったとき、「親父は地球の塩になった」と述懐した。塩とはミネラルのことであろう。つまり子孫を産み出せない男の肉体は、子孫のために完全燃焼して、さらに役に立つミネラルに還元されるということだろう。この日私は二つのことだけは聞き取れた。一つは、「何か飲み物を」と尋ねた時、「フィロワイン」と聞き取って、末期の病人に白ワインの水割り氷入りを飲ませて、「美味しい」と言わせたこと、もう一つは、仕事のために退席してまた夜10時過ぎに来訪することを告げたとき、「フィアノフィミニフィテイル」と言うのを、「楽しみにしている」と聞き取ったことである。アムス在住の妹も帰国することになった。死の儀式が整いつつある。儀式の合い言葉を,「人間の尊厳」と強く肝に銘ずる。ただ刻々と時間が過ぎ行くのみ。私は今、歌舞伎を見たら多分泣くであろう。しかし、こうして原稿を書き続ける。なぜだかなんて自分でも分らない。