2006-09-26 国歌斉唱強制違憲判決
_ 国歌斉唱強制違憲判決
期待したコメントがまだないので、正解答を保留して、書かねばならぬことを「冗談」で書く。ちなみに事務所で選択肢テクニックに優れる小6と高3に試すと、どちらも長考の末正解を言い当てた。
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多くの人に問われる。
「貴兄は、21日の東京地裁、『国歌斉唱強制違憲判決』についてどう思われるか?」
以下「正論」読者なら、いささか怒りに駆られるかもしれないことをここに「冗談」で書く。良識ある方にお断りしておきたいが、「冗談」と言うのは、冗談で現象学的用語であり、「エポケー」(現象学的論題棚上げ)をより現象学的に加速した概念で、つまり、「何でも話しうることに対しての深い恨みは無意味ではないか」というより広範な意見を容認するアナキスト自由発言的提案であり、畢竟、「遊びが前提だからオモロい広がりを最優先にすれば」という「正論」を述べるものであります。
私が第一に思ったのは、「この判決を出した難波孝一裁判長は(名前からすると両親の期待は「親孝行をする長男」であるが)、網走地方裁判所送りになるのではないか」という同情と、「なかなかオモロい」という傍観者的感想である。
なるほど、現行憲法では、そうなるのが当然だろう。
と言うよりも、単なる石原ゴマスリの中村都教育長が完全に馬鹿だったことになる。
中村が、麻生同様「どバカ」であることは全国的に明らかになりつつあるが、国歌斉唱日の丸規律を強制して、教育現場を混乱に貶めた罪は、名誉革命を引き起こした英国国王と同次元の大罪である。損失額は何億円にのぼることであろうか。とっとと「亡命」するべきである。
これで石原氏再選は濃い黄色信号をともした。東京都民を舐めてはいけない。教育現場の問題の根深さを洞察せずに、単に表面上の統制を行おうとして現場の不要な混乱と多数の優秀教師の退職を招いた行政的失策は実に重い。彼らは、教育基本法改正問題に長く拘泥して子どもたちの悲鳴を感じることができなかった上位集団と同レベルの社会観の持ち主なのである。その彼らには、自己の正しいと思う心情に勇気ある教師や裁判官の立場を社会に有為なものとして認めることはできないだろう。私は裁判官も「現場」を知る親であるからこそ自己の信念に忠実なのだと思う。胸を張って起立し、声高らかに歌ったものよりも、考えなしに生き残りを優先して自己心情を不明瞭にして起立して小声で歌った教師たちこそ、生徒たちにとっては「不要」の存在なのだ。
私は日の丸のデザインは好きだが、音読のプロとして、君が代のニュワンスは今の時代にそぐわないと思う。露骨な追従で皇室を立てるのは、古今集の時代の宮中でやって欲しい。国技館はともかく、体育館で歌う歌ではない。宮中で宮様に向かって歌うべき歌である。特にお生まれになられたばかりの宮様の前でふさわしい。
国立教育政策研究所名誉所員(ケッ,嗤わせるぜ、名誉職なのか給与職なのかはっきりせい!完全な元文科省OB天下り人間であるのは明らか。略歴:京大法卒、元文部省初等中等教育局長、元国立教育研究所長、元駒場東邦中・高校長!現在公立学校共済組合理事長、日本図書教材協会会長。これぞ天下り綱渡りの達人中の達人である。「長」が付かないと引き受けないらしい。)の菱村幸彦は、
「最近の判例の傾向から見ても特異な判決ではないか。行政当局が法に基づいて行った行為が不当な支配に該当するというのはおかしい。東京都の行政がこの判決に影響を受けることはないだろうし、上級審で正されることになると思う。」
と語っている。この人物は森や中山並のオンタンチンである。
我々は冷静に考察するべきである。なぜこの人物はこういうコメントを述べるのか。彼は、全くどうしてか理解できないが、公人として、裁判官が進退を賭けた司法判断を無視せよと平気で簡単に口にするのである。石原氏は沈黙しているが、こういう人物がいるからこそ、かえって本当の国家改革ができないことを胆に命ずるべきである。右も左も上にいるのは自覚のないバカばかりである。
もしタイ式マッサージ、もとい、クーデターが起こったら、軍部が最優先で冗談で誅殺するべき人物は正にこういう人物であろう。この人物は、自己の立場だけを考えて、都教委も石原政権も潰れてかまわないと高みの見物をする、教育コンサルタント的に言えば、女房家族に威張り散らしてそっぽを向かれるだけの最低の男であろう。貴殿は即座に教育ボランティアの修行の旅に出ろ。新宿でモク拾いし、公立学校の便所掃除をせよ、さもなくば、民主国家国民不敬罪で即刻死刑判決である。もちろん控訴するであろうが・・・。
繰り返しになるが、以上全てつい冗談で書いた。
私は、「右翼」ではない「愛国者」であり、「左翼」ではない「対等主義者」である。
「左」とか「右」とか判断する習慣を、叡智で現象学的に還元しよう。教育にあるべきなのは我が国の子どもたちの未来社会を思う心だけである。もっと上手に我が国の自然と文化の素晴らしさをナチュラルにそして賢く子どもたちの世代に伝える教育を考えていただきたい。アイデンティティーなしにコミュニケーションは現象しない。コミュニケーションなしにアイデンティティーは現象しない。