ブイネット教育相談事務所


2007-04-21 喪主謹言

_ 喪主謹言

おかげさまで、通夜、葬儀は無事盛況に終了しました。

弔電、会葬出席者欄に、「ブログ読者」というのがあって、驚かされました。合わせてここに厚く御礼申し上げます。

「喪主」というのを務めたのは初めてなので、結構疲れました。葬儀屋さん、親族、旧知の友人、坊さんとたっぷりと歓談し、面白い話が沢山聞けました。また、これほど多くの人を観察したのも滅多にないことなので、「小説家」として、興味深い経験も多々出来ました。

肩の荷が下りたと感ずる一方、やはりもうこれからは故人と会話することが出来ないと思い、人並みの悲しさも味わいました。

その後も、今日も事後の仕事に追われ、なかなか忙しくしていますが、明日からこれまで同様の活動モードに戻ります。

以下に、稚拙ながら、喪主挨拶を添付します。

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皆様 本日は、ご多忙中のところ、また遠方からも多数の御会葬出席下さいまして誠にありがとうございました。ここに、そのご厚情に心より御礼申し上げると同時に、まことに僭越ながら、親族を代表して、故人について一言申し挙げたいと存じます。

故松永太郎は、1924年7月8日生まれ。新潟上越市出身の松永藤吉松永キヨの長男として、東京東中野に生を受けました。兄妹には、高橋なか姉、松永次郎、松永三郎、松永幸雄があり、昭和30年に、経済学者篠田勇長女稲子と結婚、不肖私こと松永暢史、松永敦子の二子をもうけました。

もとより、学業不出来の私とは相異なり、小学校より頭脳明晰成績優秀、当時名門の府立一商、早大第一高等学院を経て、早稲田大学商学部在籍中に、学徒出陣、終戦は、陸軍将校として千葉県千倉で迎えたとのことです。

性格は、聡明反骨的でありながら、一方極めて柔軟変幻自在、融通無碍。世間状況を鋭く鑑みながら、心優しく、人の人生、絶えず弱者の味方をするべきことを旨としました。文学芸術歴史学への造詣深く、常に自己の見解をもつことにやぶさかならぬ知性の持ち主でありました。また世間一般の人間観察に抜きん出て優れ、この性情は、弱者への慈悲、社会一般常識への適応の必要性、と言った、まさに庶民として生きると同時に、自主独立の精神を有し続けるという類い稀な人材でありました。しかも、決して自己の資質に驕り高ぶることなく、絶えず庶民としての謙虚な姿勢を貫き、慈愛寛容の精神に満ち満ちた、その包容力のある人間性は、多くの人々の敬愛を得て恥ずるところがありませんでした。

復員後、配炭公団勤務を経て、塚本商事株式会社に奉職。労働組合委員長を経て、弱者への慈愛深き性格からは意外なことに、良き上司に恵まれ、良くその資質を理解され、若き日より役員昇進、最後は監査役としての要職を勤めて、1985年惜しまれつつ退職致しました。

その後は、地域活動に協力する傍ら、ヨーロッパを中心に歴史遺跡探訪の旅を行い、なおも濃き人生を過ごして参りましたが、90年代後半に肺気腫を病み、99年初入院後は、自宅療養を旨としながらも、体力減退の天命に抗することならず、平成19年4月13日、家族親族に見守られ、苦しむことなく、安らかに新たなる人生の旅へと発たれたわけであります。

私は、父が生前、悲惨なニュースを目にする度に、その罪を犯したものを咎めるよりも、まず、「そんなことをしてしまうなんて可哀想なやつだ」というのを繰り返し耳にして参りました。また、「肺を病んでいるなら、南の島にでも行って療養したらどうだ」という私に、突如いきりたって、「馬鹿野郎、沢山の友人が死んで行った戦地で、今更のうのうとオレが足を伸ばして過ごすことなどできるとでも思っているのか」と叱りつけました。長年良きパートナーとして仕えた母が、地域の青少年の育成に尽力したのも、父のこの、常に弱者の立場に立つという思想あってのことだと確信致します。

病床にあり、看護する私に、父は、繰り返し、「すまないね」と口にしました。父の、他者存在を尊重する精神をすでに良く知る齢となった私は、自身の文学哲学シルクロード旅行中の行方不明、定職なき結婚といった滅茶苦茶な生き方を、絶えず容認、見守り続けて、自己犠牲による献身を、全ての自己行為に優先する姿勢を示してくれ続けたことへの御礼として、「全ては、お父さん、あなたが黙って働き続けた結果だよ。よくぞ自分のような人間を許して、その成長を見守って下さいました」と繰り返し語り続けました。父は黙ってそれをうなずいて受けとめてくれました。

今、父が生前最も愛し続けた淡いピンクの海棠が自宅庭に咲き誇る中、何の苦しみもなくあたかも自己の末期を選ぶかのごとく、昇天されたことをここにご報告申し上げて、皆々様の生前のご厚情に、改めて深く感謝申し上げる次第であります。今後とも、残された母、親族に引き続きの御厚情を賜りたいと切にお願い申し上げます。

最後に、まことに僭越ながら、ここに一句つこうまつります。

_ 散り逝くも 花は我が身を たたえけり

_ 皆様、本日の御会葬誠にありがとうございました。 

また、主に塚本コーポレーション関係各位など、ご協力下さった方々に厚く御礼申し上げます。

_                      平成19年4月19日 喪主謹言