ブイネット教育相談事務所


2007-09-23 予備校断末魔

_ 予備校断末魔

最近、「このブログを書くヒマがあるのに、自分相手の私信、乃至は自分相手の仕事をしないのはオカシイではないか」との感を抱く人がいる。思われたとき即座に、「現実的な空想力の弱い人間とは縁を切りたい」と思ったりするが、それを相手が気づかぬことを、指摘するヒマは無論ない。これは「傲慢」ではなく、「現実」である。これは極めてブログ的な記述。

このブログの1回分はほとんどが最大限10分以内で書かれており、アクセス数が予め規定した数を超えると、次を書く「義務づけ」になっている。もちろんそう決めたのは筆者であるが。

私にしてみれば、現実的な空想力を持たないものの代表に大手塾と予備校と教師たちがある(もちろん公教育は、現実以前の「空想力」を持たない存在なのであるが、まあ「社会民主主義」ならぬ、「社会主義」を正しいと主張する人とは、彼ら事情を鑑みて、真面目に議論しなければならないのであるが‥…)。

現在時点9月中旬であるが、生徒たちから、「予備校が繰り返し電話して来て、冬期講習をできるだけ多く取るようにとしつこく勧誘するがどうしたら良いか?」という相談を多々受ける。

冬期講習を積極的に取るのは現役だけだろう。現役でも、真に現役で合格したい連中は、後は自分の足りない点の克服に最大限の時間を用いることだろう。それはもはや、予備校の教室で学ぶことではない。自分との戦いの時である。

以下「砂時計」。

読者は慶應塾高が良い教師を集めるのが上手いことをご存知だろうか。良い教師とは、教師を仕事にすることを上回る能力を保有するのに、教師に甘んじてしまうものたちである。私の知人も何人か、将来の教授職を捨てて慶應塾高の教師を選択した。

給料が高いから?いや違う。子どもを優先枠で入学させられるから?もちろん違う。

では何なのであろうか。慶應は、有名高校の有名教師を簡単に引き抜いてしまう。それはなぜなのか?桐蔭にいた名物英語教師、将来音大教授決定の音楽教師、大学で先端科学を学び続ける研究者。

読者は、いささか僭越ながら、私を含めて、こういった優秀教師の共通点をご存知だろうか。

それは、「できるだけ教える時間を短くして、残りを自分の活動に充てたい」ということなのである。

慶應塾高の教師たちは、3時15分に日吉駅で急行に乗る。なぜかと言えば、教えること以外に「仕事」がないからである。「教務」から解放される教師。教える仕事が終われば「自由時間」。教えることだけを仕事にできること。これが優秀教師が最終的に求める一つの理想型である。そして、これこそが、予備校人気講師たちの実の姿であろう。

「教えるだけで教務がない」―この魅力に耐えられる教師はあまりにも社会奉仕的な社会主義的人間であろう。

教師の仕事は、教えることである。個別の生徒の状況なんて考慮外であるのが本音だろう。

そして、正にこの観点で、合理的に金を儲け続けて来たのが予備校なのである。最も最近は、親を不安にさせて金を絞るという「詐欺」に近い行為が常識と化しているが、これも簡単に引っかかる人がいるから致し方がない。

高度成長期時代、予備校が、可能な限り設備投資しない教室に、可能な限り多くの生徒を詰め込んで、超優秀教師に授業をさせることによって商売をアジア的に大成功させて来たのは、その後も続々と「後発部隊」を産み出して来たことからも明らかである。つまり、予備校も吉本興業も、その社会経済学的観点からすれば、何の変わりもないということだ。

しかし、恐るべきことに、世は少子化社会になって、生徒が確実に目減りし始めた。ここで多くの予備校が過ちを犯した。予備校が、少子化の中で利潤をあげるためにできることは、個々の家庭から徴収する資金を大きくするか、サービスを限定することである。そこで、そもそもは、生徒たちの教務兼チューティングをすることで予備校の人気と高額授業料を支えて来たはずの人材が、経費的に節減の対象になって来る。サービスを限定するとは、人件費をケチることであるから、結果的に、予備校クラス担任チューターを、ノルマを課せられたセールスマンに変えることが必要になる。これは摘発件数が不充分の警察官が年末取り締まりにかり出されるのと同じで、「冬期講習生徒獲得件数不充分のもののボーナスを軽減する」といったような経営側の気分を醸成することだろう。

予備校は、かねてより前記納入分を、後期納入分より著しく高額にするという作戦を取って来た。しかし、私の考えでは、半年以上受験機関に通うのは愚かなことである。

チューターがいて、冬期以降の生徒が減ると、やがて塾や予備校は経営困難になるのである。

優秀な教師を集めるには、教務からの解放が必要。しかし、教務人材を雇うと経費がかかる。

教師の質とは、「教務からの分離」なのである。教師とクラス担任を分ける必要があるのである。 

ゆえに私は「予言」する。

この数年内に、多くの予備校と進学塾が大きく再編されると。おそらく予備校は低価格競争に走ろうが、優秀教師たちは、人材難から、法外の賃金要求が通ることをお見知りいただきたい。

地方分権型と同様、教育も役割分担化して行くのである。

これに最も気がつかないのが当の教師たちであることは、本当につくづく考えても非常に可笑しい。

以上、つい、「冗談」ではなく書いた。