ブイネット教育相談事務所


2007-08-02 SEOUL紀行―連載第23回

_ SEOUL紀行―連載第23回

朝7時に目が覚めると外は雨である。しかし、山からの波動は相変わらずである。絶えずそちらへ吸い取られようとする自分を発見する。

朝食をとってアタマの整理。今日は男の子と女の子の教育の違いについて話すことになっている。人気の三択キーズは今日はほとんど使わないつもりだ。韓国の大学でなので、普段日本で語れないことも語ってしまうつもりだ。忘れてならないのは、性別的教育論はα―フェミニズムの批判にさらされやすいということだ。でもこれは問題ないであろう。私は、仕事上、常に、女性の、というより母親たちの味方をして来たのであるから。後は大学での講演なのだから、やや高度な聴衆用なものも用意したい。これも言いたいことを言えばいいのでどうにでもできる。後は少子化社会のみならず、高齢化社会における幸せを視野に入れた教育の仕方が大切であることを強調して締めくくろう。

ロビーでタナカさんとキムさんと合流。田中さんは、朝から「見学」で街を歩き回って来たそうだ。20年以上前のこの人の修学旅行の時のことを想像する。リーさん運転のハイヤーでヨンセー大へ。雨の中道路脇歩道に店が出ていて人だかりがしている。朝食代わりの食べ物を売る店である。もし街を歩いているなら、すぐに私はこれを求めて近くの人と情報交換するだろう。ハイヤーのドア?ウィンドウの境界を恨めしく思う瞬間である。

ヨンセー大は行ってみると、どでかい大学で、キャンパスの中の広い道を車で走る。多くの若者が歩いている。日本の若者より、少しは学生らしいことを言いそうな男子学生の表情。良く本を読んでいる感じである。

多分キャンパス中心近くの大きな講堂が講演会場である。最近立てられたものらしく、広々としたロビーに安っぽくない木のしっかりした椅子が置かれ、奥には余裕のある広いカフェテリアもある。入り口は忙しそうに会場設営する出版社の人たちでごった返していた。次々に私の韓国版の本が積み上げられ、ポスターが貼られ、すでに並んでいる入場者の整理をしている。ソーさんが出て来た。さすがに疲れていそうだが、若くて元気で前向きだ。こういうのを「α」というのだろうか。

会場内最前列にノートパソコンがある。そこが今日のソさんの席らしくって、彼女は、私に頼まれたスクリーンに映し出す図を作っている。これは全て漢字による図なので、それを韓国語に訳す時にキムさんの助けが必要なのだった。

聴衆は多かった。案に反して学生より主婦が多かった。800人ぐらいだろうか。もちろん男性もいる。

まず男の子と女の子の本を書き上げた哲学を解説した。境遇と環境、好奇心と追体験、感受性と心情表現、そしてそれを磨く唯一の手段としての道学芸術技。男の子のチョロチョロに代表されるのが好奇心と追体験、女の子の感受する能力に代表されるのが感受性と心情表現。もちろん両者がミックスブレンドされた形で個人の中に共存していると説明。これを、通訳のキムさんに請われて私にしてはややゆっくりとやって、キーズをちょっとやって、人生90年哲学を述べると、残りはちょうど5分くらい。やや質疑応答をして、盛大な拍手をいただいてホッとして外へ出ると、そこにはサインを待つ人の山があった。この講演だけで350冊売れたそうである。何かテキ屋な気分を味わうことしきりであった。


2007-08-06 SEOUL紀行ー連載第24回

_ SEOUL紀行ー連載第24回

サイン会は、時間で切ってもらうことにしたが、すごい人である。みな子どもの教育に熱心なお母さんばかりである。彼らの多くはハングルしか知らない。つまり漢字が読めない。私はハングルは書けない。すると、購入者は、子どもの漢字名入りサインを求める。日本では見られない漢字もある。急いでも時間がかかる。私はソさんに、「今並んでいる人は全員引き受ける。」と伝えて急ぐ。親からもらった名前をこんなに外国人のために書くのはどう考えても不思議である。私はどうしてこんなことになっているのであろうか。私の手

が名前を書くところを携帯電話で撮影する人が多いのを面白いと思った。

列の中に何と同時通訳者のキムさんがいた。笑顔である。

「今日はどうでしたか?」

「良かったです。でもまだちょっと速いと思います。講演の内容が良くて私の参考になりました。」

「良かった。今日はお疲れさまでした。カムサムニーダ。」

彼女は既婚だがまだ子どもはいないのだそうだ。

本が売れたからか、講演が良かったからか、出版社の人はみな「良かった」と口にする。

「先生、本当に良いお話でした。」

と、ソさんも言う。

実はほとんど準備をしていなかったので、結構冷や汗ものだったのである。訂正が可能な書くことを職業にする身からすると、訂正不可能なしゃべることはより難しいことに思われるのである。文章もそうだが、講演も、まだまだ自分の納得できる領域まで能力が至っていない。多くの人に喜んでいただけるのであれば、もっと上手くなる努力をするべきと思う。

雨はほぼ降っていないに等しいがやっぱり若干降っている。時折強くなることもある。薄茶のスーツのリーさんが、降りて来て、ドアを開けてくれようとするが、自分で開けて勝手に乗り込む。

仕事は全て終了。今日はこれから、サンケイ新聞論説委員、ソウル支局長の黒田勝弘氏と昼食。その後、インサドンなどで買い物予定。帰りはJAL8834便で、20:10金浦発。 


2007-08-09 SEOUL紀行ー連載第25回

_ SEOUL紀行ー連載第25回

貞洞を指して市内を走るうちに、土砂降りになった。おそらく3時までにはお開きということで、ソさんたちには、こちらから連絡することにして、目的地前で車を降りた。我々二人の携帯は、韓国では使えなくなっている。それがまた良い。電話がかかってくる可能性が全くないのである。鎖をちぎって動き回る犬のようで嬉しい。

サンケイ新聞ソウル支局で会った黒田氏は、年齢不詳。50代だか60代だか分らない。この人には外へ出た脂ぎったものがほとんど見られない。中肉中背、シルバーのやや長めの髪。「大人」と言うか、感情を表さない。ただ目だけが通常の人よりもやや黄味が増した猛禽類の目なのである。しかも、「勤め人」特有の疲労が微塵も感じられない。「韓国人」と言っても通る。正体不明の人物である。

現在私は扶桑社との仕事が濃く、正論にも寄稿したりした。彼らサンケイ新聞系と知悉した印象は、「言いたいことはできるだけ何でもしゃべっちゃおうぜ。その方がメディアとして本線のはずだ」という、まるで講談社現代の編集部と同次元のものである。扶桑社編集者の田中氏は、かつて黒田氏の本も担当していた。私はもちろん黒田氏とは初対面である。

「では行きましょうか」。

黒田氏の言葉で、我々はタクシーに乗り込んだ。

黒田氏の韓国語の指示で、タクシーは大通りを外れて細い路地に入り、グイーンとカーブして坂道を荒っぽく駈け上がり、そのまま尾根道を走って丘を下って、目的地近くらしい渋滞にぶつかった。合流直前で、「ここで良い」と黒田氏。そこから広い道を超える横断歩道を渡ったところにある店に案内される。雨はほとんど降っていなかった。景福宮前を東西に走る社稷路に南北に走る郵政局路がぶつかったところで、同時にインサドン(仁寺洞)が斜めに走る。これは明らかに元参道である。しかし、それがどこへの参道であるのかは、外来者にはすぐ分らない。インサドンは、東南から北西へも歩いてみるべき路である。韓国には、目に見えない形でシャーマニックが確実に内在するのである。

我々は、「素心」という、韓国家庭料理の店に入った。


2007-08-13 SEOUL紀行ー連載第26回

_ SEOUL紀行ー連載第26回

素心は、階段を下りて地下に入る店だ。しかし店の中は、天井に近い椅子席と床の上の椅子席と平床に座る座席の3種類の空間があるのである。

黒田さんの案内で、我々は左奥の狭い座室に入った。

黒田さんは店のなじみで、手際良く注文をし終えた。実は後で分るのだが、ここは昨日の焼肉屋よりはるかに美味しい家庭野菜料理の小鉢が沢山並ぶのであるが、野菜だけだとどこか物足りないのでちょいと鯖焼きだけ注文しておくのである。黒田さんの行動はどこまでも見通しをもったものなのである。後でこの鯖を氏が食するのを観察しつつ自らも箸で挟んで口に入れたが、この鯖は焼き具合がなかなかサバ!なのである。氏は我々がインサドンで買い物予定だと知っていたわけではなかった。単なる偶然とは思われない洞察力の深い人である。

私はかつて見たことがない人を前にして、必死にその印象を抽象化しようとしていた。しかし、この人はどの範疇をもかいくぐった。強いて言えば、「書き屋」ということなのであるが、私の脳裏に浮かんだ言葉は、意外なことに、「人生の先輩」という言葉なのである。私は、とりあえずこの形では氏のもとを逃げ去りたく思った。なぜか恥ずかしいことこの上ないのである。

黒田さんは私の質問に的確に答えを返した。

「韓国の人って、言っちゃあ悪いですけれども日本人よりもさらに単純ていうか純な人たちですよね」

「この国の人は大雑把なのです。逆を返せば日本人は細か過ぎる。この国では箸置きを使わない。箸は机の上にべったり置く。取り皿もない。直接口に運ぶ。あんまり広範囲の他人を見ない。道で良くぶつかることがある。あまり周囲を見ていないことがあるということです。」

この人は武道の心得もあるのではないか。

「それでも、20年以上もこの国に滞在し続けていらっしゃるということは、この国が、日本を見るという意味でも飽きない国と言うことなのですね。」

家族を東京においたまま単身赴任し続ける男は、初めてニヤリと笑った。

「まっそう言うことです」

私はこのあっさりした返事の含蓄が深過ぎて手前勝手に目くるめく思いになる。

「焼肉というのは、上流階級の食べ物ではありません。」

それはそうだろうと私も思う。

「上流はやっぱり魚を食べるのです。」

そりゃそうだろう。体がもたない。

私は突然なぜか日本に帰ってお好み焼きが食べたくなる。

しかし、それも、そもそも韓国人の発案によるものかもしれない。

そもそもキムチ制作に欠かせない唐辛子は、日本から伝わったものだという。

双方のカルチャーは、「相違点」よりも「共通点」を探った方が面白いかもしれない。

私は、この瞬間韓国人が大好きになっている自分を発見する。

我々は血のつながった「兄弟」である。

次に生まれ変わったら、できたら韓国人女性と結婚してみたいと想像する。

私はもう無理だが、そもそも結婚とは「範疇外」とこそするべきもの。

今こそ日本人が韓国人とよりいっそう結婚するべきである。

双方の「利益」は、過去における「天皇家」以上のものがあるにちがいない。

失礼。


2007-08-17 SEOUL紀行ー連載第27回

_ SEOUL紀行ー連載第27回

そもそもこれは黒田さんと田中さんの旧知再会の席。積もる話もあるだろうから、ちょいと席を外しがてらトイレへ行かんとする。

しかし、「トイレは店内になく、2階にある」。しかも、「店のおばちゃんから鍵を借りて行かなければならない」とのこと。

? 

どうしてトイレの入り口に鍵つけるか?

トイレは、表に電気のスイッチはなく、中は真っ暗。中にあるスイッチを押すと右手に個室、突き当たりが小便器と相成る。日本だと入り口脇に小便器があり奥が個室となる。この辺も韓国の人はどこか大陸的で大雑把である。「こだわりがない」とは、間違いなく、親しみを感じる何かである。

すぐに了解する。インサドンの出口な上、角地のここは、酔っぱらいにとって、ゲロを吐くのに最適の場所だろう。鍵がなければ、おそらく毎晩ゲロの海であろう。

1階から外を見ると、小雨がパラついている。目の前に高さ1.5mの長方形の靴屋の小屋がある。雨のせいか社稷路も郵政局路も已然として渋滞である。笛を銜(くわ)えた制服姿の婦人警官が、交通整理をしている。彼女は信号の変わり目に、コーナーへやって来て、何やら取り出して拡げ始めた。黄色のカッパである。これであっという間に全身を被うと、また道路へ飛び出して行った。ちょうど信号が変わる。彼女は笛を吹いてどんどん誘導する。彼女は実に現代の韓国女性らしい。与えられた仕事を当然のように精一杯行うのである。私は、子どものとき、どんな時でも掃除をサボらない女の子のことを思い出した。

「キミはどうしてお掃除を全然サボらないの?」

「だって私のお仕事ですもの」

「・・・・・・」

ここでまさに再び日韓は共通する。女の人に仕事を頼んだ場合、多くは男性よりきちっと仕事を遂行して充分である。男性はサボってバレないことを意識的に利用してしかも恥じないところが多い。これは儒教主義の女性効果であろうか。いやそんなことは思わない。全て女性には、カルカッタのマザー同様、「献身」という美徳があるのである。これは男性には、きわめて特殊な場合以外ほとんど現象しない。それどころか最近は「マザコン」である。

席へ戻ると、田中さんが、

「今、黒田さんに店の電話でソさんに連絡していただきました。場所を伝えると、『すぐに向かう』とのことです」。

誠に千載一遇。残念ながら、黒田氏とはほとんどお話する余裕がないままに時間が経ってしまった。しかし、ここで食べた韓国家庭料理は本当においしかった。小さい小皿を並べて多種多様のものを楽しむ。後は細かいことはさておいて、和気あいあいと食する。私はこの作法に共感する。まあ、25年以上も韓国にいれば、旅客の案内は手慣れたものなのであろう。今度来た時には、是非黒田さんにもう一度お目通しをお願いしよう。私は再訪韓する大きな理由を噛み締めた。

_ 外は雨。道路は完全に渋滞状態。待てどもなかなか来ない。田中さんに「見張り役」を頼んで、目の前の靴屋に近づく。身振りで頼む。靴を磨いて欲しいと。実は、私の靴は誰も手入れをしないので、色つやが悪くなっているのがどうにも気になっていたのであった。

靴屋には先客がいた。ハイヒールのかかとの修理の若い女性客である。女性は中で待つ。私は店の外で傘をさして待つ。

男は、推定34歳。身長173センチ。がっしりとは行かないがなかなか頑丈そうな肉体をしている。顔は誠実真面目で、どこかに良く本を読んでいる印象がある。どうしてこの男が靴屋をしているのであろうか。それはおそらく親が教育投資できなかったからである。仕事は繊細かつ入念を極める。できることの最大限を施している。

女性が終わると、私の番。向こうはかかとを指して何か言うが、「クリーン」を連呼して納得させる。で、スリッパを借りて待つ。男は、まず何かつけて拭き上げて、さらに色のついた靴墨をぬり、その上で透明なゼリー状のものを丹念に靴全体にぬる。約7分。完全な技術である。「格差」とは、さらなる能力の可能性があるものが一段下って遺憾なく能力を発揮することをも暗示すると思った。

5千ワォンで2枚釣りが来た。約270円の仕事である。20人見ても、5千4百円にしかならない。もしそうだとすると、月収約15万。今の韓国では悪くないであろうが、将来も金額はあまり変わらないだろう。選んだ職業が悪いのである。

ややしばらくして、2嬢を乗せた車が来たので、我々はインサドンに入った。

_ インサドンは一見土産物屋通りだが、合間に骨董ポイものを売る店がでんと構える。

目を引くものはお面である。ニッカニカのおじいさんのもの。澄ましたおばさんのもの。いたずら小僧のもの。一家の大黒柱として働く男。これらは伝統芝居に使うものだそう。これをお土産にすることにして、都合7つ購入。

その上で、御母君御所望の「ドラマの中でチェジュウが使っているティーカップ」。これはここらにないので、ソさんキムさんのご提案で、ロッテデパートに行くことになった。

やや歩くと見覚えのある車が止まっていて、それがリーさん管理の車と知れる。すぐにロッテデパートへ。

入り口で車を降りる。ロンドンのハロルドとは違うが大きな店内。

エレベーターに乗ろうとすると、開いたドアからベビーカーを押す目鼻立ち超くっきりの女性。子どもも見ると、どう考えても目がつぶれた醜男君。

「この国では親の方が子より美人」と口にすると、キムさんが、なぜか申し訳なさそうに、

「みんな高校を卒業して化粧を始める時、一斉に整形するのです。しないと、お金がないのかと思われるくらいです。」と言うのである。

女の人がきれいになるのはかまわない。それは化粧と同じである。

しかし、日本以上に韓国で「整形美容」がはやるのはなぜであろうか。

収入の3分の一が奪われるという受験熱が高いこととどう結びつくのか。

実は日本人より大雑把な韓国人が、日本人より世間体を重んずる?

「世間体」とは何なのか。

私はそれを、自分なりの社会価値基準をあまり持たないことの消極的な表明だと思う。

社会価値基準が希薄であることーそれは「支配者」にダマされやすいことを暗示する。

グローバルな社会が拡張する中で、「経済」以外の価値基準が今問われている。

しかし、いつの時代においても人々が高給を求めるのは当然のことである。

日本で必要以上に受験に熱を入れるのは、貧しい時代の名残ということなのか。

それとも、一度味わった裕福さの再確保ということなのだろうか。

それがデパートの空間の国際共通性に現れているのかもしれない。

_ ロッテデパートで、家庭用品陶器のコーナーがある階へ上がる。

「チェジュウがドラマで使っていたコップ」

「えっ?どのドラマ?」

恥ずかしいことこの上ない。何しろ買おうとする本人がそれが何であるのか知らないのだ。

で、結局皆々様のご協力で、日本で母親にたいそう喜ばれるものを買うことができた。

さてこれで土産買い物終了。午後4時。

さらに何か買い物をしたいものがあるかと問われたので、「地下の食品売り場で韓国惣菜が買いたい」というと、デパ地下へ。

地下はすごかった。日本以上に「いらっしゃい、いらっしゃい」を言う売り子おばさんの花。

そこで何種類もの韓国惣菜を買い、地上に出て、どんぴしゃりに回ってくる車に乗る。

夜8時の空港までまだ時間がある。雨も上がりかけていることだし、やっぱりここは仁王山へ向かうことになった。

_ 仁王山はなかなか行き方が難しかった。麓から高級邸宅を横目に見ながら上に上がって行くと、なんだか分らない新興宗教っぽい建物がいくつかあり、やみそうで止まない小雨の降り注ぐ中、山の中腹で、リーさんが、

「ここから、歩いて登るしかありません」

と、言うところに着いた。

入り口にプレハブの管理小屋があり、若い韓国兵が、「車は立ち去れ」と指示する。

上へ上る石段があり、まさしく波動はその上方向から来る。

キムさん、ソさん、田中さん、そして私、傘をさすべきか迷うような霧雨の中を上がって行く。相応しくない足元準備の2女性を気遣いつつ、どんどん登る。途中でハイキング姿の中年夫婦とすれ違った。彼らには謹直な公務員風の匂いがあった。

強い!本格的に波動は強くなった。ついに、その震源である岩山に至ったが、それは何と金網で被われてある。前方約50mを、田中さんが登って行く。このときである。突然脳裏で声がした。「登るな!」。「少なくとも今回は登るな」。私はかつて「聖地」でこのようなことが起こることを知っていた。波動が強くなると内面に言葉が沸き立つのである。

「上」は「来るな」と言っている。私は先を行く田中さんに声をかけた。

「おーい。もう登らない方がいいんではないか」

「もう少しで頂上だと思いますよ」

「止めよう。降りて来いよ。これでもう充分僕の目的は達せられた。」

「でも、もうちょっとですが」

「僕はもういい。降りるよ。」

「分りました。引き返します。」

まさにその瞬間である。凄まじい雷音とともに、急に上から(当たり前だが)、激しく、叩き付けるような雨が降り始めた。

私は急いで下へ降りた。

下には2女性がいた。

「速く降りよう。上から激しい雨が来る。」

我々は一目散に下へ降りた。

伊豆の踊り子冒頭の逆である。

管理小屋が来る。

背後は最早本格的にスコールになり始めている。中に入れてもらおうとすると、当然拒まれた。しかしその向こうの窓の下に東屋が見える。そこにさっきの夫婦らしいものが雨宿りしているのが見える。

私は、小屋を出てそこへ降りた。傘をさしたソさんとキムさんが来る。いやあ完全に夕立状態である。

そこへ全身ずぶぬれの田中さんが走り込んできた。「波動」が読めないと、いかに見学能力があろうとも、間一髪でこういうことになるのだ。

ソさんが電話する。例によって車は驚くべきスピードで我々のいるところに来るのである。これは待機場所が絶妙であることを暗示する。

歩いて車のところへ行く。

田中さんはみじめとしか言いようがない。私も髪から雨がしたたる。だが、体はぬれていない。しかし、田中さんは、全身ずぶぬれだった。だが、着替えることはできない。「水も滴る男性編集者」というのはどうもいただけない。我々はこのまま空港に向かうのである。

少し山を下れば、下は日さえ射している

「すごい警備ですね。なんであんなに兵士がいるのだか。」

ソさんがリーさんに通訳して尋ねる。リーさんの答えが通訳された日本語は、

「1968年、北朝鮮の工作員が、朴正煕大統領を暗殺しようとして、あの山を越えて侵入した。沢山人が死んだ。自分はその時中学生だったので良く覚えている。」

何とこの意見からすると、リーさんは約40年前に中学生だったということは、私より若干年上である。

平壌からの兵士は、光り輝く京城を見て何を思っただろうか。

_ 極めて唐突ながら、ここに連載を停止したい。ここまでの愛読者に感謝す。

_                         07/8/15 東京武蔵野


2007-08-20 再開

_ 再開

本来ならここで「後書き」を記すべきなのであろうが、残念ながら冗談でそれは「本職」なので、ここではやらない。

読者諸兄姉にあらためてご挨拶申し上げる。

私が、Joker?Nobi ,(having another penname)こと松永暢史です。

このブログは、あらゆる訴訟問題を免れるためにというのは冗談で、マジで「冗談」で構成されています。これは完全な酔っぱらいの遊びなので、まともに相手をすると、耳から血が出ると言う人がいますが当方は全く関知しません。「関知外」です。

いやー今年の夏は暑いっすね。29年前のアフガン滞在を思い出しますよ。

アフガンは暑かった。北部アンフォイ〜マイマナ間の灼熱の砂漠で、私は本当に死を目前にした。熱中症である。

で、倒れた私は、奇跡的にそこを通りかかったイスラム教徒のトラックに救けられた。

彼らはトラックに私を担ぎ込むと、口をこじ開けて水を注ぎ込んだ。その上で何がなされたのか私には記憶がない。

意識が戻ると、我々の車がトラックの前を走っている。

途中でトラックが日産グロリアのバンを追い越した。

後ろを見ると、運転席にSと助手席にKが見える。

やがて村に着いて我々は車を降りた。

イスラム教徒たちはズルズル降りて散って行ってしまう。

私は、覚えのある人物に近寄って、声をかけた。

感謝の言葉を述べようと思ったのである。

立ち止まった彼に、なぜか前に指を組んで、「サンクス、ありがとう、シュクリヤ」叫んだ。

すると彼は、「ネイネイ」みたいなことを言って受け入れない。もう一度言うと、「ネイネイ」と言って、私の手を取って、近くのチャイハナ(カフェ)の男に声をかけて何か話しかける。男は片言の英語がしゃべれた。それによると、

「我々はアッラーの思し召しによって人を救済する。人を救済することはアッラーの願いに叶うことだ。だから貴兄らを救ける機会を与えてくれてありがとう。」

私はかつてこのような思想を目の前で見たことはなかった。

「救けさせてくれてありがとう」とは何たることであるか。

私がイスラムを了解した瞬間である。

世の中には実にいろいろな考えがある。

私は、救けてくれた男に向かい直して、膝まずき、もう一度前に手を組んで、「シュクリヤ!アッラーアクバル!」と叫んだ。

男は満足そうな笑みをヒゲ顔に浮かべてバザールに消えて行った。

78年の9月のことである。

あまりに暑い時、逆に肌を出してはならないことを忘れてはならない。


2007-08-24 決定

_ 決定

今雨が降っている。

昨日降ると思いきや音だけだったので(お隣の三鷹では強い雷雨で電車不通)、夜ふざけて雨乞いの踊りをしたら、朝起きると雨が降っているので、偶然とはいえ嬉しい。またかくも日本の気候は面白い。九月中旬の気温だそう。

これまで「忙しい」を連発して来たので、さらに忙しくなると最早表現のしようがない。8月は何と116コマである。これは、休みなしで一日4件をこなしていることを意味している。もちろんこの上で,企画立案執筆会合をこなしている。

通い付けの町医者は、定期健康診断で数値を示しながら、「毎年血液等の数値が徐々に良化していますが、何か特別なことでもしていますか?」と尋ねる。

「ご冗談でしょう。相変わらず超多忙の上運動せずに飲みまくり。週3回のサウナくらいしか汗をかきませんからね。」

すると医者は言った。この男は、老人相手に朝から晩まで仕事して自分の方がぼけ始めていることに自覚的ではないのである。ストレスの一種の発現形態と思って毎回良く観察している。

「やっぱりあなたのお仕事はストレスのないお仕事なのですね。」

私が足を組み替えるフリをして医者の椅子を軽く蹴ると、ちょうど足を浮かしていた医者の椅子は半回転しながら後方1,5mの血圧計の台にぶつかって止まった。

険悪な雰囲気になると思いきや、すばやく定位置に立ち上がって来た医者は、

「失礼致しました。」

と、笑顔で言う。

彼も私も人に会うことに疲れている。しかし彼は10日間の休暇を取った。休暇を取れない私は、ついには「先生お金貯まりっぱなしですね」と言われる始末。冗談ではない。

毎年盆開け8月下旬は作文指導のオンパレードだが、今年はなぜかどれもこれも家族旅行の作文である。そしてこれがどれももうムカつくくらいにいいところへ行っているのだ。「那須」「軽井沢」「ハワイ」はもとより、沖縄、平泉、石垣島、その他諸々。おまけに私には「田舎」がない。私は事務所に閉じこもって仕事をしている。すると、まるで行きたくてたまらなくなるような話ばかり聞かされる。しまいに、隣にいる母親まで興奮して、「先生、本当に冗談抜きですごくいい景色なんです。なんて言うか、そう、エメラルドグリーンの果てしない海に完全に飲み込まれるような‥‥‥」「雨の上がったその森の中は、古代からの樹が重なり合い。そこに銀色の苔蒸し、地面だけではなく、森全体が銀色の、そう、『幽玄』としか言いようのない‥‥‥」「是非先生にも見ていただきたいと思いました」‥…これは「意地悪」ではない。

他にもいくらでも理由はあるが、以上の考察により、9月から1日3件以上仕事を入れないことにした。

ブログがストレス解消?

あんたも蹴るよ。


2007-08-26 「My蹴る」

_ 「My蹴る」

突然バスケでねんざ中1バカ息子に、

「リアップは朕毛にも有効か?」と、尋ねられた。

私は、「分らない」と、極めて「科学的」に答えた。

加えて、経験上、また「社会学的」に、

「陰毛については毛染めの方が有効である」

と、「助言」した。

これでひるんだので、すかさず、

「それも30年後のオマエが語ることだろう」と、やった。

久しぶりでの「完全勝利」であった。

私はサウナ以外で他人に陰毛を見せることはない。

しかし頭髪の具合と陰毛の具合の比較は、限りなく興味深い観察の対象足りうる。

女性では考えられない世界である。

もちろん、顔とチンコについては、完全に「履修済み」である。

サウナ通いで、私は顔とチンコの「相対値」を掴んだ。

しかし今のところ頭髪と陰毛の関係は解明されていない。

垢擦り女ならその答えを知るかもしれない。

私は、「変態」ではない。「変態的文章」をふざけて試みることはかねてお断りの通りである。ペンネームは、全ての読者が忘れてはならない、「ジョーカー」である。

最近私は、朝自転車で事務所に向かう時、麦わら帽子(中国製―300円)、サングラス(ダーバン‘06―2万4千円)という出で立ちで、家族生徒を含めて、多くの人に「変態」と言われて久しいが、陽が当たる中での麦わら帽子に、紫外線完全カットのサングラス姿のどこがオカしいのであろうか。私は昔、土砂降りの雨の中、デパートに行こうとする時、玄関で当然のごとく長靴を履いた私の姿を見て、「もう私は二度とあなたとはデパートに行かないでしょう」と涙して諦めた女と、なぜだか今も生活している。この項、向こうが馬鹿なのは明らかであると「理性的」に断じておきたい。

「芸」がないと言ったらそれまでであるが、人が「冗談」と気がつかないまでに「冗談」をかますのは、「冗談」以上の「My蹴る」はいないということになりそうです。マイケルは、「ハゲ」でした。家族はカゲで私をそう呼びます。しかもその上に「あの」がつきます。

_ 北国の 海に実れり 大秋刀魚


2007-08-29 皆既月食下

_ 皆既月食下

「平行四辺形の対角線は互いに他を二等分する」→「互いに中点部分をつないだ二線分の外殻を結ぶと平行四辺形が現れる」

このことに、他人に教えられずに自ら気がつく人はまれであろう。

我々は、「明文化」された言葉によって、「知識」を得る。

したがって「教育」には、その「前提」として、「知識」を持つものと持たないものの間に、「支配」、「非支配」の関係が内包される。

言うことを聞かないものには教えない。「教える」とは、「既定に知るものを」である。

反面、すでに分っていることの修得だけが「教育」と思い込むと、その時、「未来的可能性」が排除される。

賢さとは相対的で、新しい「知恵」が発見されれば簡単に覆る。

私はこのことを現象学的な命題にしたい。

トーマス=クーンのパラダイム理論も、この命題の認識に集約できると思う。

ゆえに、「支配的な教育」は、常に、「能力開発」を「抑制」する。

つまり、次世代が賢くなることを容認しないのである。

こういった考えの人は、自らを幸島の年老いたオスザル的存在であることを自覚しない。

彼らは新しいもの=これから生まれてくるものに興味がないのである。

言わば、「現世利益」にしか関心が持てない人たちなのである。

「文化の進化」を信じれぬ人たちなのである。

真のリアリスムは、ロマンティシズムの認識を内包する。

リアリスムは、「柔軟性」なしには現象しえない。

言うことを聞くか聞かないかで、教育的「意欲」を決定することは間違っている。

そもそも言うことを聞かないものの方が新しいことを求めている可能性が高いのだ。

「支配」することによって成立する教育、それは最早完全に過去の産物である。

「教育」とは、本質的に「縁」の産物である。未来への「信仰」である。

言い換えれば、「どうしても素通りできない」と直感できないものは、「学」とは無縁のものたちなのである。

彼らは飽くことなき3次元的活動に停滞しよう。

「転回点」を予知しない「愚者」である。

断っておくが、これは「知」というより「直勘」の領域である。

以上考察により、私は、「教育改革」は限りなくあり得ないと結論している次第である。