2008-02-29 「予測」
_ 「予測」
何が正しい選択なのかを自発的に考察すること。それが未来社会人の保証である。
高校2年の時に気がついた。
自分は必要以上に他者の心の有り様に好奇心を持つ人間である。
他者は、考察や観察を敢えてしない人がほとんどである。
_ 哲学科の学生の時、現象学の授業中、
「どうして言語そのものを現象学的還元しないのですか?」
と発言すると、教授がしばし絶句して、
「それは哲学することを否定することを意味する。キミはその問題の解決がどうやってできると思っているのか?」
と言うので、
「僕はこのことは、禅の例で見ても、すでに東洋ではほぼ解決されていたと思う。現代社会においては大脳生理学の発達を待つしかないのではないか。」
と答えた。
今、世の中は大脳学者が隆盛である。
_ 卒論テーマを決める時に、指導官に、「チベット密教と西海岸ヒッピーの思想の関連について」と答えると、人をチョー見下した微笑みを浮かべ、「キミは入る大学を間違えている。福沢先生は、西洋の学問を日本に導入しようとされた方である。したがって、ここにはその方向性の指導をする教官はいない。」と言う。
今、時代は、仏教的にはチベット密教が中心点であり、西海岸カルチャーの産み出したものは人類進化に欠かせぬものであることが明らかになった。これらは両方とも、脳の新しい領域認識に関係がある。
_ 自身の怠惰もあったが、私は教育機関に絶えず自分の好奇心をへし折られて来た。その結果選んだ哲学科でもこの有様である。
新しい時代が来れば、現在私たちが難しいと思っていることは簡単に解決されよう。
と言うことは、現在私たちが悩んでいる問題は、未来において簡単に解決される。
未来とはそういうものだ。
_ 私の「予測」がおおむね正しいことは少し経ると知られる。
すると、私のするべきことの本線は、「未来予測」である。
_ 脳学者がいかに優れた存在であろうとも、日本人なら米を食わずにはいられない。日本の米は世界一うまい。中国人リッチは魚沼産コシヒカリを食べている。こと食生に関する限り、我々は自然と「意識的」に関わっているのだ。だから、今年あたりから米に関する学者が、いよいよ本格的に世間をにぎわしてくると「予測」する。
そして地球環境問題の解決は全ての人が植生に関わることになろう。
そして教育については、「古いこと」をし続けるものは、愚かであったことになろう。
学問は、純粋な好奇心に基づかなければ意味がないことになる。
―できるだけ環境エネルギーの浪費をしないで個人がするべきこと。
それは「学問」と「芸術」である。
なぜならそれらは人を自ずから高めるものであるから。
そして自分以外のためになることであるから。
禅は、「真理」が言葉で表せないものであることを、ヴィトゲンシュタインの遥か千年前に洞察していた。