2008-03-03 仕事場
_ 仕事場
受験が終わっても、連日多くの新規クライアントと面談している。
様々なご相談があるが、当然受験成功を目指すご家庭がほとんどである。
私は、今年、国語力をつけることには成功したが、受験では「敗北」した。
今年は「変節」の年にあたり、私が反対する詰め込み教育を受けたものたちの方が強かった。
詰め込み教育は、センター試験を行う国家の意思である。
子どもに必要以上の暗記を強要すると、発想力の弱い小さな人間ができる。
そして、その間の他のことの成長が抑制される。
感受性はその代表である。
私は、子どもを壊さずに受験に成功させることを試み続けているものである。
受験勉強から子どもの健全な発達を守ろうとするものである。
しかし、「敗北者」を出してしまっては話にならない。
子どもを半年以上進学塾に通わせると、その半数近くが「壊さ」れる。
進学塾に通っても大丈夫なのは、上位30%以内に楽に入る子どもたちだけである。
しかし、6年生私立の形成や経営戦略に進学塾がかんでいるのであるから、進学塾の情報なしには楽に合格することはできにくい。
ではどうするか?
V-netでは現在、塾に通わずに、塾の公開試験を活用する方法をお勧めしている。
これから入試問題の解析を進めて、理社で詰め込まなくても高得点する方法を考案する。
そして、筆者集大成としての現代社会受験哲学を構築して受験現場から離れる。
活動を国語教育に特化する。
私がもっと賢くなる波動を出さなくては、子どもたちが賢くなることはない。
2008-03-07 ウズラハウス
_ ウズラハウス
2月末に支払い予定だった出版社からの印税が滞ったため、旅行と新しいマックを買うことを諦めた。例年通り、受験に失敗したご家庭には、授業料を請求せず、また、無料で相談に応じている。
税金支払いに必要投資をすると、残高はゼロ以下とのこと。
3月中旬から予定していた久しぶりでの長期休暇は、自宅で構想を練るためのものとあいなった。
その間、クライアント諸氏には申し訳ないが、私は休む必要がある者であることをご理解いただきたい。
小説も書きたい。
また、「猫の額」の大改良工事とエコ循環ウズラハウス作成も試みたい。全て自分の手で行えば限りなく安く済む。
読者諸兄、私はウズラを飼おうとする者である。
まず、ゴミ用ストッカーを買って来て池を作る。
その上に、3層にウズラハウスを造る。
ウズラハウス屋上の野菜はウズラが喰う。
ウズラが糞をすると、池のどぜう(サービス!)がそれを喰う。
どぜうのクソ水を菜園に播く。
野菜が育つ。
どぜうが育てば、どぜうを裂いて、自家製野菜とウズラ卵で、「駒形」の向こうを張る予定である。
バカらかしかろうが、私はそれを試みる者である。
昨日、自家製カリフラワーを茹でて食べたが、美味しくて幸せだった。
金がなければ、構想を練る。
ヒマがあれば、創性は蘇る。
完全フラットになれば、やがてアイデア出まくり状態になる。
新規出版の他、講演の依頼も少なからずある。
ありがたいことではないか。
私より出版社で働く者の方が気の毒だ。
2008-03-11 読書
_ 久しぶりで本屋に行ってごっそり本を買って来た。
何軒か回ったが、私の本は吉祥寺には一冊もなかった。
アマゾンでは売れているのにどういうことだろうか。
まず、和田秀樹著『子どもは公立に預けるな!』(ソフトバンク新書)を読んだ。
私は、こういう本をエリート中のエリートが書くことに深い疑念を感じることを禁じ得ない。
文科省批判においては、私と同様の立場であるが、差別を助長することを書いて平気でいるとは、知識人とは思えない。こういう人間を輩出する灘高とはとんでもない学校ではないかと思ってしまう。『ドラゴン桜』の編集者も灘高東大だった。
エリートの仕事とは、エリート候補ではない人を救うことだと思う。
そして庶民をダマさないことであるはずである。
ところがこの「教祖」は、エリートではない人を「差別化しろ」と言っているのである。
思うことは人の勝手だが、それをさもありげに表明するのは、情けないことではないか。
内容も薄く、相変わらず自分が超エリートで「成功者」であることを笠に着た言説が目立つ。
和田の実生活を知らない人が読めば、6年制私立を経て東大を出ることが素晴らしいと錯覚してしまうことだろう。
相変わらず不利なデータについては全く書かない。
恣意的なデータ処理をして自らを顧みることがない刈谷の言説を根拠として利用する。
「詰め込み教育」は悪くないというが、東大の現状が恐ろしいことになっていることには一言も触れない。
東大がなぜ大学院を無料化せざるを得ないのかにも触れない。
「勝者の論理」を語るだけ。しかも自分の子どもを公立中に通わせた実体験があるわけではない。
「公立に通わせるな」というなら、何で小学校お受験をしなかったのか。
結局自身の美味しい体験をふまえて、私立中学受験を勧めているだけである。
本来なら、公立再建へのアイデアを出すのがエリートの仕事であろう。
詰め込み学習をしたものの多くは、着想力と感受性を失う。そして、自分のことしか考えられない、他者への気遣いのない人間を産み出す。
この人は自分がその「代表」であることに全く気がつかない。
以上、当然のごとく、「冗談」で書いた。
2008-03-14 精神不調
_ 精神不調
どうも精神的に調子が悪い。
あまりにハードな仕事が続いて気がヘンになりそうになったので、ガーデニングで誤摩化しながら、「受験が一段落したら20年ぶりで海外へ一人旅に出よう」と念じてなんとか踏ん張って来たが、これを家人から「そのお金はない」と言われて断念した。しかし、どうも諦め切れない自分がいる。これほど働いてどうして「ご褒美」にあずかることができないのかと。
私は繊細で敏感ではあるが、同時に精神的に強い面があるので、これまでも自己分析と思索と冗談によって何度も危機を乗り越えて来た。
そこで自己分析すると、ここへは書けないが、かなり嫌な答えが返って来てしまった。そしてその解決案は現状下では得られないことが分ってしまった。これが知れるとマズいことに、最早たとえ何とかして旅行に行っても回復できないことが分る。
しかし、思うのである。
受験に失敗した諸君の心の痛みは私以上に大きいのではないかと。
受験が終わったら、これまでできなかったことを思いっきりやろうと思っていた人が、それができないことが分ったときのやるせない思いを考えれば、私が旅行に行けないことぐらいどうということもないのではないか。
「カリスマ」などと持ち上げられているが、私は大した人間ではない。子どもを壊さずに受験に成功させることを仕事にして来ただけである。
私は相談料をこれ以上上げることをしたくない。
なぜかといえば、私の助けを必要とする人たちが私にアクセスできなくなるからである。
私には、苦しむ親子を見殺しにすることはできない。
しかし、子どもの教育に行き詰まって相談してくる人の中には精神科に行った方が良い人たちもままある。
私は、学問的一切のことについて素人である。あるのは他に抜きん出て臨床体験が多いことだけであろう。
「子より親の方が大事」とは、『桜桃』の結びの文である。
2008-03-17 洗脳
_ 洗脳
中2の時、学校で、催眠術ごっこが流行り、術にかかって後ろへ倒れた生徒が頭を打って入院する事件に頭を抱えた生活指導担当の小平先生が、たまたま校庭の石段で隣に座った私に問わず語りに口にした。
「松永、おまえは最も催眠術にかかりにくいタイプだな。かける方はやらないのか?」と言うので、
「かけられますよ。今から先生にかけてあげましょうか」と言って、先生の目をじっと見つめて、両手を空中にヒラヒラさせて、
「今からあなたは催眠術にかからない。5、4、3、2、1!」と言って、指をパチンと鳴らし、
「ほらかかったでしょう」と言うと、先生は、しばし目をパチクリして、
「何だそれは、お前はバカか?」というので、
「やっぱりかかっている、かかっている。催眠術にかからない催眠にかかった。」と指差して笑うと、先生もたまらず苦笑した。
「やっぱりおまえは最も催眠術にかからないタイプの生徒だな。ふざけてばかりいるんだから。教師に取ってやりにくいことこの上ない。」と言って、立ち上がったのを覚えている。
同じく中2の時、やって来た大学生の教生の女の先生が、ふとしたことからけしからぬ人物だと見抜いて授業を妨害すると、担任の中年の男の先生に泣きついた。
ホームルームで、担任が、教生の先生が苦学して教師を目指している立派な先生であることを話すとクラスがシュンとした雰囲気になった。そして、担任に代って壇上に立った先生は、
「皆さんは、ホラ、あの窓の外に見えるこれからどんどん育っていく新緑と同じです。」と言う。
新緑と自分らには何の関係もないと感じ、これを欺瞞に満ちた大人の言葉と捉えた私は、思わず最後列で「ケッ」とほざいた。すると同級生の悪ガキどもが真似をして、次々に「ケッ」、「ケッ」とほざいた。せっかくの雰囲気がこなごなにされた時の教生の刺すような眼差しを忘れることはできない。
哲学科を卒業して結婚し、バイトと小説執筆に勤しむある日、自宅近くにオームの麻原彰晃と言う人物が講演に来ると言うので、当時あらゆる宗教団体を取材していた私は、これに潜り込んだ。
会場に行くと、そこには、白い服を来た、痩せて顔色の悪い連中がうようよいた。ところが時間になっても麻原は来ない。代りに麻原のビデオ映像を見せられた。挙動といい、言葉使いといい、聖者とはほど遠い姿である。
「我々オームはハルマゲドンが来てもビクともしない。なぜかと言えばアストラル体に非難するからである」と言う。
アストラル体?シュタイナーによれば、そこは思考と同質のものでできている世界のことである。
つまり現実の物質界ではない。死後の世界のようなものである。これでは非難したことにはならない。非難しても戻って来れない。周りを見ると皆熱心に頷きながらこれを見ている。バッカらしいことこの上ない。
渋谷で、タダでおいしい食事を食わせると言われて、ハーレークリシュナの支部にも行った。当時、宗教団が破滅的な末期を迎える小説を書いていたのでその取材もかねて、食後にリーダーに議論を挑んだ。相手はなかなか手強かったが、逆に質問攻めにして多くの信者の前でメタメタにしてしまった。ここにいたのはオームよりはるかに健康そうな人たちであったが、偶像崇拝主義者でなじめたものではなかった。
「また是非来てお話しましょう」と言われて席を後にすると、信者の若者が、
「いやースゴい人がいるものですね。ああいう人が仲間になってくれると力強いですね。」と言うのが背後で聴こえる。
リーダーが、「ああいう信仰心に縁のないものはここへは来ない。地獄に堕ちるのだ」と答えるのも聴こえた。
苫米地英人の洗脳シリーズを読んでいる。実に興味深い内容で、このブログの読者にも、『洗脳原論』、『洗脳支配』の一読をお勧めするが、『洗脳原論』の結論は、「哲学があれば宗教は要らない」と言うもので、愉快な気がした。
茂木健一郎も読んでいるが、脳学者の言うことが、私が哲学と臨床から得たことと一致することがまことに多いので、やっぱり理科系に進んで脳の研究をすれば良かったかなと少し思った。
2008-03-22 教育売春業
_ 教育売春業
すまんこってす。ネコ額大改造作業等で時間を取られてネタが腐る前にブログを更新することができないで。
読者諸兄にあらためて申し上げる。
このブログは「冗談」で書かれているものである。
にもかかわらず、3日観で5000以上のアクセスとは異常である.
ここのところ、受験相談以外の「相談」が多くなり、やっと相談業らしい仕事に戻りつつある。
が、実のところ、最も多いのが、「6年制私立に入りましたが、惨憺たる成績です。助けて下さい」というものなので、「受験」に関すると言えば受験である。
知っての通り、6年生私立とは、「中高6年間のカリキュラムを5年間に詰める」のではなく、「中学3年間を2年間に詰めようとする」ものである。
まあ無駄が無いっちゃあ無駄がないが、遊びたい子どもには地獄下である。
ご存知受験産業のキーモワードは、「女親の不安」である。
私はすでに充分にだいたい近いぐらいこの現象を解析しているが、教育で営利を追求すると、究極お金を出す女を不安にさせることになるのである。まあ何でも同じか。
私は自らを「売春」と極めて似たサービスとわざと自覚的に捉えてこれを認識してきた。
真の売春婦は「サービス」で応じる。お客の幸せを願う。
これを教育語に翻訳すると、
「真の教師は相手を良く観察し、知恵の向上にエクスタシーを感じさせ、生徒に進歩を実感させようとし続ける」になる。
学研も早稲アカも、「6年制私学で落ちこぼれないための学習」の売り込みに懸命である。
彼らは女性が「不安」に弱いことを女性以上に認識する。
あたかも「恋愛」において、女性を「不安」にすれば勝ったも同様、女性を不安に誘導できればビジネスは圧倒的に「勝利」である。ホストクラブはそのことを痛切に物語る。
問題は女性たちにそれを客観化する「抽象能力」が備わらない点だ。
女性は強くなったが、ダマされ易いという女性性を残す。
してみると、「知性」には、感受性を上回る判断能力があることになる。
男性にも「チャンス」はある。
2008-03-26 へぇ〜
_ へぇ〜
「ラティス」とは「トレリス」のことであるのだが、良く花壇背景等で目にする斜め格子縞の一畳くらいの花壇のフェンス代わりの木製品である。
ホームセンターで見ると、「お買い得品!1480円」である。
で、このラティスを立てようとすると、支柱1本1980円、支柱固定金具480円、ラティス固定金具セット980円で、およそ1500円のものを立てるのに、5000円以上かかることになる。
しかし、この「矛盾」は一瞬で解決できる。
ハーフブロックに刺せるサイズの材木を買って、それに横に角材を張って、ラティスをはめ込めば良いのである。
ところへ昔生徒東大倫理学君が手伝いを名乗り出る。
現在、「猫額」は花壇面積2倍、高さ40センチupで、大改造中である。最早歩けるところを全部捨てて花壇=畑にする算段である。
ご存知か?これだけするのにすでに「花の土」(25ℓ)が50袋以上必要である。
で、死にものぐるいでラティスの塀を作り、これを持ち上げて設置しようとしていると、ちょうど買い物に出るための女親子が、「『裏側』の方が表っぽい」というのでこれを逆設置すると、見栄えは良いのだが、壁との隙間が10㎝空いて、苦労して庭を拡張している歓びに矛盾する。
東大生は、「きちんとした設計図も書かずに、こんなにいいかげんにやってできっこないと思っていたら、それなりにできたので新鮮な驚きです」とか言っている。
池とウズラハウスの設置状況は確定したが、プラモデル一つ満足にできない自分には,「苦難の道」が聳え立つ。
家族は、親族系と旅行に行って3日間いない。
職人が無口になることが分る今日この頃である。
2008-03-29 ㊙技
_ ㊙技
相変わらず六年制私立の落ちこぼれ君たちの相手をしているが、中には親が聞いたらたまげるような㊙技を使う生徒もいる。
「パソコンやり過ぎで成績不良」とのことだったが、授業をしてみると、一見のらりくらり風だが、実は極めて頭脳明晰。カラムを散々やって和んだ後、説明を求めると、あっさり「自白」。
「テストで7割以上とって一番上の特進クラスに入ると、地獄のようなプリント攻撃と威圧的な授業をする教師の授業を受けなければならない。だから、わざと点数を調整して、一番下のクラスで仲良し友達と愉しくやっているのです。」
この生徒は、「学校の授業は聴いているだけで充分で復習が要らない」というから、苦しんでいる生徒たちからすれば羨ましいとしか言いようがない状態である。
私はこの生徒を「大物君」と認定した。
彼はクラスの友人の間で人気絶大で、彼らを思いのままに采配できるという。
パソコンも実は彼が開いたオンラインゲームで、ネット上で電話回線が繋がった状態で、何人もの同級生が参加している仕組みだそうだ。
彼は通学時間が長いことに辟易している。往復3時間半である。慣れたとはいえ大変だろう。
そこで提案してみた。
「6年制私立で成績優秀だと、早大高等学院や慶応義塾に抜けるのは意外と簡単。早大学院なら通学時間が半分以下になるし、どう?」
答えは、「やっても良い」とのこと。
それにしても中堅6年制私立特進科では約半分が落ちこぼれるという。
この生徒は、「無意味に苦しんでいるものも多く、バカらしくて受けていられない」という。
功を焦る教師も親もこういった生徒が存在することにまさか気づくことはないだろう。
子どもたちは過酷な学習状況の中で、周囲の大人が想像もできないことを思いついて実行する。
この生徒に限らず、潜在的なメンタリティーが高い子どもたちは、ただ勉強ができるように仕向ける教師や親たちを完全に見下している。
一番の問題は、特進科指導が、高度成長期鬱病誘発型、生徒の精神衛生を無視して行われ続けることではあるまいか。
私は、ここにサピックス型教育の一つの「終末」を見る。
大人の意図で、あまりにつまらないことを我慢して行う子どもはろくな大人にならないと私は思う。遊びたい盛りの子どもたちに,学校の進学実績のために資本主義的競争原理で自主的に学ばせるのには限度がある。
ゆえに、「㊙技」を使う能力がある生徒はなかなかの「大物」である。
しかし、「油断大敵」ということを忘れてはならない。
14歳からは本格的に勉強するべきだ。