ブイネット教育相談事務所


2008-03-17 洗脳

_ 洗脳

中2の時、学校で、催眠術ごっこが流行り、術にかかって後ろへ倒れた生徒が頭を打って入院する事件に頭を抱えた生活指導担当の小平先生が、たまたま校庭の石段で隣に座った私に問わず語りに口にした。

「松永、おまえは最も催眠術にかかりにくいタイプだな。かける方はやらないのか?」と言うので、

「かけられますよ。今から先生にかけてあげましょうか」と言って、先生の目をじっと見つめて、両手を空中にヒラヒラさせて、

「今からあなたは催眠術にかからない。5、4、3、2、1!」と言って、指をパチンと鳴らし、

「ほらかかったでしょう」と言うと、先生は、しばし目をパチクリして、

「何だそれは、お前はバカか?」というので、

「やっぱりかかっている、かかっている。催眠術にかからない催眠にかかった。」と指差して笑うと、先生もたまらず苦笑した。

「やっぱりおまえは最も催眠術にかからないタイプの生徒だな。ふざけてばかりいるんだから。教師に取ってやりにくいことこの上ない。」と言って、立ち上がったのを覚えている。

同じく中2の時、やって来た大学生の教生の女の先生が、ふとしたことからけしからぬ人物だと見抜いて授業を妨害すると、担任の中年の男の先生に泣きついた。

ホームルームで、担任が、教生の先生が苦学して教師を目指している立派な先生であることを話すとクラスがシュンとした雰囲気になった。そして、担任に代って壇上に立った先生は、

「皆さんは、ホラ、あの窓の外に見えるこれからどんどん育っていく新緑と同じです。」と言う。

新緑と自分らには何の関係もないと感じ、これを欺瞞に満ちた大人の言葉と捉えた私は、思わず最後列で「ケッ」とほざいた。すると同級生の悪ガキどもが真似をして、次々に「ケッ」、「ケッ」とほざいた。せっかくの雰囲気がこなごなにされた時の教生の刺すような眼差しを忘れることはできない。

哲学科を卒業して結婚し、バイトと小説執筆に勤しむある日、自宅近くにオームの麻原彰晃と言う人物が講演に来ると言うので、当時あらゆる宗教団体を取材していた私は、これに潜り込んだ。

会場に行くと、そこには、白い服を来た、痩せて顔色の悪い連中がうようよいた。ところが時間になっても麻原は来ない。代りに麻原のビデオ映像を見せられた。挙動といい、言葉使いといい、聖者とはほど遠い姿である。

「我々オームはハルマゲドンが来てもビクともしない。なぜかと言えばアストラル体に非難するからである」と言う。

アストラル体?シュタイナーによれば、そこは思考と同質のものでできている世界のことである。

つまり現実の物質界ではない。死後の世界のようなものである。これでは非難したことにはならない。非難しても戻って来れない。周りを見ると皆熱心に頷きながらこれを見ている。バッカらしいことこの上ない。

渋谷で、タダでおいしい食事を食わせると言われて、ハーレークリシュナの支部にも行った。当時、宗教団が破滅的な末期を迎える小説を書いていたのでその取材もかねて、食後にリーダーに議論を挑んだ。相手はなかなか手強かったが、逆に質問攻めにして多くの信者の前でメタメタにしてしまった。ここにいたのはオームよりはるかに健康そうな人たちであったが、偶像崇拝主義者でなじめたものではなかった。

「また是非来てお話しましょう」と言われて席を後にすると、信者の若者が、

「いやースゴい人がいるものですね。ああいう人が仲間になってくれると力強いですね。」と言うのが背後で聴こえる。

リーダーが、「ああいう信仰心に縁のないものはここへは来ない。地獄に堕ちるのだ」と答えるのも聴こえた。

苫米地英人の洗脳シリーズを読んでいる。実に興味深い内容で、このブログの読者にも、『洗脳原論』、『洗脳支配』の一読をお勧めするが、『洗脳原論』の結論は、「哲学があれば宗教は要らない」と言うもので、愉快な気がした。

茂木健一郎も読んでいるが、脳学者の言うことが、私が哲学と臨床から得たことと一致することがまことに多いので、やっぱり理科系に進んで脳の研究をすれば良かったかなと少し思った。