ブイネット教育相談事務所


2008-09-05 メディアと教育

_ メディアと教育

NHKの会長が、視聴率の低落傾向について、「最近の若者は、本はおろかテレビも見ない。これではいったいどこで彼らは教養を得ることができるのか?」と語ったと言う。

若者の本離れの理由が明らかにテレビ視聴のせいであったことを思うと、いささか滑稽であるが、その若者たちに聞けば、「自分はネットを始めてからテレビは見ない。友人にもテレビを見ない者がたくさんいる。テレビはやらせと嘘ばかりで、しかもバカバカしくて面白くない。テレビだけではなく、メディア全体を若い人は信じていないと思う。」という。

民放では、若者ばかりか富裕層が率先してテレビを見ず、広告効果が上がらないので、トヨタなどのクライアントが離れつつあり、すでに従業員賃金カットもあるとか。

私がテレビを所有しなくなってから、およそ20年が経つ。そもそも見るべき物がないのに、ニュース番組ですら、久米宏や筑紫哲也と言ったタレントキャスターが、広告料を取っているからこその報道になっていることは触れずに、つまらないコメントを繰り返した上で、すぐにスポーツ番組に変わってしまうので、「洗脳」を意図したという感じが強いテレビを見るのをやめてしまったのである。最後まで見ていたのは小林勝也のベストヒットUSAだけだった。

テレビをやめると、NHKの穏やかな女性社員から電話がかかって来た。

「ただでさえGHQ臭いのに、あまりに露骨な自民党内竹下派よりの報道は、わざわざ金を払って見る気には到底なれない。」

と言うと、まるで、「良くご存知なのね」と言った感じで、にこやかに、

「御意見ありがとうございます。」と電話を切った。

ウけることと、煽動することと、啓蒙することは違う。

ウけることは、視聴率という価値観によって測定されるが、その背後に「ものを買わせようとする経済的意図や、思うように判断させようとする政治的意図があれば、自称「公器」の役割はなくなろう。

新聞も同様である。広告収入を思うあまり、思いっきり書くことを自制すれば、記者が腐るのは教育現場の教師と同様の結果になるのは明らかであろう。

自民党で、すでに麻生に決まっているはずなのに、総裁選立候補者が次々に出て来る。これはどこかのイベント企画会社が仕組んだ選挙勝利戦術に見える。対立候補のない民主党の小沢決定にやんわりとボディーブローをかませようというのだ。女性である小池を担ぐ者が出るのも、石原のような本質的なバカが名乗りを上げるのもそのためであろう。

新聞やテレビのトップはこの報道ばかりである。同時に必要以上に大相撲大麻問題で騒いで、他の何かの報道を抑制する。

「若者はなかなか見えている」のではない。バレないと思ってやっている神経の方が異常なのだ。

これからのテレビは、本質的な啓蒙活動を行わなければ、学校同様、腐敗して「崩壊」する。

それにしても私が「見切」ってから20年でテレビがこんな状態になるなんて、世の中のスピードは思ったよりも速い。

すでに政府の構造的腐敗によって、若者から良い教育を奪い、しかも国家借金の付けを回したことを若者はよく分かってしまっている。そして、まともな若者なら誰でも、このことが解決されない限り、我が国が良くなることが難しいことは、「JAの小作農だった」と述べる農家同様、薄々感づいてしまっている。

出版や新聞だけではない。メディア全体が、まるで政治家や教育集団同様に信頼を失う方向性なのだ。メディアと教育の腐敗は構造的な「相似」に見える。

ではどうなるか。ではどうするか。