ブイネット教育相談事務所


2008-09-26 悪癖

_ 悪癖

「調査」のため、もう一発「変化球」を投げる。

私にはとんでもない悪癖がある。

それは、もし、何かの作業中にその作業がちょっとでもつまらなく思えた瞬間、スイッチが入れ替わって、頭の中で何か別のことを考え始めてしまうというものである。

これは小学校に入ってすぐに身ついた。

担任の先生が悪いのではない。

教室という箱に入って、前を向いて机に座るのが退屈なのである。

こうした時、多くは放課後の遊びのことを考えたり、この前あったオモロいことを思い出したり、果てはあり得ない自分がヒーローになったような話を頭の中で作るのが常套となった。もちろんこの他に、机の穴をコンパスの先っちょで拡大したり、後から真面目なやつのアタマに消しゴムをぶつけたり、という実行作業も行うのであるが、これらはどういうわけか教師がキレるので、毎回はできないのである。

大人になっても最早取れなくなってしまったこの悪癖は、それまでにも奥手でアタマが悪かった私を、完全なる「学習困難児」へと導いた。人間普通頭の中までは見えないから、この悪癖が完全に見破られていることはあり得ないので、いつでもできるという利点が大きかった。たまに、鋭い教師がいて、いきなり「何を考えてるかっ!」とやられてビビることもあったが、素早く黒板に書かれている言葉を読み取って、それに関するオモロい連想を口にすると許されることが分った。こうなるとこっちのもの、常にオモロい連想を用意して待つ遊びが加わる。しかし、ある一つのオモロい連想は、それより上のもっとオモロい連想をすぐ呼び出す。最早授業どころではない。こうして私は教室での授業というものがほとんど聴けなくなった。私の授業は、放課後の友達と群れて遊ぶ、「男の駆け引き」を学ぶ世界で、夜寝る前の読書であった。

とにかくつまらない話は苦手。講演会や研修会は死にそうになることがあるので滅多に参加しない。本を読んでいるのにつまらないところにさしかかると、字面を追ったまま考えごとを始めているからいよいよもう「病気」である。映画もつまらないと分った瞬間席を立つから誰も誘わなくなる。

次々と出版物が出るとは、次々とゲラが押し寄せることである。ゲラとはそこまでの原稿を読み込んで修正加筆することである。昨日は一日ウンウン言ってこれをやった。たまにウズラを見に行くが、基本的に机から離れない。数年前に出した本の文章を書き直すのだが、これが全然非創造的でオモロうない。おまけに昨日まで他の多種の原稿で頭が疲れている。今日が締め切りである。

この瞬間である。ヤバい!例のスイッチが入ってしまった。私の頭の中には、このいくつか後の本で書く予定になっている、私の小学生時のベーゴマやカンケリの話が、実にリアルにあたかも昨日の出来事のようにはっきりと、次々に渦巻き始めてしまったのである。思わずこれに夢中になりかけたが、今は何としても目の前のゲラを進めなければならない。いっそのこと今この話のことをメモるのが良かろうかとも思い始めてしまう。そして結局、これはアタマが煮詰まっているから、ここから離れることが正しいという気持ちを起こさせてしまう。

私にとって「休息」とは入浴である。汗をかいて体の煮詰まった想念を追い出すことである。しかし考えてみれば、朝入浴した時にお風呂のお湯を抜いてしまっている。夕方の仕事まで二時間あるから高井戸は無理としても、自転車で西荻の風呂屋へ行き、そのあと事務所に出ようと、年中無休が歌いのサウナに着くと、今日は駐車場にトラック建設関係のお客が多い。

「臨時休業」―今日は店内改装のためお休みさせていただきます。明日は朝より平常通り営業致します。

呆然として家へ取って返す。やっぱり家の風呂を沸かして「入浴瞑想」しようと風呂場に行って栓をしようとすると、携帯へ電話。締め切りの編集者である。こういうときは、適当なことをしゃべりつつ原稿がおおむね終わっているフリをしていつ逢えるかを聞く。「明日夜。」とのこと。な〜んだまだ一日あるじゃん。てなわけで風呂が沸くまでの間にこれを書く。ゲラゲラ。