ブイネット教育相談事務所


2005-05-23

_ 世情では、多くの人が学力低下を憂いているという。そんなことは実は真っ赤なウソである。メディアも国立教育政策研究所と同じ手法をとる。共通点は両者が試験に勝っただけの高学歴者による組織である点である。 新聞やテレビで騒いでいる最中に、アンケートを取れば、そんな結果が出るのは当たり前のことではないか。大衆が、テレビと新聞に翻弄されるのは分かり切っていることである。 学力低下とは国全体の問題であり、個人や個々の家庭にとってはどうでも良いことであるはずである。現在の日本国民が国全体のことを憂える可能性は、自己の立ち場だけを考えている文科大臣と同様に限りなく薄い。 上から下まで、高級官僚から下級官僚、民間人まで自分のことだけを考えているのは否定せざる事実であろう。まずそのことを強く認識しよう。我々は、自分達のことを第一義に考える。フランス人と同じである。 何と先進国家的考えであろう。帰属意識が高いのは、後進国にこそ充当であろう。 人々が怒っているのは、税金で行うはずの教育サーヴィスが充分に行われていないことだ。 公共サーヴィスが充分に行われていないこと、そしてそのことについての情報が隠ぺいされ続けていたこと。このことが、90年代の社会主義政権の崩壊の原因であったことは、これまた否定せざる事実である。中国もそうなるだろう。北朝鮮もそうなるだろう。そしてその後には、日本もそうなるであろう。 公共の場にある人たちが積極的に働く気が失せるシステム。そして、学歴と試験高得点だけを目当てに大人になる人たち。談合に天下り。そういう人が支配する社会システムは、自己の立ち場的優位を利用することにやぶさかではなく、反面同時にできるだけ楽をして労働をケチる人を生み出すことは、20世紀的に明らかなことである。 そんな世の中の中で、自発的に努力する人が、自分のことだけを考える人がほとんどであるのは当然のことであろう。 これは現実である。 国民が、自分のためだけに学問を行う時、国家はマイナスの方向性を取らざるを得ない。これは歴史の必然である。国家のことを思わずに、誰が特攻隊の藻くずと消えることを望み得ようか。 理念の欠如して行く社会。これが我々の志向する社会である。 もちろんこれは、不幸なことである。 なぜなら、自己存在は他者愛においてしか確認されないからである。 してみると、真に他者のためになることを思わない学問は、未来社会における幸福、つまり、存在の歓びから限りなく遠ざかる営為であろう。