ブイネット教育相談事務所


2007-03-12 「勧告」と「助言」、「指示」と「援助」

_ 「勧告」と「助言」、「指示」と「援助」

「勧告」と「助言」というのは分りやすいが、「指示」と「援助」は分りにくい。

「勧告」と「指示」は、命令乃至は行政令の行使という意味であろう。「助言」と「援助」は、「余計なことは出来るだけ言わないが、助成金のことがあるのは覚えていてね」という意味である。

上は、中教審の教育委員会についての諮問のあり方であるが、自民党は本当に「政治」というものがよく分かっている。支持者層がよく見えているのである。

おそらく、子どもを私立に逃すことが出来たものたちは、そうではないものたちよりも圧倒的に裕福な階層であろう。彼らは、「訓練」が必要な、愚かとしか言いようがない階層を見切ったのである。

私立は、言うことを聞かない子どもを退学にすることが出来る。能力のない教師を辞めさせることが出来る。対して、公立ではそのどちらも出来ない。少なくとも都市部の公立は、文科省に見切られているのである。彼らが必要とする未来社会のエリートは私立に出させれば良く、下等労働に甘んぜざるを得ない人々を公立で「飼い殺し」にするのである。「教育の機会均等による格差是正」とは、首相も良く言ったものだ。

自民党と公明党の政策一致点は、共産党の排除である。

しかし、私は最早共産党には力がないと思う。公明党支持者をはるかに割り込んでいると思う。

私は共産主義者ではないが、共産主義者が良く読書して能力が高い人を多く含むことを知っている。

マスコミ、高校社会科教師、これら文系高学歴者が、反体制的なポジションをとることは必然であり、そのことがかえってこの社会のバランスを保っていると私は認識する。私は、教職者組合は、全体を網羅するものではなくて「有志」のもののために、働く気がないものを切り捨てるべきだと思う。働く気がないものを「労働者」とは言わない。労働者とは、真面目に働くからこそ、正当な賃金を求めるものたちであり、その意味では極めて資本主義内の存在である。資本主義がなくなれば、「労働者」は存在しなくなる。そして、「労働者」がいなくなれば、資本主義は成立しない。

教育荒廃は、文科省支配と教職員組合の権力争いによって起こったことは間違いがない。両者とも、自己の立場保全を、子どもたちがひどい目に遭うことに優先した。お互いに責任をなすり付け合った。

政府のするべきことは、「思想」の排除ではなく、「無能者」の排除であるべきである

上からの教育改革が出来っこないことを知らぬ振りをし続けること、それは犯罪多発社会をやむを得ないと容認する「犯罪」である。

いじめも自発もなくならない。自覚なき庶民は互いを攻撃し合うことで憂さを晴らし、それを包み込む政治状況は了解できない。

左も右もどうでも良いではないか。

ただただ子どもたちに未来的教育を与えるビジョンを示して欲しいと思う。

それが、「教育勅語復活」や「儒教倫理導入」では話にならない。

中教審と再生会議委員に問いたい。

「君たちは恥ずかしくないのか。どうして辞任しないのか」と、私は、「指導」でも「勧告」でも「助言」でも「援助」でもなく、問いかけたい。