ブイネット教育相談事務所


2007-03-25 知識と思考

_ 知識と思考

いささか当然のことを書いて恐縮だが、教師としての私は、知識獲得よりも思考経験を重視する。いよいよ本格的にネットの時代となって、その思いはますます強い。

ある程度の基本的な知識が必要なことはもちろんだし、興味のある事柄についての活き活きとした知識も悪いものではない。しかし、「知っている」ということで、自分のものになっていると錯覚することは極めて危険だと思う。

ヨーロッパの西の大西洋の彼方がどうなっているのか、好奇心を抱いたものは多いだろう。しかしそれを、「海の割れ目がある」と教わって真に受けると発展性がない。同様にインドにおいて、太陽の沈む西の彼方に「極楽浄土がある」と捉えたことを真に受けることは馬鹿らしい。

分らないことを「分らない」と捉えて、それについての思考を停止しておくことは正しい判断である。死後の世界がどういうものであるか、誰にも分るわけがない。果たしてそんなものがあるかどうかも定かではない。ゆえに、それがあることを前提に活動することは、たとえそこに安息があるとしてもナンセンスである。自殺がナンセンスであることの本当の理由はそこにある。

宗教が倫理観を伝えることは大切なことだが、本当は分らないはずのことを分っていることにするのは迷惑なことである。

分らないままでもかまわない。しかし、分らないことを考えようとする時に、人のアタマは進歩する。

多くの人が、教育にあたって、知識を与えてそれで善しとしようとする。子どもが考えている最中に、それを中断させて、答えを与えて済まさせようとする。子どもが頭の中で何をしているのかを観察することは容易いことではない。しかし、考えている最中に何らかのアタマの発達があることを忘れないようにして教育することが肝要である。 

あまりに受験合格ばかりが重視されて、子どもの知能の発達を顧慮しない教育方法の蔓延に改めて苦言を呈したい。

<22日付V-netパーティーのブログもご参照下さい>