2007-03-16 山崎正和
_ 山崎正和
いかにもやる気がなさそうな山崎氏が、どうして中教審のとりまとめ役になったのか。それは「使命感」からではなく「老い」からなのであろう。
彼は、いつも問題になる、中教審の意見と文科官僚がまとめる文書ニュワンスの差を折衷させる「ガラス細工」レトリックのために雇われた。使命感ではないとするならば、それは文化勲章が欲しかったからに違いあるまい。
彼は「辛口」の人間である。伊吹同様、これまでの言説から、ほとんどの人間をバカだと見下していることは明らかである。
知識階級が、下層階級ををバカにするのは勝手だが、今回の任務を引き受けるにあたって自身の教育観を全く述べなかったのは「卑劣」としか言いようがない。我々は、山崎が、これまで一度も未来ビジョンを述べなかった人間であり、同時に悪しき部分もあるはずの保守陣営に対してほとんど苦言を呈しなかった人物であることを冷静に認識するべきである。彼の哲学は、「大衆はどうしようもない存在だから、出来るだけ自分にとって損になることを避けて上手に生きること」を第一義に考える選民思想にあると思ってまず間違いがない。これは、相手にしたくないくらい「卑小」なものであり、そのために「曖昧」を利用することを処世術とする「確信犯」である。こういった人物には、「文学」を語る資格が微塵もない。
今回彼は、「啓蒙」よりも「盲まし」を、「仕事」として行ったのであり、我々はこういった知識人存在を絶対に許すべきではないと思う。たとえどれほど大衆を「愚か」と認識したとしても、これを救おうとする気概がなければ知識人として存在する意味はない。
我々はもう、再生会議も中教審も相手にするべきではない。委員を引き受けた段階で、見識のないエセ知識人と認識するべきである。
教育委員会に対する文科省権限を温存するために活動する人物。我々は末代までもこの人物の子孫をあざけ笑うことを正着としよう。
彼の駆使したレトリックを理解できたものは、おそらく国民の1%未満であろう。大衆を見下して、突き放すとき、知識人はその存在理由を根源的に失う。
我々は、最早文科省を相手にしない。
その代わりに、より良いメソッドを提言・実施することを眼目に掲げたい。
69年の東大入試中止以来、政府の行って来たことは「愚民化政策」であり、出来るだけ多くの国民が曖昧かつ巧妙なレトリックを見抜けないことを前提に、国民の国語力低下を画策して来たのである。国民の能力低下を画策して自己保存を計らんとする政権が、前近代的島国根性であることは最早隠しようもない。そして、彼らの眼目通り、大衆がそれに気づくことは全くない。「格差是正」ではない、「格差是認」を国民に求めているのだ。してみると、公明党は馬鹿丸出しの団体である。もちろん、労組の呪縛を断ち切れない民主党も共産党もバカ丸出しの団体である。私は彼ら全体に、瞑想を未来提言的にお勧めしたい。
最後に、子どもたちへ。「我慢して下さい。本当に申し訳ないけれど我慢して下さい。そしてあまりの大人のくだらなさに呆れて自己放棄になるのではなく、自ら積極的な読書に覚醒することが正着であると認識して下さい。」