ブイネット教育相談事務所


2007-07-10 SEOUL紀行ー連載第19回

_ SEOUL紀行ー連載第19回

講演は好評だった。盛大な拍手の上に、サイン希望者の嵐だった。

私は自分を「愚か者」=「大したことのない人間」と認識するものである。

驚く人も多いが、不肖私は、「フツー」のつもりである。

私はフツーの人間である。好奇心と感受性に逆らわずに生きようとして来た。

私は「フザケ人」ではあるが、絶対に「変態」をしないもの足りない人間でもある。

私は愚か者であるがあまりにバカ過ぎることは避けるつまらぬ人間である。

私は「特殊」ではない。「普遍」でもない。「フツー」である。

そんな私は、人間に興味を持つ人間である。

私にとって、人間ほど面白いものはない。

私にとって、人間ほど理解不能なものはない。

そして、自分もその一人である。

自分には、「究極」の価値判断はない。

というか、「価値判断」は究極的ではないと認識する。

価値判断は結果的である。

誰が現実的なオモロさより結果的オモロさを優先するものか。

意識的にややふざけた方が意識的に全くふざけない時よりもはるかに受け入れられる人間真実は、何を語らんとするのか。

ここで考えられるのは、「ふざけ」とは「善意」であり、客体存在への「歓待」であるということだ。

「戯れ」にはコミュニケーションのもとがあるということだ。

うーむ。私はどうしても「性」の定義を構築できない。

相手を心地良くすることーそれは善意を含みうる。

相手の存在を「理解」するーそれは善意を含みうる。

そうしたい自分がいる。

というのは相手に善意があるからである。

なるほど芸人がお客に感謝するわけである。

「お客様は神様です」という言葉の意味はなかなか深かった。

真に理解するのにあまりに長い年月が経ってしまった