2007-07-14 SEOUL紀行ー連載第20回
_ SEOUL紀行ー連載第20回
会後は、OWLBOOKSの社長さんとの焼肉会席。夜のソウルを黒塗りの車が走る。
リーさんの運転は芸術的である。混雑や信号と言った「先」を読み。決してスピード違反をしないで、結果的にほぼ「先着」する。「割り込み」はしないで、確実に入れてもらって車線変更する。日本でこれができるのは、上手いタクシー運転手の他はパトカーだけだ。無理も無駄もしない。周り中で機会があれば割り込み合いをしているのがアホに見れるほどだ。リーさんの運転は、「君臨する」が最も似合う呼び名だ。
まるでかつての早稲田界隈みたいに夜更けるまでにぎわう学生街。
少し外れて、木立がややある駐車場が広い焼肉店。
「直勘」で、人気店であるのが分る。学生、家族つれ、仕事帰り、全ての階層がある。
我々の席はこの一番奥だった。
ジンギス汗鍋が3器。席は14ある。
私が正面奥。斜め右前がソさん。やがて左前に社長のキムヤンゴン氏が現れた。この人は実に「情報」に目が見えた人。経営者的苦労の中年男の表情に、なぜだか共感を持つ。自ら私と社員に次々とビールを注ぎ、「乾杯!」
最初が豚肉ジンギスカンプルコギ。生姜の味が冴えて美味しい。
机の上に、次々と銀色の小皿が並ぶ。「ナムル」の中身が、もやし、ほうれん草、ゼンマイと、別々に出る。紫蘇の葉のようなものの漬け物、キムチ、カクテキ、イカあられ、ニンニクのしょうゆ漬け、クルミと何かあえたもの、そして韓国海苔、その他全約12種。
紹介を受けた中で最年長の、「私はハヤシです」と言った、リムさんは、ビールに焼酎を入れて一気にあおっている。こういう時はすぐ真似をすると喜ばれる。世界各地共通で有効ある。しかしこれはいただけなかった。焼酎に甘い味がついているから、サイダーとビールのチャンポンのような味になるのである。
店の中を見回すが、韓国には焼酎が少ない。いやほとんどない。日本のようにあらゆる銘柄がずらりと並ぶということはない。これはお客のニーズの結果だろう。韓国人は酒にあまりうるさくないのだ。この辺りおおらかでおおざっぱな気質と、気が利いてやけに細かくこだわる気質の違いが鮮明に浮かび上がる。
連続3杯あおり続けるリムさんを見ているうちに、実に懐かしい時代の老人の姿を思い出した。日本でも1980年代ころまで見られた老人たちである。今彼らが漂わせていたものが何か分る気がする。それは戦争の匂いだ。戦地に行って死ぬ目に会った人たちの感触である。リムさんの体から出ているのは、シベリア帰りの老人に会った感触とそっくりである。韓国人にとって「戦争」はまだ終わっていないのである。日本と韓国の最も大きな違い。それは、韓国には「戦後」がなかった点である。いくら何でも60年が経過すれば、その痕跡を訴えるものはごく少数になってしまう。しかしその間も戦争が継続して、しかも徴兵制があれば、男たちの中には生の戦争を体験して帰還するものたちが含まれる。戦没者、負傷者。そして口では言い表すことが不可能な体験をして来てしまったであろう人たちの持つ匂い。それこそが我々が国民墓地や靖国神社に行った時に感ずるものではなかろうか。戦没者の墓地は、平和への誓いをするところでなければならない。かつて病床の亡き父親に、「グァムかサイパンでも行って療養してくれば」と言って、「おまえは私が今さらそんなところへ行って足を伸ばすなんてことができっこないということが分らんのか。いったい何人死んでると思っているんだ。馬鹿を言うにもほどがある。」と怒鳴り返されたのを思い出す。彼らは死者を意識して生き続けているのである。
韓国人の酒には、日本人の酒よりも酔う目的が強い。それは何かを忘れるためであるかもしれない