2007-08-09 SEOUL紀行ー連載第25回
_ SEOUL紀行ー連載第25回
貞洞を指して市内を走るうちに、土砂降りになった。おそらく3時までにはお開きということで、ソさんたちには、こちらから連絡することにして、目的地前で車を降りた。我々二人の携帯は、韓国では使えなくなっている。それがまた良い。電話がかかってくる可能性が全くないのである。鎖をちぎって動き回る犬のようで嬉しい。
サンケイ新聞ソウル支局で会った黒田氏は、年齢不詳。50代だか60代だか分らない。この人には外へ出た脂ぎったものがほとんど見られない。中肉中背、シルバーのやや長めの髪。「大人」と言うか、感情を表さない。ただ目だけが通常の人よりもやや黄味が増した猛禽類の目なのである。しかも、「勤め人」特有の疲労が微塵も感じられない。「韓国人」と言っても通る。正体不明の人物である。
現在私は扶桑社との仕事が濃く、正論にも寄稿したりした。彼らサンケイ新聞系と知悉した印象は、「言いたいことはできるだけ何でもしゃべっちゃおうぜ。その方がメディアとして本線のはずだ」という、まるで講談社現代の編集部と同次元のものである。扶桑社編集者の田中氏は、かつて黒田氏の本も担当していた。私はもちろん黒田氏とは初対面である。
「では行きましょうか」。
黒田氏の言葉で、我々はタクシーに乗り込んだ。
黒田氏の韓国語の指示で、タクシーは大通りを外れて細い路地に入り、グイーンとカーブして坂道を荒っぽく駈け上がり、そのまま尾根道を走って丘を下って、目的地近くらしい渋滞にぶつかった。合流直前で、「ここで良い」と黒田氏。そこから広い道を超える横断歩道を渡ったところにある店に案内される。雨はほとんど降っていなかった。景福宮前を東西に走る社稷路に南北に走る郵政局路がぶつかったところで、同時にインサドン(仁寺洞)が斜めに走る。これは明らかに元参道である。しかし、それがどこへの参道であるのかは、外来者にはすぐ分らない。インサドンは、東南から北西へも歩いてみるべき路である。韓国には、目に見えない形でシャーマニックが確実に内在するのである。
我々は、「素心」という、韓国家庭料理の店に入った。