ブイネット教育相談事務所


2007-08-17 SEOUL紀行ー連載第27回

_ SEOUL紀行ー連載第27回

そもそもこれは黒田さんと田中さんの旧知再会の席。積もる話もあるだろうから、ちょいと席を外しがてらトイレへ行かんとする。

しかし、「トイレは店内になく、2階にある」。しかも、「店のおばちゃんから鍵を借りて行かなければならない」とのこと。

? 

どうしてトイレの入り口に鍵つけるか?

トイレは、表に電気のスイッチはなく、中は真っ暗。中にあるスイッチを押すと右手に個室、突き当たりが小便器と相成る。日本だと入り口脇に小便器があり奥が個室となる。この辺も韓国の人はどこか大陸的で大雑把である。「こだわりがない」とは、間違いなく、親しみを感じる何かである。

すぐに了解する。インサドンの出口な上、角地のここは、酔っぱらいにとって、ゲロを吐くのに最適の場所だろう。鍵がなければ、おそらく毎晩ゲロの海であろう。

1階から外を見ると、小雨がパラついている。目の前に高さ1.5mの長方形の靴屋の小屋がある。雨のせいか社稷路も郵政局路も已然として渋滞である。笛を銜(くわ)えた制服姿の婦人警官が、交通整理をしている。彼女は信号の変わり目に、コーナーへやって来て、何やら取り出して拡げ始めた。黄色のカッパである。これであっという間に全身を被うと、また道路へ飛び出して行った。ちょうど信号が変わる。彼女は笛を吹いてどんどん誘導する。彼女は実に現代の韓国女性らしい。与えられた仕事を当然のように精一杯行うのである。私は、子どものとき、どんな時でも掃除をサボらない女の子のことを思い出した。

「キミはどうしてお掃除を全然サボらないの?」

「だって私のお仕事ですもの」

「・・・・・・」

ここでまさに再び日韓は共通する。女の人に仕事を頼んだ場合、多くは男性よりきちっと仕事を遂行して充分である。男性はサボってバレないことを意識的に利用してしかも恥じないところが多い。これは儒教主義の女性効果であろうか。いやそんなことは思わない。全て女性には、カルカッタのマザー同様、「献身」という美徳があるのである。これは男性には、きわめて特殊な場合以外ほとんど現象しない。それどころか最近は「マザコン」である。

席へ戻ると、田中さんが、

「今、黒田さんに店の電話でソさんに連絡していただきました。場所を伝えると、『すぐに向かう』とのことです」。

誠に千載一遇。残念ながら、黒田氏とはほとんどお話する余裕がないままに時間が経ってしまった。しかし、ここで食べた韓国家庭料理は本当においしかった。小さい小皿を並べて多種多様のものを楽しむ。後は細かいことはさておいて、和気あいあいと食する。私はこの作法に共感する。まあ、25年以上も韓国にいれば、旅客の案内は手慣れたものなのであろう。今度来た時には、是非黒田さんにもう一度お目通しをお願いしよう。私は再訪韓する大きな理由を噛み締めた。

_ 外は雨。道路は完全に渋滞状態。待てどもなかなか来ない。田中さんに「見張り役」を頼んで、目の前の靴屋に近づく。身振りで頼む。靴を磨いて欲しいと。実は、私の靴は誰も手入れをしないので、色つやが悪くなっているのがどうにも気になっていたのであった。

靴屋には先客がいた。ハイヒールのかかとの修理の若い女性客である。女性は中で待つ。私は店の外で傘をさして待つ。

男は、推定34歳。身長173センチ。がっしりとは行かないがなかなか頑丈そうな肉体をしている。顔は誠実真面目で、どこかに良く本を読んでいる印象がある。どうしてこの男が靴屋をしているのであろうか。それはおそらく親が教育投資できなかったからである。仕事は繊細かつ入念を極める。できることの最大限を施している。

女性が終わると、私の番。向こうはかかとを指して何か言うが、「クリーン」を連呼して納得させる。で、スリッパを借りて待つ。男は、まず何かつけて拭き上げて、さらに色のついた靴墨をぬり、その上で透明なゼリー状のものを丹念に靴全体にぬる。約7分。完全な技術である。「格差」とは、さらなる能力の可能性があるものが一段下って遺憾なく能力を発揮することをも暗示すると思った。

5千ワォンで2枚釣りが来た。約270円の仕事である。20人見ても、5千4百円にしかならない。もしそうだとすると、月収約15万。今の韓国では悪くないであろうが、将来も金額はあまり変わらないだろう。選んだ職業が悪いのである。

ややしばらくして、2嬢を乗せた車が来たので、我々はインサドンに入った。

_ インサドンは一見土産物屋通りだが、合間に骨董ポイものを売る店がでんと構える。

目を引くものはお面である。ニッカニカのおじいさんのもの。澄ましたおばさんのもの。いたずら小僧のもの。一家の大黒柱として働く男。これらは伝統芝居に使うものだそう。これをお土産にすることにして、都合7つ購入。

その上で、御母君御所望の「ドラマの中でチェジュウが使っているティーカップ」。これはここらにないので、ソさんキムさんのご提案で、ロッテデパートに行くことになった。

やや歩くと見覚えのある車が止まっていて、それがリーさん管理の車と知れる。すぐにロッテデパートへ。

入り口で車を降りる。ロンドンのハロルドとは違うが大きな店内。

エレベーターに乗ろうとすると、開いたドアからベビーカーを押す目鼻立ち超くっきりの女性。子どもも見ると、どう考えても目がつぶれた醜男君。

「この国では親の方が子より美人」と口にすると、キムさんが、なぜか申し訳なさそうに、

「みんな高校を卒業して化粧を始める時、一斉に整形するのです。しないと、お金がないのかと思われるくらいです。」と言うのである。

女の人がきれいになるのはかまわない。それは化粧と同じである。

しかし、日本以上に韓国で「整形美容」がはやるのはなぜであろうか。

収入の3分の一が奪われるという受験熱が高いこととどう結びつくのか。

実は日本人より大雑把な韓国人が、日本人より世間体を重んずる?

「世間体」とは何なのか。

私はそれを、自分なりの社会価値基準をあまり持たないことの消極的な表明だと思う。

社会価値基準が希薄であることーそれは「支配者」にダマされやすいことを暗示する。

グローバルな社会が拡張する中で、「経済」以外の価値基準が今問われている。

しかし、いつの時代においても人々が高給を求めるのは当然のことである。

日本で必要以上に受験に熱を入れるのは、貧しい時代の名残ということなのか。

それとも、一度味わった裕福さの再確保ということなのだろうか。

それがデパートの空間の国際共通性に現れているのかもしれない。

_ ロッテデパートで、家庭用品陶器のコーナーがある階へ上がる。

「チェジュウがドラマで使っていたコップ」

「えっ?どのドラマ?」

恥ずかしいことこの上ない。何しろ買おうとする本人がそれが何であるのか知らないのだ。

で、結局皆々様のご協力で、日本で母親にたいそう喜ばれるものを買うことができた。

さてこれで土産買い物終了。午後4時。

さらに何か買い物をしたいものがあるかと問われたので、「地下の食品売り場で韓国惣菜が買いたい」というと、デパ地下へ。

地下はすごかった。日本以上に「いらっしゃい、いらっしゃい」を言う売り子おばさんの花。

そこで何種類もの韓国惣菜を買い、地上に出て、どんぴしゃりに回ってくる車に乗る。

夜8時の空港までまだ時間がある。雨も上がりかけていることだし、やっぱりここは仁王山へ向かうことになった。

_ 仁王山はなかなか行き方が難しかった。麓から高級邸宅を横目に見ながら上に上がって行くと、なんだか分らない新興宗教っぽい建物がいくつかあり、やみそうで止まない小雨の降り注ぐ中、山の中腹で、リーさんが、

「ここから、歩いて登るしかありません」

と、言うところに着いた。

入り口にプレハブの管理小屋があり、若い韓国兵が、「車は立ち去れ」と指示する。

上へ上る石段があり、まさしく波動はその上方向から来る。

キムさん、ソさん、田中さん、そして私、傘をさすべきか迷うような霧雨の中を上がって行く。相応しくない足元準備の2女性を気遣いつつ、どんどん登る。途中でハイキング姿の中年夫婦とすれ違った。彼らには謹直な公務員風の匂いがあった。

強い!本格的に波動は強くなった。ついに、その震源である岩山に至ったが、それは何と金網で被われてある。前方約50mを、田中さんが登って行く。このときである。突然脳裏で声がした。「登るな!」。「少なくとも今回は登るな」。私はかつて「聖地」でこのようなことが起こることを知っていた。波動が強くなると内面に言葉が沸き立つのである。

「上」は「来るな」と言っている。私は先を行く田中さんに声をかけた。

「おーい。もう登らない方がいいんではないか」

「もう少しで頂上だと思いますよ」

「止めよう。降りて来いよ。これでもう充分僕の目的は達せられた。」

「でも、もうちょっとですが」

「僕はもういい。降りるよ。」

「分りました。引き返します。」

まさにその瞬間である。凄まじい雷音とともに、急に上から(当たり前だが)、激しく、叩き付けるような雨が降り始めた。

私は急いで下へ降りた。

下には2女性がいた。

「速く降りよう。上から激しい雨が来る。」

我々は一目散に下へ降りた。

伊豆の踊り子冒頭の逆である。

管理小屋が来る。

背後は最早本格的にスコールになり始めている。中に入れてもらおうとすると、当然拒まれた。しかしその向こうの窓の下に東屋が見える。そこにさっきの夫婦らしいものが雨宿りしているのが見える。

私は、小屋を出てそこへ降りた。傘をさしたソさんとキムさんが来る。いやあ完全に夕立状態である。

そこへ全身ずぶぬれの田中さんが走り込んできた。「波動」が読めないと、いかに見学能力があろうとも、間一髪でこういうことになるのだ。

ソさんが電話する。例によって車は驚くべきスピードで我々のいるところに来るのである。これは待機場所が絶妙であることを暗示する。

歩いて車のところへ行く。

田中さんはみじめとしか言いようがない。私も髪から雨がしたたる。だが、体はぬれていない。しかし、田中さんは、全身ずぶぬれだった。だが、着替えることはできない。「水も滴る男性編集者」というのはどうもいただけない。我々はこのまま空港に向かうのである。

少し山を下れば、下は日さえ射している

「すごい警備ですね。なんであんなに兵士がいるのだか。」

ソさんがリーさんに通訳して尋ねる。リーさんの答えが通訳された日本語は、

「1968年、北朝鮮の工作員が、朴正煕大統領を暗殺しようとして、あの山を越えて侵入した。沢山人が死んだ。自分はその時中学生だったので良く覚えている。」

何とこの意見からすると、リーさんは約40年前に中学生だったということは、私より若干年上である。

平壌からの兵士は、光り輝く京城を見て何を思っただろうか。

_ 極めて唐突ながら、ここに連載を停止したい。ここまでの愛読者に感謝す。

_                         07/8/15 東京武蔵野