2008-12-07 鴻池官房副長官発言について
_ 鴻池官房副長官発言について
鴻池官房副長官の発言が話題になっている。
鴻池祥肇官房副長官は6日、大分県杵築市の講演で、「日教組が悪い、という中山さんは正しい。文部科学省、あんな役所いらんと思うくらい、ろくなやつがおらん」と述べ、中山成彬・前国土交通相を擁護したうえで日教組や文部科学省を批判した。中山氏は麻生政権の発足直後、日教組批判や成田空港をめぐる発言などで辞任している。鴻池氏は、日教組について「学校があるのに『今日、日教組の会合だ』と言っていなくなる。まして『君が代を歌っちゃいかん』(と主張している)」と指摘。「教育とは未熟な子供を立派な大人にすること。ひとさまに迷惑をかけないこと。そういう教育の基本理念が教師にも、教育委員会にも、文科省にもない」とも語った。(朝日新聞)
これはオモロいが、実はこれは中山氏の言説の土台が、「正論」20年9月号の編集部の川瀬弘至氏の文章にあったと同様、同誌21年1月号の義家参議院議員の文章をふまえた言説であることに気づく人は少ないと思う。
しかし私はこれは政治家特有の引用として警戒するべきだと思う。彼ら政治家が考えることは地域における選挙効果だけであって、教育の本質問題を語るのではない。「あんな役所いらんと思うくらい」という言葉には、「あることは前提だが」というニュワンスが隠れている。つまり、「翼下ながら情けない」という言明である。こんなことを間接的に公に述べたって、何の意味もないことは明らかである。問題は最前線で戦う子どもたちが、左右両派閥の「具体的利権」の間にあって、未来型の教育を受けることができないことであろう。
「人材予算を投入せよ」という日教組の要求は正しい。しかし無能人材をそのまま組織内部に包含することは倫理的矛盾である。そして、ここに必要なのは徹底的なリテラシーの向上に寄与するメソッドの提案であるというのが、私がアウフヘーベンするところである。
子どもを「見殺し」にするという観点からは、文科省も日教組も同罪の存在である。しかし、文科省権益の温存を容認する自民党も、日教組をその構成員に抱える民主党も、この問題に本気で触れようとはしない。私は知る。このままでは子どもたちの「一斉暴動」が起こることは時間の問題である。
マスコミも文科省も教職員組合も、そして政治家も皆「アホ」。どうして我々は税金を取られているのに、子どもの教育を行政に委ねることが全くならないのか。塾と私立に金を取られねばならないのか。無能教師に甘んじなければならないのか。しかも未来的には期待できない学歴教育のために。君たちには、子どもたちの怒りと呆れと苦しみの声が聴こえないのか。教育を生業にする私に言う資格はないが、もうちょっとしっかりしてもらわなければ本当に困るのではないか。ちょっとアタマが悪すぎることに自覚的になって欲しい。
国家公務員が子どもを公立に通わせることを義務づける法案を提案したい。
以上当然のごとく「冗談」で書いた。