ブイネット教育相談事務所


2009-02-07 入試考察

_ 入試考察

悲喜こもごもの入試結果報告が入る中であらためて(主として中学校)受験のことを考えてしまう。

今年はいよいよ公立を避けて中堅以下の私立に進もうとする動きが本格的に強くなった。同時に1月から始まり、2月初旬だけでも10校以上も受験する子どもたちが現れ始めた。

もし子どもを筑駒や開成に進ませて、さらに東大を経て、エリート社会人にすることが正しいのだとすれば、多くの人は自分の遺伝子の交代を諦めて、東大卒エリートの精子や卵子をブレンドした子どもを手に入れてミツバチ女王蜂同様育てるべきであり、それが人類という種全体の幸福に繋がると判断するべきであろう。もちろんこれは「冗談」であり、多くの反論によってあっという間につぶされる意見であることは言うまでもない。

実は自分の能力を超えて子どもに成長して欲しいと強く願い、それを強制的に実行しようとすることは間違っている。そもそも自分の人生に否定的な感触を持つものが、その自分と同一線上で比較するところが間違っている。そんなことを望むなら、とっとと自分が自分の能力を超えて成長しようとするべきであり、でなければ、「確率」を高めるために、どんどん子どもを産み続けることが正しいといえる。子どもを育てるときほど、ある意味、親である自分の成長が感じられる時はないかもしれない。そして、子は親の背を見て育つ。もっとも子どもが自分から夢中になって勉強しているのなら話は別だが。

子どもに自分とは別の生き方をして欲しいと願うことは間違ってはいない。でもそれは良い世の中が来ることを願うこととホボ同じである。

子どもの能力を決定するのは教育環境である。

個々の子供には個々の子供なりに成長する権利があると思いたい。そして、その環境を均等に与えるのが民主主義国家による教育と信じたかった。そうではなかったと感じる親がこの入試に多く参加している。

子どもの能力を向上させようとすることは間違ってはいない。しかしその一寸先の、子どもに学歴をつけさせたいという思いは、実は間違っている。また、学歴が得られても幸福が得られるとはかぎらない。しかし能力向上の習慣がつけばその人は常に幸福である。

だからある意味で、その人なりの能力の向上と機会の拡大のため以上の学習努力は無駄と言っても良い。

サービス業は、コアになるもの以外の付随品を多く売ることによって利益を上げる。入場料以外にカネを落とさぬ客ばかりになればディズニーランドも潰れてしまう。

だが、教育でそれをやり過ぎるのはマズい。必要以上の学習を強要され、自由時間を奪われた子どもたちには少なからず「壊れる」ものが出る。

「学歴」のために金を払う親の子どもを預かって、自由時間を取り上げた上で「壊す」。どうしてこんなことが許されるのか私には分らない。でもどうして可能かは分る。

*今月初頭に『公立校で伸びる子は、ここが違う!』(青春出版社)上梓。是非読者諸兄にもお見お知り願いたい。