2009-02-27 ゲーム少年
_ ここ数年、何人かのゲーム少年の指導をした。
彼らを診た結論を言うと、親は絶対にゲームを買い与えるべきではなく、特にネトゲをやるのを見たなら、即座にコンピューターを使えない状態にすることが正しいことになる。本人たちも、「このまま続ければ、『廃人』になるからもうやらない」と言う。
メディアは書かないが、ゲームのやり過ぎ乃至はオンラインゲームの長時間接続は確実に子どもを壊す。ゲームをやり過ぎた少年たちは必ず後悔する。そして、受験で遊び時間を奪われた子どもたちと同様、いささかわがままなことに、それを容認した親を憎むことすらある。しかし、それは、「遊び」への後悔ではない。「ゲーム」に対しての後悔である。
ゲームのやり過ぎによるドーパミンコントロールが不全になることによるもっとも大きな弊害は、英単語や漢字や社会知識などを記憶できない状態に陥ることである。同時に彼らは自己脳内の「鮮明な画像」と「連鎖する力」を失うのである。なぜならそれをゲーム画面が供給するからであろう。明らかにゲームは海馬を「機能不全」にする。彼らは言う。「急にゲームに夢中になっていたことがフラッシュバックし、何も考えられない状態になる」。
本年度、文科省は脳についての解説を多用した。しかし、ゲームの危険性については一切指摘しなかった。テレビが子どものリテラシーを奪い、ゲームが子どもの記憶力を奪うことは明らかなのに、これをあえて規制しないで来た。しかもすでに京都医療少年院医師の岡田尊司さんがこれを明らかにしているにも関わらずである。まあ子どもを壊す進学塾詰め込み教育も容認するのであるから、もとより彼らの「無自覚」は中教審委員同様であるが。
充分な学力がないのに進学塾に通わさせると、半数以上の子どもが「情報過多」で壊れる。もし進学塾の厳しい詰め込み教育に耐えたとしても、多くの場合、自ら発想することのできない、他者境遇を想像できない、学歴だけの「エリート」ができる。そして、誰が示唆したかは知れないが、彼らが社会的に「害」をもたらす存在であることは、中高一貫公立校をつくり続けようとすることからも明らかであろう。
これが明らかなことなのに、メディアは決してこれを書かない。これは憶測するに、メディアを司る者たちの多くも、実は高収入を願って闇雲に学歴を求めた人たちの「集団」あるからだと思われるのは「冗談」であろうか。「左脳訓練偏重」で、「右脳発達が未然」なものには未来を語る資格がないというがおろか、現状の分析報告が不能な存在であろう。
数年前、朝日記者の質のあまりに低さに耐え切れなくなって、日経購読に移した。しかし、日経記者の能力のなさも目を覆わんばかりである。彼らを統括する首脳部も「しがらみ」にまみれた高学歴無能者であると思われてならない。高級官僚と同じである。読者の多くが「バカ」と判断する記事を流し続けていれば、やがて自民党と同じく「権力」を失うことは「自明」であろう。もちろん、テレビはすでに飽きられても、マックとディズニーランドは客を集めている。そして、「任天堂」も。
「東京新聞か産經新聞に変えよう」と提案すると、家人は「日経のままで良い」と言う。この件については、日経が好きなものは、普段エロがない禁欲的な生活をしているのに、少しはエロ小説をさりげなく読みたいと思う、中学生レベルの人たちなのではないかと疑われてしまうほどだ。日経朝刊の女流エロ小説は、編集者の意を受けて無理に書いている感じがしてオモロくないことこの上ない。彼らが「見下す」スポーツ紙やフライデー紙との境目は、いったい何なのであろうか。女性作家のほとんどが、萩野アンナ慶大教授同様、「冗談」というものを「了解」しないのは、本当にお気の毒なことであるが、またそれ以上に、その担当の編集者たちが「インチキインテリ」であることを自覚できないことはもはや文春新潮的に「絶望的」である。またそれを受け入れる読者も「バカ」としか言いようがない。とてもではないが金を払って読む小説ではない。「文学」からはほど遠い。ディズニーランドと同レベルの状態である。大衆を完全にバカにすることと、それでも自分のメッセージを伝えようとすることは、芸術活動においては異なる。芸術までをもバカにする大人がバカを自覚できない中で、子どもたちの不満が喩えようもないほど鬱積するのは当然のことであろう。
経済を自然環境破壊に優先することはすでに充分に見て来たが、一国の未来を担う子どもたちを壊して平気でいることを公に伝えるものがいないのは、「末期的」である。メディアが「バカ」であれば(「バカ」である自覚がなければ)、するべきことは「無視」しかなくなるはずだ。私は以後一切、大新聞記者を「ジャーナリスト」とは呼ばないことにする。「『芸者』になれなかった、『一種のサラリーマン』と捉えることにする。文科省官僚、学校教師同様、「組織を逸脱してからものを語れ」と言いたい。
私は断言したい。
子どもを進学塾に通わせて、同時にゲーム熱中を容認する親は、ほぼ「キチガイ」であると。
彼らは「情報」というものの客観的認識に著しく劣る、すぐに焚火をすべき存在であると。
彼らは「アタマが良くなる」ということよりも「成績や学歴が良くなること」を優先するのだ。
私はこれを「キチガイ沙汰」ととらえて止まないが、周りがやる通りに自分もやる世間はだいたいそんなところなので、チャリンコiPod少女同様、これを「許す」ことにする。
_ *焚火は3月22日に変更