ブイネット教育相談事務所


2009-02-17 焚火教育

_ 焚火教育

昨年、何とか受験学習とテレビゲームで情報過多の子どもたちを、凝縮された実体験で効果的にリフレッシュしたい、という一念で焚火教育を始めたが、子どもたちからのあまりに大きな反響に驚いて、ほぼ月に1回の割でこれを続けることになってしまった。そして、子どもたちへの「焚火効果」が直接的に非常に大きいことを痛感した。

「ねえ先生、今度の焚火はいつ?」

「V-netの教育よりも焚火教育の方がいい!」

「V-netに通えなくなっても焚火だけは参加させて!」

何ということであろうか。

男の子は、「学問」より「遊び」を優先させる。

焚火が精神と感受性の両方に良いことは、アタマではなくカラダで分ることなのだ。焚火は直感的に良い。それは、一度やったものには全員分ることなのだ。そしてヒトとは、火と道具を扱い、コトバを操る存在なのだ。

しかし、現代の都会の男の子たちの集団をあらためて間近で観察すると、いよいよ本当に「ヒドい」ことが見えて来る。

小学校高学年なのに周囲への配慮や気遣いはほとんど見られない。自分のことしか考えられない。しかも嘘つきで、はっきりと現場を咎められない限り、自ら過ちを認めることは絶対にしない。つまり「反省」というものがほとんどない。バレなければ良いと思っている。

そして、これが一番マズいのであるが、何ごとに関してもやりっ放し、責任感と言ったものの発達は全く見られない。食べ物の包み紙や袋は必ずそこに放置。お百姓さんから借りた器具や道具はそこへ置きっ放し。自分の食べた後を片付ける気は毛頭なし。

気がつくと私は、「用務員」になって、彼らの立った後のゴミと道具を拾い集めている。

学校教師もほとんどこの境遇であろう。何せ一部ではなくて全員がやりっ放しの無責任であるから、どうしても教師が片付ける必要性が出て来る。「教師」というより「保母」に近いのかもしれない。行動から見た精神年齢は5歳か6歳である。

このことは多くのことを教育コンサルタントに考えさせる。

自己の行動に反省感がなく、しかもやりっ放しで無責任。自己の欲望に直裁に行動するが、面倒臭さを避けるために平気で嘘をつく。まあこれから少しは修正されるのであろうが、彼らが「勉強」できるようになるのは容易いことではない。

私は、好奇心に基づく学習を奨励するものであるが、それでも試験ができるようになるには、努力、反省、誠実さ、責任感、連続性が欠かせないことは明らか。その学習の基となるものが備わらない者たちの集団がそこにある。

少子化社会。狭い家に少数で住む。お手伝いよりお片づけの習慣がない子どもの親の顔が知れる。

私は、お片づけとお手伝いの習慣がない子が良い成績を取るようになることは難しいと思うが、親の無自覚をつくづく恐ろしいと思う。

だから私は、よりいっそう子どもたちを追体験の場に引っ張り込み、そこで体験的に学ばせることが欠かせないと思ってしまう。畢竟、焚火教育を止められない。

疲れないボランティアはない。ご家庭のご理解とご協力をお願いしたい。

*次回は3月20日の予定。次次回は4月中旬で、父兄も参加する楽しい会にする予定。

*全国各地、焚火カタカムナ音読出張講演マジで承ります。

*2月23日より関西滞在。相談希望の方は事務所に連絡して下さい。