ブイネット教育相談事務所


2009-05-01

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こう書くと、また「冗談」だと思われるかもしれないが、私の家には「露天風呂」がある。

狭い敷地に家を建てる時に、家族全員の望みがかなうようにするため、狭い空間を細かに割ってしかも最大限に無駄のないように設計すると、何と風呂を作る場所が家の中心の一階南側しかないことが判明した。外から見えないように工夫すると私はそこにデッキを葺いた。こうして、風呂の窓を開けて入浴することを、勝手に「露天風呂」と思うことにしたのである。もちろん「ウナリ瞑想」を行うときは、近所にまる聞こえはマズいので窓を閉めて行う。

浴槽目の前のデッキの上には黒竹の大鉢がある。今そこへ、地面のそこから竹が生えそめ(当たり前だが)、新芽が出始めた。その濃い紫の生えっぷりの良いこと、まるで精巧なミサイルのようであるが、毎日観察していると、先日頂であったものが徐々に剥けて下へ行き、そこに枝葉が生え始めることが分る。ではその先端部分では何が行われているかと言うと、元々内側であった部分が、まるでゴムまりの内側と外側がひっくり返って行くように、外側になって生まれて行くように見えるから面白い。真理と同様、存在も点滅するのである。

私の著書は「捨象変化球」。ブログ読者のみそれを知る。

「イケズのイケ」は、当ブログの前アクセス担当者であるから、しようと思えば勝手に投稿することができる。私はこの問題を解決する所存であるが、何せ面倒くさいことは苦手である。実は北国のタニからも、私宛に投稿メールが来ているのだが、イケ同様無視し続けた。しびれをきらせたイケが勝手に投稿してしまったらしい。あわてて削除しようとしたが、素早くコメントがついたので削除するわけにも行かなくなった。イケと違って、賢明になって赴任先に溶け込んでいるところを本社に見せ、これによって従順で勤勉の証を得て、都会に戻ろうとする作戦らしいタニは、花見の会場のバイトでクマのぬいぐるみを着て、子どもたちと満開の桜のもと、『北国の春』を歌う映像音声まで送って来るが、佐川急便に転職すると良いと思う。イケには若い娘ではなくて、農家のイカズ後家をあてがうようにしようと考えている。「経営者」も大変である。

*お知らせ

_ 以下松永暢史に関係あるイベント情報

_ Drama Project 空中スケッチ 第一回公演:5月1〜3日。『見わたすかぎりの青』(作/演出 上野火山)。構成度の高い演出が期待される。ふるさとのなまり懐かし東北弁使用。料金3500円。下落合TACCS1179(地下鉄東西線下落合下車徒歩2分)。お問い合わせ先、volcano2@mac.com並びにV-net教育相談事務所。

_ 自然育児友の会『ここからミィーティング2009年』:5月9日午前10時30分より『カタカムナ親子音読会』料金2000円。午後はトークショーにも出演予定。詳しくは、http://shizen-ikuji.org/kokokara_mtg/へ

_ あなたと健康特別講演会:5月17日(日)午後1時より。帝京平成大学記念ホール(豊島区東池袋2−51−4)講師/東城百合子「台所からいのちを育てる」、松永暢史「頭のよい子は家庭で育てる」。入場無料。お問い合わせ先、03−3417−5051あなたと健康

_ 三笠書房より『子供がグングン伸びる親の「この習慣」』上梓。こちらもよろしくお願いしたい。


2009-05-02 『見わたすかぎりの青』

_ 『見わたすかぎりの青』

上野火山作/演出 Drama Project 空中スケッチ 第一回公演『見わたすかぎりの青』を観た。

舞台設定は30年前西荻ボロアパート。登場人物は、演劇を志して早大進学を目指す19歳の2浪生とそのアパートに闖入する同郷岩手の二人の学生。一人は文学を志す明大生、一人は成田空港闘争に関わる法大生。三人は高校時代バンドを組んでロックをやっていた。そこへ焼酎を抱いて現れる、ギャンブルから家族を失った明日からヤキイモ屋の58歳の隣室オッサン。さらには、浪人生の父親の牧師が岩手から上京。脇役として、アパート管理人役の青学大来春卒業就職先決定生と、管理人の未亡人とその双子の高校生の娘。総勢9名。若者6人大人3人の設定。

先ず驚くのが、人物登場設定が偶然のはずなのに妙に自然さを伴うところ。確かにこういうことが30年前の東京でままあった、と思わさせるところが憎い。地方よりやや早めに育った都会の私にとって、それはやがて2浪することになる高校生の時の自分、大学入学後の地方出身の同級生たちがしていたことであった。私はシラケとヒネクレの生き方をたどった。

次に、アパート管理人の未亡人、焼酎オヤジ、田舎の父親ガンコ牧師の3人の「玄人衆」が、いったい演出家はどこからこれを見つけて来たのかと言いたくなるほど、実に見事な演技ぶりである。実際、会場には、関係者であろうか、約3名ほどの「笑いっ放し中毒お客」がいて、クッククックうるさいことこの上ない。

そして、その「玄人」と「素人」の境目がない出来上がりになっていることが挙げられる。これは一般に、演出家の「勝利」を意味する。細かいところまで演出家の「演出」が行き渡っているのである。

これは単なる「抽象構成」ではない。抽象構成の先の「センス」が試みられていると言える。その意味で、この作品は、非常に芸術的な挑戦である。なおかつ金を払って観て満足させる水準にもなっている。

出演者たちにとって、この演出家の指示に従うことは大変なことだったろう。だからこそ演出家は、その「代償」を俳優たちに「補償」していることになるだろう。

この芝居に出ている人は幸福である。

そしてこの芝居を見たものは幸福である。

観劇後、この若者たちの30年後がどうなったかをも想わせるところがさらに良い。

私にはこの芝居の構成者が、映画監督ではなく、あくまで舞台演出家であることが強く印象に残った。

3日にまだ二回の公演を残す。


2009-05-05 DS教育

_ DS教育

なぜか知らぬが、まるでドルジェル伯爵夫人のように精神的に不安定だ。

詰まらぬ人間がやっぱり詰まらぬ人生を送っているのが自分の実態だと、天才ロッカーの訃報に触れて勝手に思い込んだのがイケなかったのかもしれない。

任天堂は、ニンテンドーDSを小学生に一台ずつ普及させ、教師と生徒との直接のやり取りを可能にして、教員と生徒のコミュニケーションを高める事業を展開するそうだ。

私は「コンピューターゲームを18禁にせよ」と、「冗談」で主張するものである。

やっぱマズいって。バーチャルな電気的情報に子どもが周囲の声も耳に入らないぐらい熱中し過ぎるのは。任天堂が次にするべきことは焚火教育ダベさ。それからサイコロ学習とカタカムナ音読法のスポンサーになることダベさ。

板書き教育は、その内容の輝きが失われたことによって、プリント穴埋め学習にとって代られた。板書きの内容を自分のノートに移す時、独語しながらアタマに入れるように書くという学習方法は、素朴ではあるが筋が通っていると思う。でも、文章の記述にならないところが物足りないところだった。今ここにさらにDSを導入すれば、便利にはなるかもしれないが子どもはますます情報受動的で、実際訓練から遠ざかる。読めるが書けない人間がますます多くなる。これは明らかに「危険」である。

ちなみに、コンピューターゲームの害を自覚しない小6生は「便利」、明らかに害があることを自覚した中3生は「ますますバカになる」、ゲームを突き抜けてコンピューターそのものに肉薄する高1生は、「ゲームは中学生になってからするべき」との御意見。

我が国の教育では、子どものアタマを良くすることより子どもに情報を植え付けることの方が優先される。

声を大にして「冗談」で言いたい。

それは完全に間違っている!と。


2009-05-07 音読法

_ 音読法

連休中も音読の指導を多くした。

「なぜ音読か?」と問われれば、

「どうして音読ではないのか」とお答えするしかない。

教育一般における究極コアを客観化すれば、自分の考えを文章化する力をつけることになる。

しかしこれは、小中の義務教育課程において、多くの子どもが失ってしまう能力であり、結果的に大学進学時に小論文試験を受ける資格を失うことになる。

また、大学とは自分の興味の対象を研究してそれを論文化することを学びに行くところであるから、文章が書けなければ行っても意味がない。大学院しかりである。

ということは、我が国で学歴を積み重ねるとは、文章を書くことにたずさわった時間が多くなるということであり、事実高級職につく人は、官僚、学者、医者、弁護士といった文章がすらすら書けるようになっているものたちばかりである。

私は誰でも文章が書けるようにすることができる教師であることになっているが、実は文章力は、言葉を話す人全員が身につけることができる能力なのである。多くの人は書けないと思い込んでいるだけであり、実は書かないだけなのである。

この能力が小学生で失われることは実に痛いことだと思う。先に述べた通り、学歴を得たければ、いやそうではなくともこの世の中、まともな世渡りの能力を身につけたければ、そのベースに文章が書けることがあるのは明らかだからだ。だからもし受験というものに勝ち進んで行きたいと望むならば、先ずこの能力の養成こそを先行させるべきなのである。実際私立中学も、最終目的の東大や慶大のような大学も、皆文章が書ける生徒を採ろうとする試験をしていることは読者の目にも明らかなことであろう。

私は、我が国の教育が、暗黙裏に、できるだけ多くの人から書く能力を奪うことを目的にセンター試験「政策」を行っていると指摘し続けて来た。この試験の欠陥は文章力を問えないところである。だからこそ、上級私立大学入試が小論文化したのである。

しかし、自ら文章が書ければ、他者のレトリックを読み取ることは容易いことになる。そして、考えてみれば、学校や塾の授業も、教科書もテキストも参考書も、おまけに一般試験やAO入試も、皆日本語で行われるのであり、日本語さえ良くできれば、つまり日本語が良く読めて書ければ、自分で勉強して受験に勝つことも可能ということになる。

では最良の文章学習術とは何かと言うと、それは実は、我が国古代から現代に至るまでの、もっとも多くの人に音読されてきた名文を、年代順の音読によって躯の中に入れてしまうことをその基本にするというのが私の意見である。

古典名文の身に染み入るような音読。どんな作家もオリジナルの文章なぞもたない。皆それまでに書かれた文章を基にしているのである。そしてそのまた基となる文章は、またそれより前の文章の音やリズムや言葉使いを基にしている。だから結局もっとも多くの人に読まれた可能性のある各時代的な名文を音読することが良いということになる。そして、この上で、ダイアローグと抽象構成作文法でオモロい文章を書く練習を始めれば良いのである。

私はいまのところ、これ以上のメソッドはないと確信する。また子どもたちにとってこれ以上に意味のある教育はないと確信する。

だから、私は音読する。子どもに文章が書けるようになる基を与えるために音読する。私はおそらく日本でもっとも長時間古典文の音読指導をしている教師だろう。音読指導は疲れる。肉体労働とは似て非なる何とも言えない売春婦的な疲れを若くはない男にもたらす。幸い最近私の後に続いて音読指導の専門家を志す人たちが現れているので、やがてこの人たちに役目を代ってもらえるだろうからと、もう一踏ん張りだと言い聞かせて続けている。

私の音読法については、『超音読法』(扶桑社刊/音読CD付き)を参照して欲しい。

また以下で公開指導を行う。興味のある方はご参加下さい。

_ 自然育児友の会『ここからミィーティング2009年』:5月9日午前10時30分より『カタカムナ親子音読会』料金2000円。午後はトークショーにも出演予定。詳しくは、http://shizen-ikuji.org/kokokara_mtg/へ

_ ホビット村/ナワプラサード書店主催『カタカムナ音読会』:6月6日午後1時より。詳しくは、03−3332−1187、またはナワプラサードHPへ。

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_ あなたと健康特別講演会:5月17日(日)午後1時より。帝京平成大学記念ホール(豊島区東池袋2−51−4)講師/東城百合子「台所からいのちを育てる」、松永暢史「頭のよい子は家庭で育てる」。入場無料。お問い合わせ先、03−3417−5051あなたと健康


2009-05-11 満月通信

_ 満月通信

大型連休終了後の日曜日の5月10日は、検問突破、女子トイレ撮影目的侵入などで、各地で警察官の不祥事が連続した。

5月9日は、満月だった。5月14日に遠地点を迎えるので、この満月は、徐々に遠ざかる小さい満月だった。しかも満月直前に雨が良く降り、突然満ちて夜空に現れた月は、イメージのパワーの足りない精神的に乱調気味になり易いWAVEだった。連休中警察官は多忙だっただろう。雨にも降られて外での仕事は吐き気がするほどだったろう。しかも世の中中がお休みで道路は行楽客で大混雑である。さぞかしお疲れのことだったろう。

こう言う時に、太陽と地球と月の直列によって一時的に引力が強くなると、判断する力や抑制する力を失って、後悔する結果を生み易いから注意が必要だ。上のものが規律よりも事実を伝えることを怠っているとも言える。

満月通信を書き始めたのは、確か96年頃か。当時ニューエイジ系の人たちとつき合ううちに、敏感過ぎてアタマがおかしくなったと思われる人たちの電話に悩まされ、これを即座に黙らせるメソッドとして遠近WAVE表を開発したのである。

「あなたがハイテンションだったり精神的に不安だったりするのは、月の遠近WAVEのせいです。地球に最も近い天体の引力の周期について自覚的になることが大切です。今FAXで月の遠近WAVE表とその解説の満月通信を送りますので、電話を切ってお待ち下さい。」

これは便利だった。先ずこれで簡単に電話を切ることができるようになった。さらに解説の満月通信を月に二回程度発行すればそれを送るだけで答えになってしまうのであるが、当時はFAXでやっていたので、送信相手が多くなるとそれはそれで大変だった。

普通自分の精神の変調が、月のバイオリズムによるところが大きいと意識しているものはまずいない。だから、いかなる占星術も、太陽以外に地球に最も影響力のある天体である月の遠近を加味しないものであれば、意味がないということもできる。

5月9日13時 ◯満月

14日11時 ★最遠

24日21時 ●新月

26日13時 ☆最近

月は新月に向けて徐々に姿を見せなくなり、しかも新月後に最も引力が強くなる。

これを知るものは、たとえば、新月までの二週間にワークを盛り上がるように行い、25日に仕上げを行い、27日夕方西の空に大きな三日月を観、ややゆったりとした週末を迎えることになだろう。

これを見過ごすものは、24日から26日に節制を欠くと嫌な事件に遭い易いと言える。考えごとをせず、睡眠を多く取る方向性が良いことになる。


2009-05-15 ドロップス

_ ドロップス

たまには「抽象構成」で書いてみよう。

先ず強くダイアローグする。

D―最近何か気になることは?

するとこの答えは、

「I- podチャリンコねーちゃん」である。

以下アタマに浮かぶことを片っ端からメモ化する。

歌唄いオバさん

雨中傘I-podタバコ兄ちゃん

I- pod犬の散歩ねーちゃん

右左ルール

情動的な女性はムードに弱い

知性的な男は退屈に耐えられない

D―とどのつまり自分の言いたいことは何なのか?

「ムードに酔っている時間が多すぎる女はバカである」

「受動的な娯楽に多くの時間を費やす男はバカである」

このくらいでいいか。ではこれの順番を代えながら適当に書き流してみよう。その上で、読み返して部分を修正する。

     *

私は電車には月に1回くらいしか乗らないが自転車には毎日乗っている人間である。そして気がつくが、私が昔覚えた、人は右側、車や自転車は左側というルールはもう過去のものになっているようだ。これは男性より女性の方がその傾向が強いと思う。

やや高速で道路左側を走っていると、向こうからこちらと同じ側を走る女の人の自転車が近づいて来る。当然こちらは端側によけようとすると、相手も堂々とそちらへ舵を取る。諦めて道路中より右側へ避ける。ぶつからないが、スピードを下げる必要がある。こうした人たちが意に反して悪びれずに不満そうな顔をする人が多いところをみると、自転車と歩く側が同じだと思っているらしいことが分る。まあ割とボケっとしているのは女性一般の特性であるし、彼女たちが男と異なりごく周囲しか見ていないことも知っている。またボーッとできない我が身を嗤うこともあるし、とかく身の回りのことには注意が行き届かないという自覚もあるから仕方がない。。

左手横道からからニョロ〜ンと道路を横切る形で若い女性の自転車が飛び出す。ブレーキをかけた上で追い越そうとするが、彼女は道路中央よりやや右寄りを通行しているので、ルール通り右側から追い抜くことができない。私は「ルール」より「臨機応変」を好むタイプなので、左側から抜こうとすると、これがまっすぐに走らずにヨロヨロ走るので躊躇しなければならない。追い越す時に見ると、耳にイヤホンをつけ極めて狭い自分の世界内にいるのが分る。聴覚だけではなく、視覚まで弱まるのは、ムードに入っているからである。私も過去に女性がムードにはまるのを冷静に利用してことを導いたことがある。もちろん手痛い報復を受けて今日に至っている。

情動的な女性はムードに弱い。

知性的な男は退屈に耐えられない。

それにしても最近ipodチャリンコネーちゃんが多過ぎる。マクドナルドやディズニーランド同様、アップルも儲かっている。つまり本当は凄くやりたいことではなくても、世間で流行っているから自分も購入するという資本主義社会を支える人たちなのであろう。

こうなって来るとだんだん凄いのが現れるところが都市の特徴だ。今や電車の中は化粧どころか靴下の履き替えまでもする若い女性も観察される。満員電車でつり革につかまって弁当を食べる背広姿もいる。驚くには値しない。

自転車で犬の散歩をする人がいる。夕方若い女性が自転車で犬の散歩をしているのに出遭った。まあ短ければ都合が悪いのは分るが、通行の多い道で2メートルくらいある紐をつけている。自分が中央で犬が右側。私が左から抜こうとするが、急に犬ごとヨロヨロ左へ寄ったりする。周囲が全く見えていないようだ。私がブレーキをかけて停車しても顔も上げない。そしてその耳にはもちろんipodがある。そもそもよほど近づかなければ視覚確認しない上に周囲の音が聴こえないのであるから当然である。なんで自転車で犬の散歩をしながら音楽を聞くのかわけが分からない。このネーちゃんの「飼い主」にネーちゃんに鎖をつけてコントロールして欲しい。

Ipodチャリンコネーちゃんのの共通点の一つに、たとえば、人と接触しようとした場合や、人が道を譲ったりした場合に、そこに声を出すことも何らかの目線の反応も返さないということがある。これは無視しているのではなく自分の世界に入っているからと観察される。救いは鈍いので自転車の速度も遅いことであろうか。事故が起きないのはそのせいかもしれない。タクシーの運転手はしょっちゅう危ない思いをすると言う。

兄ちゃんもなかなか凄い。先日まともな雨の中、車で、やや広いが電柱の多い一方通行路を走っていると、前方左側に傘を差してやや早めで走るオンボロ自転車がある。軽くクラクションを叩いても車が近づくことに全然気を配らないので、スピードを落としておそるおそる追い抜くと、これが痩身の浪人生風の、起き抜けで寝不足顔のさえないメガネ兄ちゃんで、やっぱりipodをつけている。漕ぐリズムからすると、何かロックなどの大音響音楽を聴いているらしい。メガネに溜まりつつある雨の雫からすると前方もよく見えないで人生ヤケクソになっているようにも見える。

しかし、やはり女の人より男がスゴいのは、この男がこの上でタバコを口にくわえていたところである。ひょっとするとこれから駅のトイレで缶コーヒー飲みながらウンコして朝刊読むのかもしれない。それともその時間もないのかもしれない。ともあれ、左手ハンドル、右手傘、両足ペダルに、耳にipodで目は雨粒メガネ、そして口にタバコ!。この男には「ムード」はない。「状況」だけがある。それにしても、これほど多くのことを同時にこなす人は頭の中でいったい何をしているのだろう。ともあれ、ひょっとしてサルでもできそうなところが不思議であった。

ムードに浸っている時間が多すぎる女はバカなことが多い。受動的な娯楽に多くの時間を費やす男はバカに決まっている。

では自転車に乗っているときは何をするべきか。私は書くことか話すことの腹案を練るか、カタカムナの音読をする。しかしこれは順調に走っているときで、たいていは周囲の景色や人間を観察している。サングラスが不可欠のゆえんである。しかし、サングラスをしてカタカムナを音読しながら自転車で走れば、これに気づいた人は「不審者」と見なしてくる。小さい声でやることが多くなる。夏にはこれに麦わら帽子が加わるので、もはや他人には完全に変態にしか見えないらしい。

いつもの電柱一方通行路。いつもの横道侵入徐行しないミラー見ないオバさんチャリ。危うくぶつかりそうで急ブレーキをかけて右へよけても相手は振り向きもしない。そのままヨタヨタと右へと思えばやっぱり左に寄る。気配は完全自己世界没入モード。ははあいつものipodだなと思って確認すると、これがなかった。ただオバさんは小さい声で歌を歌っていた。私はその歌を知っていた。その歌は、

♫昔 泣き虫神様が 

朝焼け見て泣いて 夕焼け見て泣いて

真っ赤な涙がポローン

黄色い涙がポローン

それが世界中に散らばって

今ではドロップス

というのであった。

これが許せる気分にさせるのはなんでであろうか。


2009-05-22 「友愛」

_ 「友愛」

D―全国の教育結果データを握る行政機関が、「どういうことをアタマが良いというのか」、あるいは、「どう教育するとアタマが良い人間ができるのか」について、正確な「定義付け」を有していると考えるのは、国民にとって、おそらく「妥当」な判断であろう。

そしてその答えは、「長期短期の状況判断力に優れ、組織内で頭角を表し、組織を確実に有利に導くもの」、あるいは、「たとえ組織に属さなくとも、フリーエージェント的に自立的に活動することができるもの」のいずれかになると思う。

つまり、実は他にも優れた能力は存在するのであるが、とどのつまり一応、「判断力のある人材」ということになると思う。

しかし、「判断」には、「局面」と「対象」がつきものなので、「いかなる状況下での」、「いかなる事柄についての」という命題が消えずに残る。

公教育においては、いや、いかなる教育においても、自己の発達向上を他者利益に活かすことができる人材の育成が、その抽象化された答えに落ち着くと普通一般に思うのは、宗教哲学的に自明のことであろう。

問題は、自己の立場や権益保持のために、自らより劣ると認識される存在を「捨象」することになる、一種の「人間的いいかげんさ」にあると思う。言うまでもなく、これは「知性」ではなくて、「情動」によって、純粋決定されるべき事柄である。「仁」と言っても差し支えない。

人が自立的に、つまり「自由」に活動する時、人はその「自由」の「保障」のために、他者境遇を害さないことが、人生論理/倫理的に「前提」になる。「自由」とは、「秩序」を部分に含まないと社会的に成立しない。

だが、このことは、私利を求める資本主義的活動(たとえば、株で儲かれば株で損するものが一方にある)においては、「矛盾」となる。だからこそ、社会全体にとって良きものを広めようとするか、高額の寄付による社会還元を行おうとするかが、「消費者」側の観点になろう。地球環境保全の問題にも関わる。

狼は、自らの生き残りのために、「獲物」を獲る。そのことは、自然界の「無駄」を省き、各種の強化をもたらす。狼は自然環境に許される個体数を超えて発展することはできない。だからこそ、衰えて「犬」と化した。

私は、こういうことを教育の場で、「結果的体験」として思い知らすのではなく、「知識」として前もって教えることが「フェア」であると考えたい。この観点を捨象してはならないと思う。「教育」が成立しなくなる。

自由主義的資本主義経済が「世情」ならば、全員に「起業」の可能性を説くべきであり、その他は、「資格」か「学究」か「芸術」か「労働」以外に選択肢がないことを、「教育」が、墾田永年私財法的歴史的解釈に基づいて、予め子どもに示すべきであると思うのは、二歳の子どもにサンタクロースの不在を説く私の夢のなさであろうか。

仏教、儒教、キリスト教、ムスリム。共通点はそれがコトバで行われたことである。

民主党新代表が、「友愛」を主張したことについて、メディアは特に踏み込むことなく報道したが、自らを、「世襲的フリーメイソン」として名乗る現代性は、いったい何を意味するのか。

民主党政権に、自民党が絶対にできない教育の抜本的改革を期待することができるのか、私は面白く見守っている。

主体的に判断行動できれば、財産も社会的地位をも捨象することが可能になる。そしてそれには経済的「保障」が前提となる。「托鉢」ができなければ、いかなる宗教も存続できない。

「判断」には、好奇心と追体験が欠かせない。

我々は強くダイアローグし続けるべきである。

自分の本当にしたいことは何なのかを。


2009-05-25 英人苫米地

_ 英人苫米地

そう大したことはないが、ブログのアクセスが想定数を越えると、いったい誰が読んでいるのか分らないという「ストレス」が起こる。なんとなれば、バカな人間の「冗談」に興味を持つものは、「全体」のごく一部で良いと謙虚に捉えるからである。

私は、明晰からはほど遠いにも関わらず「哲学」するものである。私は、この世から浮いてしまう自分を利用して、世を客観化し、抽象化しようとし続ける、まあ普通のオヤジである。そしてその実践と実態に、「就職したことがない人間」という事実が浮かび上がるのであるが、いかなる組織にも属したことがないというのは、ほぼ「アナキスト」の意味に取る人も多いと思う。

ところが私は、大陸東岸温帯モンスーン列島(温泉つき!)かつ日本語を愛する「日本人」である風土的愛国者である。この国には、菊より桜より美しい花が咲き乱れる。

私の哲学的結論の中に、

言語は不完全であるから、言語で究極の真理を求めようとすることはナンセンスである、

あらゆる宗教には、「自己向上」と、「自他対等」という共通のメッセージがある、

ブッダが瞑想法を通じて発見した脳機能認識は真理に近い、

哲学は、文学の部分である、

教育は、保守的意図を捨象できない、

真理は点滅する点である、

などなどがある。

私はこれを、後で気づいた抽象化の能力によって識った。

物事を完全に理解することはできないのであるから、するべきことは物事のコアをできるだけ短時間で抽象化することである。

こう言ったことを、苫米地英人氏はわかり易い言葉で説明する。

一冊目を通して、「この男は天才」と編集者に論評したが、彼がどれほどの天才であるかを正確に知ることは天才級の人物以外には理解することはできまい。

5月20日発売の『一人っ子を伸ばす母親ダメにする母親』(好評発売中!)のアスコム編集者よ、私に苫米地氏に私の教育メソッドの照会をする機会を与えせしめよ。同時に私がいかなる人へもアドバイスできる人間であることを伝達せしめよ。また次回本は、「プロが語るアタマにイイ勉強法」で行こう!

以上当然のごとく、「冗談」で書いた。


2009-05-27 新月発射

_ 新月発射

いやあ相変わらずこのブログの読者諸君の中にはなかなかタフなひとがいるね。最近、イケやタニの冗談をマに受けて、V-net宛に「投稿」してくる人が多いんだけれども、その中から一つ、以下、「タケ」の投稿。

_ 新月通信

_ 23日早朝:盧武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領転落死

24日21:11 新月

25日9:54 北朝鮮核実験

26日12:45 近地点

26日午後 北朝鮮ミサイル発射

_ 私は、前回満月通信で、「月は新月に向けて徐々に姿を見せなくなり、しかも新月後に最も引力が強くなる。これを知るものは、たとえば、新月までの二週間にワークを盛り上がるように行い、25日に仕上げを行い、27日夕方西の空に大きな三日月を観、ややゆったりとした週末を迎えることになだろう。これを見過ごすものは、24日から26日に節制を欠くと嫌な事件に遭い易いと言える。考えごとをせず、睡眠を多く取る方向性が良いことになる。」と書いた。

明らかに北朝鮮の金正日は、月のWAVEを知っていて利用している。新月近地の24〜26日は扇動効果が大きくなることも計算していると思われる。また新月で月が見えないため、これを知らぬ者が、さらに近地点で引力か強くなることに自覚的でないため、テロ的なショックを与え易いことをも読んでやっていると思う。太陰暦のイスラム教徒も「標的」になっているようだ。

逆に、盧武鉉(ノ・ムヒョン)前韓国大統領は、遠近WAVEを知らず、自己の精神の追いつめられ方が実は月のWAVEのせいだと自覚できなかった。

偶然、米国大リーグで日本人選手が二人大ケガをしたが、これも相手が過剰になりがちなことを予め知っていれば防げたことであったとも言える。幸福の科学はなかなかできる。予めここを狙っていたと思われる。

私はかねてより、金正日の座右の書は『韓非子』であると言っている。つまり、「支配者が何を考えているのか解析されない間は、「転覆」や「崩壊」が起きにくい」という思想である。この観点で北朝鮮の動きを抽象すれば、いとも鮮やかにその「趣旨」が見えることだろう。そして、「法家思想を利用して統一された政権は世代交代できない」という歴史的なジレンマに直面することもわかろう。

これまでの歴史では、日中とも、法家主義的強権によって統一した国家体制を受け継いだものが、統一後、やや混乱を伴いながら儒教主義に転じ、たとえば我が国では江戸幕府、明治以降のやや長い政権維持を可能にした例を見ることができる。これはある意味で、農村を舞台にした戦後自民党政治においても追確認できよう。

鳩山の語る「友愛」は、未来観測的儒教思想の裏暗示であろう。

鳩山よ語れ!

お前たち二人の共通点は、「楽勝で東大卒(成蹊や学習院ではない)」(おまけにフリーメイソン→天皇制についての苦しみを捨象できる。明治維新の陰の実行者グラバーもフルバキもメイソンである。)であろう。

つまり、どう教育すると、お前たちみたいな「優秀者」が生まれるのかを、まさに「友愛」の力によって、国民全体に開示=提供していただきたいのである。

同一家庭から、内閣総理大臣候補が連発する原理を解明して欲しい。

おい小沢!おまえは公立校出身慶應卒の「アホ」だから、もしたとえ、創価学会には入れてもフリーメイソンには入れないんよ。テロが無差別と同様、「友愛」には「差別」があるんよ。本当は湾岸の時に作ったスイス口座に、鳩山より高額の資金があるんだろ?クリトン婦人が来た時に抱きついてキスしないのがバカなんだよ。そんなのマキコでもムネオでもよろこんでするよ。

_ 教育コンサルタントからすると、「跡取りになるはずの息子さんが揃ってバカ、しかも自分の躯が長くは持ちそうにない」という実態は、本当にお困りであろうと想像できる。「跡取りがいない王国」とかいう映画を監督し、子孫に未来を託せない王家の悲哀を作品化して名を残して欲しい。

アメリカが怖くないという態度をとるのは、現代東アジア歴史観的にバカ過ぎる。韓非子だけではなくハムラビ法典とかも参考にして欲しかった。実は中国は、暴れ者の田舎の弟が大失敗して懲りるのを密かに待っているのではないか。安全保障上は、チベットの方が優先課題である。したがって二つの大国の「政策一致点」はいとも惨い。

他国での紛争は、自国にとって経済以外に何の関係もない。

紛争があるからビジネスが生まれる。

北朝鮮の崩壊は近いと見る。

以上、タケことタケダのババの代筆投稿でやんした。