2009-04-02 一人旅
_ 一人旅
「次」が来ないようなので、その隙にその次を掲載する。(本ブログは、地方支社から寄せられたストックの中から、大変忸怩たることながら、それなりにオモロいものを選んで逐次掲載しているものである。通常マスメディアとは異なり、「ツイテコレナイビト」については、それなりに「変化球」にて自動「松殺」されるが、「観客」は大歓迎だが、もっとたくさんコメントせんかい!これはアタマが良くなるチャンスなのだよ。雅子さまとド嬢と鈍グリだけが賢くなってももはやしょうがあるまい。)
相変わらず花粉にやられているが、帰国以降休みなしで多くの教育環境設定相談を受けている。
内容は、成績不振、塾利用と受験について、といつもながらのものが中心だが、このところ、共稼ぎ家庭の一人っ子の教育相談が重なっている。また逆に、「お父さん仕事が忙し過ぎて子どもの教育を母親に任せっぱなしにして全く協力してくれない」というケースも同様に多い。
共稼ぎ家庭の苦しみ。それは、「収入」のために子どもが犠牲になってしまうことである。子どもより「収入」の確保が第一義になってしまうことに、子どもの方から本能的な反発が起こるのである。そもそも一人っ子に留まるのも共稼ぎであるからという理由のことも多い。特に両親の収入が多ければ多いほどこの傾向は強まる。収入が多いとは、私の仕事と同様、労働拘束時間が長いということである。最先端超合理性追求の「一流」企業に勤めていれば、土日は休みでも、毎日の労働時間は長く、またそこに通勤時間も加わるから、親自身の平常自由時間がほとんどなく、趣味と言えば読書やモニター画面になってしまう。子のための夕食を作らない人も意外と多い。元気で余裕のある人は、金曜夜から日曜夜まで家族でバケーションということもできるが、もし子どものスポーツクラブや塾の試験などがあればこうした「計画」も成り立たない。その多くは親のご両親との同居を選んでいるが、親が自分の相手をする時間が取れないことへの子どもの不満は思いのほか大きい。
「学校であったことをすぐにお母さんに話したいときなんか本当に困る。だいいち、家に帰った時に、お母さんに『お帰りなさい』と言われないのは子どもとしておもしろくない。特に小学校低学年のときは本当に辛かった。外へ出かける元気も出ない。お母さんとおばあちゃんは違う。お母さんでなければダメなんだ。いったいどうして僕を生んだのかななんて考えるときもある。」
「小2でサピへ入れられた。最初は楽しかったが、学年が上がって勉強がきつくなると気がついた。これは実は『保育園の代り』なのではないのか」。
一人の収入では生活が苦しく、二人だと収入は充分だが子どもに割く時間が取れない。年に一度リッチな海外旅行にも行かれるが、その一週間以外は働きずくめである。これで子どもが黙って塾に通い続けてくれれば問題はないが、学年が上がって家庭の補助が必要になる頃、子どもは塾通いを嫌うようになる。この問題の解決策と、もし受験を断念した場合の今後の教育方針についての相談がほとんどのケースである。
逆に、子どもが二人以上で母親が家にいて、父親がバリバリ稼いでいる家では、父親は仕事でヘトヘトで、夜遅く帰宅するとテレビと新聞とビールで、それが終わると倒れて寝てしまう。土日もゴロゴロしていることが多い。疲れ過ぎていて思い切って遊びに出かける気力もない。接待ゴルフには出かけるが。もちろん料理を作ってハウスキーピングして子どもの相手をし、奥さんに美容院に行く時間を与えるなんてことはできるはずもない。子どもの教育への相談や協力を求められると、「オレは仕事で忙しくて疲れているんだから、そんなことは家にいる君がやってくれ」と平気で父親らしからぬことも言ってしまう。私について言えば、この上、サービス業なので土日は仕事で一杯で家族で出かけたことなどないからもっとヒドいが、通勤時間がほとんどないので、その合間をぬって家事を行う。最近は仕事が執筆に移りつつあり、一応家にいる時間も長いが、ほとんどこうして机に向かっている。
「でもやっぱり親が自分から動かなければ子どもは変化しません。お父さんが帰って来た時に皆で大声で『お帰りなさーい!』という習慣をつけて、趣味の釣りにでもしょっちゅう一緒に連れて行ってもらって下さい。」とアドバイスすると、「タダでさえヒマがなくて自分の釣りにも行けないのに、その上子どもをしょっちゅう連れて行くなど言語道断!」と怒鳴られる。ちなみにこれは、家族に諦められる前のウチでの会話とほぼ同じである。ところがこのお父さんはやっぱり良い御仁で、明くる日になると、「じゃあ今度家族で船を借りて釣りにでも行くか」と言って来た。思わず嬉しくなって、わが「天敵」(最近「パートナー」再改め)に話すと、短い足をバタバタさせて、「どうして男は自分の行きたいところに家族を誘うのか。そうではなくて家族の行きたいところに男がついてくるのがこれからの当然の姿なのよ。このお父さんも、あなた同様わかってないんだなあ」と来た。来年こそ、一人旅をしようとする決意が固まった瞬間である、その前に一回だけ家族につき合って。クライアント諸兄、貴兄らは「敵」である奥さまの味方をするのであるから、私のことを「敵」とお考えであろうが、実は、私こそ「理不尽」な女性による耐え難きを忍び働く男である。ご一緒に焚火でもしよう。
2009-04-05 西松永建設
_ 西松永建設
―皆様イケズのイケことイケダの代作でござりんす。
とかバカな役割を担っていた男は、冗談記念日の夜に、SEE I AMに「松殺」されました。読者の中からは、いささか筆者驚くべきことに、「誰が書いているのか分らない」と言った「ご冗談」も寄せられていますが、ここは大人の分別で参りたいと思います。マジメにとっちゃあアカンコネンよ。あんたも猪飼洋一郎になるよ。
今回の小沢一郎西松建設問題は二重の意味でなかなかいただけなかった。「内偵期間」があるから、それを首相が「待っていた」のは当然のことであろう。それを恥知らずのメディアが大きく追従した。小沢が、小泉が「旧大蔵族」(だからこそ、郵政民営化を行ったのである)同様、「建設族」であるのは、そもそも明らかであるから、旧自民党系議員同様、何らかの形で個人ではなく企業の献金を受けていることは自明である。だからこそ、小沢は検察に「選ばれている」と言える。これはまがいもない事実だろう。小沢に対するのと同様の捜査を始めれば、自民党の多くの政治家が引っかかってしまうのは目を覆う必要もない事実であろう。しかし、自民党政権崩壊が近い中で、既得権益の喪失を恐れた官僚群が検察を動かしているのも「事実」と想像されるであろう。経団連こそ献金団体の最たるもので、多年にわたりその効果を享受するものではないのか。麻生も、官僚とも良くやりながら、国民の盲(「目が不自由」の意と同様)ましを行うという旧態的な政治家である。でも自民党は、「メデイア」を押さえているから、余程のことがないかぎり「森田健作的」に強い。民主党の実質的支配者である鳩山が、麻生同様、金持ち資産家であることこそが、この件において我々が注目するべき点なのである。議員の世襲。この、「下」のものが「上」を支えることによって、上の一部だけが大きな利益を享受するという形態は、中共ロシア北朝鮮イスラム圏アフリカ諸国を含め、グローバルな現象だと言える。もし民主党が、菅/岡田体制を敷くことに成功すれば、本当に選挙に勝ってしまうことだろう。しかしこの時は、小沢同様、鳩山も「圏外」に去り、英国労働党的色彩を帯びなければならないことだろう。逆に麻生が勝てば、国家赤字が拡大して、税金は取るが「バラマキ」はするという還元政策により、官僚人件費は安泰ということになろう。世は通貨供給が増えインフレへ向かうのである。もちろん舛添が「オバマ」に化けるという戦術もあり得るが、その時は自民党はすでに野に下っているであろう。それより、麻生の「バカヤロ解散」の方が今は見物である。目下、イベント会社と組んでその作戦を練っていると見るべきであろう。
生活費がかかり、労働時間が長くなり、そうでないものは「ついて来れないもの」としてリストラの対象になる。企業で働くものは全て「パーツ」に過ぎないと感じていることだろう。彼らには「文化的」な生活を享受する「ゆとり」がない。政治とは、国民がどれほど愚かで無自覚であるかを利用して行うものであるとは誰が言明したことであろうか。これを合衆国第16代大統領が何と言うか聞いてみたいものである。国家の余計な出費を抑えて、労働時間を短くすることのどこが問題なのであろうか。多くの人にとって本当に必要なのはやりたいことをするための自由時間ではないのか。
現在より安全な既得権益確保のために企業の巨大化傾向が拡大しているが、この背後には労働者のパーツ化がますます強くなることが暗示されよう。個人家庭の教育はこのことを観点に、判断実行されるのが正しいと確信する。
スローライフのコアにあるものを覗き見ることも時には我々には欠かせないことではないのか。
これ、「冗談で書いた」というのふさわしくない?
2009-04-08 お知らせ
_ お知らせ
以下松永暢史に関係あるイベント情報
鏡月の会:4月24日(金)午後7時、阿佐ヶ谷北神明宮参集殿。キリロラ&天才ミュージシャンコンサート、料金3千円。お問い合わせ先、03−3591−7070 info@nuriemaki.com
_ Drama Project 空中スケッチ 第一回公演:5月1〜3日。『見わたすかぎりの青』(作/演出 上野火山)。構成度の高い演出が期待される。ふるさとのなまり懐かし東北弁使用。料金3500円。下落合TACCS1179(地下鉄東西線下落合下車徒歩2分)。お問い合わせ先、volcano2@mac.com並びにV-net教育相談事務所。
_ あなたと健康特別講演会:5月17日(日)午後1時より。帝京平成大学記念ホール(豊島区東池袋2−51−4)講師/東城百合子「台所からいのちを育てる」、松永暢史「頭のよい子は家庭で育てる」。入場無料。お問い合わせ先、03−3417−5051あなたと健康
_ *V-net親子焚火の会は4月26日。お問い合わせはV-netへ。
2009-04-09 運を天に任せるメディア
_ 運を天に任せるメディア
弁護士風の文体での威嚇文書も事務所に送られていることだし、以下「冗談」で書く。
「マスコミはヒド過ぎる!」
これはV-netを訪れた純で人の良い母親が流した真の涙である。
「どうしてコンピューターゲームがこんなにも子どもに害があることを新聞が書かないのか。そりゃ全部書かれていることが本当とは思わないけれども、書かれてないことは問題がないと思ってしまうのは私たち普通の一般人には仕方がない。私たちはマスコミを信じていたのに!」
私の得る最先端臨床データでは、中学卒業時点で、過去にゲームをやり過ぎたことを後悔しない子どもはほとんどいない。彼らは集中するべき時に意識的に集中することができず、記憶するべきものとそうではないものとの判断が不能である状態に苦しむのだ。加熱する塾詰め込み教育はこのことの「補完」であると客観化しても良い。
ゲームが子どものアタマを破壊する可能性が高いことは明らかなことなのである。
私以上にナマの子どもたちに接している岡田尊司氏の著作に一度目を通して欲しい。
氏によれば、解決方法は、まず自分からゲームをやめる決意をすることしかないだそうだ。
「ゲームをやらせろと言って暴れる子どもの姿は、まさに麻薬中毒者と同じです。小さい頃は自然の中で虫を見つけてくるのが得意な子だったのに!」
まだ体験が未然の子どもに対する過度の非現実的な電気情報。アタマがゲームから来る電磁波情報と強く積極的に同調しようとしたことによるショックの「後遺症」のため、対人反応や言語能力が劣化して、コミュニケーション活動や記憶に関する学習が不全になっている状態。これはテレビの見過ぎによっても起こるが、コンピュータゲームの強力さはこれをはるかに上回る。
ゲームによる完全支配。電気情報に対する完全受け身なアタマの状態。
Playstanation!
別に私がここにこう書くからではなく、このままではやがてゲーム会社はことごとく賠償金を突きつけられて倒産の憂き目に遭うことになるのではないか。ちなみに私は総会屋ではない。
ゲームはポルノ同様、全てではないが多くの子どものアタマに悪い。18歳未満には禁止するべきではないのか。子どもにとって、ゲームはパチンコより害がある。社会的体験を充分に経る前に、考えの根本を、ゲームソフトを作成した「知能」に支配されるのだ。しかも、「判断力」が奪われた時、人間がどうするのかは、我々が「不可解なもの」としてしか認識できない、諸処の若者の事件に象徴されるのにも関わらずである。コンピューターゲームをするのは大人になってからにして欲しい。
ゲームの影響を受けない子どももあるから、まさに運を「天に任せる」しかない。ゲーム会社は、ゲームでオカシくなった子どもを回復させる「ゲームソフト」を開発して欲しい。でなければ、子どもに風と波と緑と火を体験させるイベントをどんどん主催して欲しい。
「沈黙は金なり」では、メディアは存在の意味がなかろう。長期的には確実に読者が離れる。
お互いもっと善いご飯の食べ方を考えようではないか。
先輩文筆業諸兄並びにすでに「焚火人」には失礼申し上げた。
以上、いつものように、半ば「冗談」のつもりで書いたが、念のため、「ある病状が必ずしも一つの原因によって発生するとは限らない。また、これは必ずしも全ての人に当てはまることではない。」ということも念頭においてお読みいただきたい。
2009-04-13 休日
_ 寂しくない
私はあまりに寂しがることがないので家人に不思議がられている人間である。
新学期が始まって、早い時間の授業や相談が一段落した。
今日は休日。やりたいことは際限なくある。
でもやや大きなことを考えると時間がない。
たとえば、千葉富里のジョイフル本田に行って、念願のシマトネリコの苗を購入して、ポットに植える。
瓢箪スピーカー作者を呼び寄せて自室にこれを設置する。
焚火もそうだ。
でもそんな時間はない。
てなわけで先ず猫額ガーデニング。
現在通常百花繚乱春爛漫―30種類以上の花が咲き乱れる。
どうして我ながらこうも節操がないのかあきれるが、物事は前に進めるしかない。
ナス、キュウリ、ピーマン。夏野菜の作付けにもすでに余念がない。
午前6時30分起床。朝食ウナリ入浴瞑想。デスクワーク。
午前9時。家人全員外出後、家内清掃。ついでに雑巾がけ。スッキリして気持ちがよい。
同一のプランターで育てていたイタリアンパセリと一般的パセリとジャパニーズミツバが春の気温で「林」のようになってしまったので、昨日一般的パセリ大株を移動させると、イタリアンとジャパニーズの株元に、一般的パセリの可愛いのがたくさん出ているのに気がついたので、これを陽の当たるところに移植。水を充分にやる。点在するクロッカスや名も忘れた植物を適所に移植する。ヒヤシンス、水仙、チューリップに続いてフリージアも咲き始めた。花が好きなのは水なのよ。
三鷹Jマートで、小松菜とオクラと枝豆とミニトマトの種購入。今年はベランダでエダマメで、それができたらビールで乾杯だ。
帰宅後デスク眼前のスナップエンドウを収穫して、帰った家人とエンドウラーメン。ウズラ卵と海苔も入れた。
午後。家人マリンバ中、実家へ。母に、新刊書『子どもがグングン伸びる親の「この習慣」』(三笠書房刊)を渡す。花の話ばかりする。母は、「敷地に水まきしている大和児童館職員に、児童館脇の大和公園の花壇の花にもついでに水を撒いてくれ」と頼んだら、「それは職分外です」
と言われたことに呆れかえっていた。
テッポウユリとカサブランカの大苗をもらって帰宅。皆人不在。
これをまた狭い庭のすみに植えようというのだ。もし国連が私に任せれば、地球上をジャングルにすることをお約束するオーバナコバナ。
播種。
先ず、ウズラさま御用達小松菜5鉢。続いて、オクラ、エダマメ、ミニトマト、バジル。これは人間用。土を掘っているとデカいミミズがいたので池に投げ込むと、ドジョウが出て来て「急襲」。格闘してうねるドジョウの腹が白いのが見えて面白い。
ウズラ小屋砂替え。卵5個収穫。砂洗い。水切り。明日から雨の情報。
最後にまんべんなく水やり。神様仏さま植物さま、どうか見事育ってつかわさいと祈念した。
6時自転車で、医者。「本日終了」。どうせ処方箋だけなのだから明日また来るさ。
自転車屋で、昨日購入した自転車の領収証を受け取る。14年ぶりの新自転車は、27インチ3段変速で、すこぶる調子が良い。最新型の自転車の機能はすごい!事務所下へ行くと、電気が点いていない。そのまま帰宅して、高井戸温泉に出る。ガラガラで最高。充分にストレッチと瞑想をする。
帰って来て(家人無人)これを書く。
以上の間、たえず「構想」を得ようとする。
もう少しなので、今晩夕食後逍遥予定。
高度のアイディアの予感がする。
2009-04-16 イケないワケ
_ イケないワケ
どうしても、「豪速球」を投げられない自分。
もしこれを投げたら当然打者は見送るであろうが、「アンパイア」が何と判断するかは分からない。豪速球にも「コース」はある。以下イケズのイケが首都リーグ復帰を期して「代作」したと思われたい。
南海の「島」の雨はすでに上がったが、なんのためか、「バカ」が好んで住んでいる「都会」では、我らが自然現象の雨を黙殺して、徒に「社会情報」に身をやつす以外に他にすることがないことだろう。
「監督の失敗」。Joker先生は‥…あのね、諸兄コメントによりこの記述は微妙に難しい。私はデスクに採否を決定される「一地方記者」に過ぎない。
以上、「冗談」ではなく、「不良」が書いたものなので、「タイクーデター」同様、審判がメディア諸氏にはあっさり見送ってもらいたい。
なぜ国際会議が妨害されたたか。
これは労働者たちの新たなる「覚醒」である。
「タクシン」は、アジア的「カクシン」の信託統治的タクシーのシンクタンクの「キンタマリーカクシマク」なのではあるまいか。日中の会談が流れて一番ラクになるのはどこか。「ピカ」を「テポ」に変えたメッセージは何か。テポドンの次は、「テンドン」ではないのか。
先生褒めてよ、この記述。精一杯やっているのよ、私なりに。
ここには純な女はいても、ミホのマツバラ、秋のクワハラ、都会のグルグルを癒すカモオンナはいない。都会の人間にとっては、自分が分らなくなっているときしかセクシーではないのだ。なるほどコミュニケーションの充足には手間がかかるわけだ。
浅間山と「セックス」する男がいた。雲がかかると最高である。しかし、山には女性ホルモンがない。仕方がないので、タンハツレバーイチイチタレするが、後味が悪い。
麻生と小沢の実際性交情景についての考察などあれこれ浮かぶが、どちらも極めてオイシくないので「捨象」する。
温帯日本は腐り、熱帯タイでは「発酵」爆発する。
アジアでは中国にかなわない。中国が完全に米国を参考にした政策であるのは言うまでもない。とすると次は何か。
ブログの使命は、真偽がはっきりしない段階にある「事象」や「疑惑」にまで踏み込んで書くことにある。今回のことにひるむことなく、取材を徹底させて今後ますます積極的に報道することを期待している。それこそが読者の信頼を回復する最善の道であるとタクシンする。
以上、イケズのイケでござりんした。
つまらないが、「冗談」で掲載した。
2009-04-17
_ 間奏曲
イケに前回ブログ末尾の真意を正すと、「ヘイ、週間新潮前編集長の詫び状の末尾をパクりました」とのこと。何をやっておるのか。相変わらずバカのイケには性欲的観点を捨象すること、南の島をダイレクトに感受することを厳命して、「サトリ」を開くまで、そのままの滞在を言いわたした。すると、まだ春至らぬ北国のタニから投稿があった。
―本当のことが分ること。それは身震いを伴うことであろう。
自分の子どもで確認した。学校へ通うとアタマが悪くなる。
進学塾へ通うと、人間性が損なわれる。
ではどうしたらよいのか。
それよりもこれはいったいどうした現象であるのか。
その答えは恐ろしい。
世間的なコントロールに自覚的にならないことは危険である。
直勘と主体こそが大切である。
児童文学者であった故太田博也は言った。
「直感と決断と行動が一体化していないものは、人間としての尊厳が木っ端微塵もない。」
児玉に撃たれた元共産党書記長で右翼大物と言われる靖国神社反対の田中清玄は言った。
「右翼も左翼も、突き詰めれば、同じことなんだよ。」
当然のごとく、以上、「冗談」で書いた。
2009-04-21 際
_ 際
出版関係の友人からこう言われた。
「同じような内容の本ばかり出していると、早晩和田秀樹氏同様、読者に飽きられますよ」。
私は答えた。
「それは、これから主張することになる本線の地ならしなのだ。まだ書き出しで、公的な発言権を得られていない際なのだととらえている。」
私には書きたいことが山とある。
しかし出版社はそれを許さず、彼らが「売れ線」と思ったものばかり出版させようとする。
利潤の確保が彼らの目的であるから、それはそれで当然のことだとも思う。オレだってブドウパンのブドウばっかりほじくって食べたことはある。
しかし、思うに、高学歴優秀者は本当に思考が柔軟でない。ドングリやドジョウやイケの他に、コロコロや「坊ちゃん」の「こんにちは」もなければ、一緒にハマって遊ぶことはなかなかさー大変な問題だろう。
だからむしろ、現在の路線が飽きられることの方が正しいのかもしれない。
しかし、私は確認した。世の中にはどうしても活字にならないことがあるのである。私以外の人も全く書かない。
さて世間には「際(きわ)」というものがございます。
昔中国に三つの際がございました。
一番上が、仁徳と気品この上ないが、人にダマされ利用されまくりのトレー際だ。
二番目が、オモロいことを思いついて何とかひときわ上を目指そうというスゲー際だ。
三つ目は、自分が何をやっているのか分らなくなって同じことを繰り返すヒデー際だ。
お後が大変よろしくないようで‥…
いやー読者諸兄姉、毎度このようなものにお目通しをいただいて誠に恐縮です。深く内省して感謝申し上げます。
以上、イケスのイケの「代作」でございました、なんちゃって冗談だってば。
外はザンザン降り。
_ イケのソラ 見つめ過ぎると ソラのソラ (冗兆)
2009-04-24 床逝屋
_ 床逝屋
私には行きつけの床屋さんがあった。私の写真のほとんどは、この人が整髪した直後のものだった。
『子供を伸ばす親はここが違う!』(グラフ社刊)のネタを提供した床屋のご主人は、歳、齢は私よりやや上。二人のお子さんは社会人になって成人したところだ。いつも、共通の趣味、酒と煙草と温泉と家の建築で話は盛り上がった。
二月下旬。京都に行く前に散髪に訪れると、奥さんが、
「主人は入院しました。私には松永さんのアタマは無理とのことです。」
これはてっきりハゲのことだと思った。
私は、京都で気の好い床屋夫婦に髪を刈らせた。
だが、髪は伸びる。
不思議なことに、香典を用意する夢を見た朝、床屋さんに予約の電話を入れると、奥さんが出て、
―実は主人は3月9日に亡くなりました。ガンでした。主人は前もって自分の命のことを知っていました。
と言う。
3月9日は、私はインドネシアに滞在中だった。
―主人は重ねて、「松永さんの横顔は私には無理だから、断ってくれ」と言っていました。
何ということだ!
私は彼が逝ったことを気付かなかったのだ。
付近の店舗で買い物のついでに「取材」。
肺ガンで、手遅れであったとのこと。
爾来私は、床屋に行く気になれない。
二ヶ月の喪が明けたら、いずれどこかの店を探すとしよう。
人は、死んだ瞬間そのままにとどまるところがよい。
いるもいないも、通常他人は、イメージの中にしか連続しない。
私にはまた一人、「一生の友達」が増えた気がする。
_ *
_ お知らせ
_ 以下松永暢史に関係あるイベント情報
鏡月の会:4月24日(金)午後7時、阿佐ヶ谷北神明宮参集殿。キリロラ&天才ミュージシャンコンサート、料金3千円。お問い合わせ先、03−3591−7070 info@nuriemaki.com
_ Drama Project 空中スケッチ 第一回公演:5月1〜3日。『見わたすかぎりの青』(作/演出 上野火山)。構成度の高い演出が期待される。ふるさとのなまり懐かし東北弁使用。料金3500円。下落合TACCS1179(地下鉄東西線下落合下車徒歩2分)。お問い合わせ先、volcano2@mac.com並びにV-net教育相談事務所。
_ 自然育児友の会『ここからミィーティング2009年』:5月9日午前10時30分より『カタカムナ親子音読会』料金2000円。午後はトークショーにも出演予定。詳しくは、http://shizen-ikuji.org/kokokara_mtg/へ
_ あなたと健康特別講演会:5月17日(日)午後1時より。帝京平成大学記念ホール(豊島区東池袋2−51−4)講師/東城百合子「台所からいのちを育てる」、松永暢史「頭のよい子は家庭で育てる」。入場無料。お問い合わせ先、03−3417−5051あなたと健康
2009-04-27 ポスト儒教主義教育
_ ポスト儒教主義教育
「孝行悌順」をその基本要素とする、我が国伝統の儒教主義教育が崩壊したのは、社会に人間的尊敬の対象となりうる大人が少なくなり、同時に子どもたちの世界が少子化したからである。核家族化し、兄弟がいなければ(少なければ)、儒教教育など成り立つわけがないのは明らかである。だいいち女性が強くなってしまった。
簡単に言えば、時代の流れについて来れなくなってしまったということなのであるが、アタマが固い人が割と多いのが今のところ我が国の実勢であるのは、「冗談」に対する不満が意外に多いことからも確認できよう。
次の時代の教育とは何か。それは好奇心と感受性の育成を主体にしたオモロい教育である。勉強や学校などの学びの場をオモロくすればよいのである。しかしこのような提案を直感と決断に欠けた文科省も中教審も東国張ることは絶対にあるまい。「ゆとり教育」とか「総合的学習の時間」とかのコピーは、センスのない高学歴者による大衆向けものである。そして教育は、テレビアニメに負け、ディズニーランドに負け、そしてコンピューターゲームに負けたのである。
システムが時代とともに旧くなるのは仕方がないことである。しかしものの考え方を改めてそれを行動に移すことができないのは、人の上に立つものとしてあまりに愚かと言わざるを得ない。国家全体の部分の利益の保持のために、国家全体を危機に陥れるのであるなら、それは「倫理」にも反しよう。
衆院選が近いようだが、相変わらず経済や福祉のことばかりで、教育のことは全く話題にならない。どうして小学校の校庭で焚火をやらせる教育が始まらないのだ。
晴天に恵まれた親子焚火の会では、お父さんお母さんたちに楽しんでもらっただけではなく、環境さえ設定すれば子どもが勝手にどんどん学ぶことも共通確認できた。それにこの焚火明くる日のスカッとした感じ。誰もが今頃実感しているだろうと思うと密かに私は嬉しい。
子どもたちは、「今度からはまた子どもだけで来たい」と言う。薪割り作業で、最初から上手い男の子に尋ねると、「これは剣道とコツが同じです」と答えたのが妙に印象に残った。先行する何かの体験があってこそ今があるのが男なのである。
もう一つ面白かったのは、v-netに通う男の子たちが、学校で女子にモテることを知ったことだった。サピックスや日能研の広告で真似して欲しい。
「女性にモテる男になります!」。
以上、「通常」通りに書いた。
皆様お疲れさまでした。
2009-04-29 田舎に劣る都会人
_ 田舎に劣る都会人
皆様、時節柄、「薫風に乗って」とか言いますけれども、私ことイケズのイケ、南海の島に出向を命ぜられ、灼熱のアマテラスに照りつかれまして、あたかも乾上がり寸前の池でござりんす。Joker先生は、「大自然と同調しておまえのその都会変態習性をを修正して来い」と笑顔でおっしゃいましたが、何ごともなく、ただ季節だけが移ろい行くこの大自然そのものは、不肖都会の「悪の香」を知った若者にとって何たる退屈きわまることでしょうか。夜は暗くなった頃には皆寝静まっちまって、車で15分のコンビニすらも閉まっちまう。昼間目にするネエちゃんと言えば、「健康フルーツ」そのもの、畏れ多くて手の出しようがない、もし手を出すならば、即「この世行き」、村人に祝福されてこの島に末永くいつくことになっちまうことだろう。これから60年以上もか?「冗談じゃあない!」なんて、なんでこのオレ様が口にしなければならないのだ。先生は、「人生における悲劇とは総体としては喜劇と同じである」とおっしゃられたけれども、それならこちらも言わせてもらいますけれども、「人生における怒りとは、涙が流れていることには勝りません」、ウウッ(ブログでこういう音を伝えようとすると、まるで劇画の音読みたいですな)、アタマのおかしくなった都会の男には、都会の化粧まみれの不健康なバカ娘が必要だ。iポッドやり過ぎでアタマが溶けてアイスクリームみたいに鈍くなっていれば、お互い快楽だけ、なおさら何の責任もなくごく「自然」に楽しめる。ウズラのオスとオンナじよ。Joker先生、読者の皆様、どうかイケズのイケをイカせてイこうとお言い下さいイキなまし、と思いまして以下冗談で「代筆」します。もうこれで最後とわきまえての特攻隊的投稿です。
日経インタビューコラム『領空侵犯』で、ニッセイ基礎研究所経済調査部長の櫨(はじ)浩一さんという人の言説が紹介されている。経済企画庁出身で、07年から現職。専門は日本経済とある。東大院理系修士修了とのこと。
内容は、大学入学者の学力低下を抑えるために、センター試験を、科目選択性をとらず、広く浅く全教科型にするべきだというものである。「センター試験はいずれ、全国統一の高校卒業認定試験に衣替えすべきでしょう。」とも発言する。
私はなぜ教育の現状を知らない人がこの場で意見を求められているのか理解に苦しむ。ここまで来れば当然言及するべきはずのICU型教養入試にも触れない。この人も東大ネットで、次回の衆院選に立候補するのかと勘ぐってしまう。しかし、何かの他の理由がここに必ずある。それは、5面の左上ということからも明らかであろうと思われる。
「聞き手」の横山晋一郎氏は、日経東京社会部教育担当の編集委員で、写真判定はアウツだが、一応努力して教育の実情を追求するジャーナリストの一人である。ちなみに一橋経済学部卒。なんで社会学部でないのか、なんで文3でないのか。なぜそして教育関係担当記者なのか。ともあれこの人が日経の教育関係の記事を最終決定しているのである。下隅にあるコラム内「コラム」の「聞き手から」で書く。
「当初は、高校生の実態や大学入試の現状を承知の上での言説なのか戸惑った。だが話を聞くうちに、全入時代を迎え大学入試が選抜機能を失う中で、高校生や大学生の学力低下を懸念するがゆえの提案だと分った。」
苦しそうである。嫌々仕事でやらされている感じもする。
このコラムは総括すると、「瑣末的な暗記問題になりがちなセンター試験にはどうも害があるらしいから、これを学習到達度の試験に代える方が良い」ということになる。文科省天下り機関のセンター試験事務局が、漢検問題同様には圧力を受けないように注意した発言ともとれる。
政府だけではなく、経済界も、かなり我が国の未来教育についてバカなのに、今さらその自覚がないことを敢えて表明することの真意をはかっても致し方がない。かえって「知性」を自認しがちな日経読者が思いのほかバカ扱いされていることが分って面白いというものだ。
櫨氏は、末尾で、「受験勉強には弊害もありますが、私自身、こんな勉強は何の役に立つんだ、くだらないと思いながら必死に勉強したことが後になって役立っています」と語るが、分別を自己の好奇心に優先させて勉強したものが、現在の地位に就く以外に何の役に立ったのかは知ることはできない。
おまけに欄外の「もう一言」で、「若者にはもう少し勉強してもらわないと日本の将来が心配です」と言う。私はこのような無責任な発言を平気でする資格があると思い込む高学歴者が、文科省同様、我が国を悪くしていると確信するが。