2009-05-07 音読法
_ 音読法
連休中も音読の指導を多くした。
「なぜ音読か?」と問われれば、
「どうして音読ではないのか」とお答えするしかない。
教育一般における究極コアを客観化すれば、自分の考えを文章化する力をつけることになる。
しかしこれは、小中の義務教育課程において、多くの子どもが失ってしまう能力であり、結果的に大学進学時に小論文試験を受ける資格を失うことになる。
また、大学とは自分の興味の対象を研究してそれを論文化することを学びに行くところであるから、文章が書けなければ行っても意味がない。大学院しかりである。
ということは、我が国で学歴を積み重ねるとは、文章を書くことにたずさわった時間が多くなるということであり、事実高級職につく人は、官僚、学者、医者、弁護士といった文章がすらすら書けるようになっているものたちばかりである。
私は誰でも文章が書けるようにすることができる教師であることになっているが、実は文章力は、言葉を話す人全員が身につけることができる能力なのである。多くの人は書けないと思い込んでいるだけであり、実は書かないだけなのである。
この能力が小学生で失われることは実に痛いことだと思う。先に述べた通り、学歴を得たければ、いやそうではなくともこの世の中、まともな世渡りの能力を身につけたければ、そのベースに文章が書けることがあるのは明らかだからだ。だからもし受験というものに勝ち進んで行きたいと望むならば、先ずこの能力の養成こそを先行させるべきなのである。実際私立中学も、最終目的の東大や慶大のような大学も、皆文章が書ける生徒を採ろうとする試験をしていることは読者の目にも明らかなことであろう。
私は、我が国の教育が、暗黙裏に、できるだけ多くの人から書く能力を奪うことを目的にセンター試験「政策」を行っていると指摘し続けて来た。この試験の欠陥は文章力を問えないところである。だからこそ、上級私立大学入試が小論文化したのである。
しかし、自ら文章が書ければ、他者のレトリックを読み取ることは容易いことになる。そして、考えてみれば、学校や塾の授業も、教科書もテキストも参考書も、おまけに一般試験やAO入試も、皆日本語で行われるのであり、日本語さえ良くできれば、つまり日本語が良く読めて書ければ、自分で勉強して受験に勝つことも可能ということになる。
では最良の文章学習術とは何かと言うと、それは実は、我が国古代から現代に至るまでの、もっとも多くの人に音読されてきた名文を、年代順の音読によって躯の中に入れてしまうことをその基本にするというのが私の意見である。
古典名文の身に染み入るような音読。どんな作家もオリジナルの文章なぞもたない。皆それまでに書かれた文章を基にしているのである。そしてそのまた基となる文章は、またそれより前の文章の音やリズムや言葉使いを基にしている。だから結局もっとも多くの人に読まれた可能性のある各時代的な名文を音読することが良いということになる。そして、この上で、ダイアローグと抽象構成作文法でオモロい文章を書く練習を始めれば良いのである。
私はいまのところ、これ以上のメソッドはないと確信する。また子どもたちにとってこれ以上に意味のある教育はないと確信する。
だから、私は音読する。子どもに文章が書けるようになる基を与えるために音読する。私はおそらく日本でもっとも長時間古典文の音読指導をしている教師だろう。音読指導は疲れる。肉体労働とは似て非なる何とも言えない売春婦的な疲れを若くはない男にもたらす。幸い最近私の後に続いて音読指導の専門家を志す人たちが現れているので、やがてこの人たちに役目を代ってもらえるだろうからと、もう一踏ん張りだと言い聞かせて続けている。
私の音読法については、『超音読法』(扶桑社刊/音読CD付き)を参照して欲しい。
また以下で公開指導を行う。興味のある方はご参加下さい。
_ 自然育児友の会『ここからミィーティング2009年』:5月9日午前10時30分より『カタカムナ親子音読会』料金2000円。午後はトークショーにも出演予定。詳しくは、http://shizen-ikuji.org/kokokara_mtg/へ
_ ホビット村/ナワプラサード書店主催『カタカムナ音読会』:6月6日午後1時より。詳しくは、03−3332−1187、またはナワプラサードHPへ。
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_ あなたと健康特別講演会:5月17日(日)午後1時より。帝京平成大学記念ホール(豊島区東池袋2−51−4)講師/東城百合子「台所からいのちを育てる」、松永暢史「頭のよい子は家庭で育てる」。入場無料。お問い合わせ先、03−3417−5051あなたと健康