ブイネット教育相談事務所


2009-06-05 読者御礼

_ 読者御礼

この国の教育政策の欠陥は、対処が遅すぎるのではなくて、抜本的な対処が全くできない状態にあることである。そもそも「不登校」が増え始めた時に、教育の側が大きな方向転換を模索するべきだったのだ。これは、機能不全というよりも「ヴィジョン」の不在を暗示しまいか。結果的に後手対処だけが浮かび上がる。

しかし、これは、近代化以降続いて来たの他の多くの国家政策と同様の現象なのかもしれない。システムが旧くなっただけなのではない。パラダイム(「規範」に近い意)も旧くなったのである。パラダイム全体が崩壊するのか、パラダイムの部分だけが崩壊するのかは興味深いところだが、いずれにせよ、ここを天才的なアイデアで乗り切ることができなければ、我が国の将来的な繁栄は望めないことだろう。

すでに日本の教育の現状を、誠に僭越ながらもやや見極めつつあった私が、『男の子』の本を書く直前、同時に「教育」の抽象化以外で懸命になっていたことが他に一つあった。それはこれから建てる自分の家を最終的にどのような構築物にするかの決定であった。実は、『男の子』の執筆はその傍らだったのである。このことは、今になって振り返ると、『男の子』がベストセラーになることと全く無関係ではなかったと感じられる。その後、半ば本能的に、焚火、個人農園設営と、「自然」と「コンストラクション」に関わる方向性で「趣味」を展開して来たが、かつて建築設計における空間的考察ほど私をとりこにしたものはない。それは書くこと以上に時間が経つのが速いことでも確認された。心から設計屋という職業に就いた人を羨ましく思ったものである。もっとも何ごとも不器用で、しかも場当たり的でいい加減、おまけに物理が苦手だった私にはなろうと思ってもできない部類の職業だったかもしれないが。

『男の子』を書いたから家が建ったのではない。家が建ったら『男の子』が売れたのである。読者出版社おかげさまで、私は危くのことで「火だるま」から免れた。財産相続がない中での不況下住宅ローン。不動産屋に現れた最終銀行マンは、開口一番、「とどのつまり、貴兄のような方へのご融資は、過去に例がないのです。」と口を切った。私はパートナーの前で「博打」を打った。もう銀行は回り飽きた。人生究極、常にするべきことは「勝負!」でしかない。私は未だにクレジットカードをもたない人間である。

「これまでちまちまやって来ましたが、これからは世の中に頭を下げてダイナミックにやらせていただきます。信じていただけないと思いますが、10年で返す所存です。」

どういうわけか、「駿河銀行」ならぬ、三菱東京UFJは折れた。さすが日本最強の銀行である。もっとスゴいのが、担当税理士が「多分通ります」と予め言明したことだ。今よく考えてみると、ある意味で彼らはみな私により多くの経済活動をさせるための「グル」だったのであるが。

私もパートナーも一致したのは、執筆ルームに付設した、私の訪問客を家族と顔を合わせず迎え入れる部屋と、音楽活動用防音ルームを作ることであった。

我ながら無茶苦茶である。予め編集者が多く来ることを「想定」しているのだった。しかし、それは「現実化」した。この、今、私の右下にある部屋で、編集者たちとともに『男の子』は練られ、そして、この机で最終的に完成した。その後も編集会議は私の家でやることが多い。

読者の皆様にこの席を借りて厚く御礼申し上げたい。『男の子』は、27刷累計20万部を大きく越え、なおも今週どうしたわけかアマゾンで全体200位、部門別でトップである。いったい何が起こっているのだろう。どうも男女別教育ブームが起こっているようだ。世は、「肉食女子」、「草食男子」が話題になっている。私は夜散歩し、原点に帰って、タメになるオモロい教育本を作ろうと念じ続けた。ここのところ私の「仕事」はほとんどそれである。そして、私らしくなく、実にそれに苦しんだ。その間の深刻な教育相談はきつかった。精神的に参る。こうなると、どちらが本職か分らない。しかし、どうやらついに目的のものに手が届いたらしい。それを得た感触だ。文学の世界では全くないところで「文学」をやることの面白さを「真面目」に文学をするものたちが知ることはできないだろう。しかし実は永遠のテーマは割と限られるのである。「企業秘密」であるが、次作乞うご期待である。

以上、「冗談」ではなく書いた。