2006-02-01 ストレス無用!
_ 受験前でもストレスを全く感じない者がいる。
彼は中3少年。眠っている時間以外勉強しっぱなしである。
テレビも見ない。マンガも読まない。メールもしない。
おまけに、ここだけの話だが、学校にも行かない。
行っても無駄だという。
14歳まで彼はスポーツと遊びに明け暮れた。
成績は学年ビリ近くであった。
14歳の6月に長年病床にあった父親が他界した。
夏の大会を終えて、彼は本格的に勉強し始めたが、基礎力の不足にその学習は苦難を極めた。
しかし彼はずーっと伸び続けた。
あたかもそれが必然のごとく。
今、彼は言う。
「みんなストレスって言うけれど、僕にはストレスなんてないですよ。僕にとってのストレスは、分からないこと。そしてその解消は分かること。僕にはこの手応えがたまらない。」
市井の大人として、周囲に将来の大物かもしれない若者を知ることは大いなる歓びである。
それにしても、充分に遊んだ少年のパワーには際限がないようだ。
今の私には、これは一種の「貯金」のようなことに思える。
充分に遊び、際限なく勉強する。
私の周囲でストレスがないと断言する者は、この少年のみである。
男女ともに、健全な精神にはストレスがないのである。
2006-02-02 中学受験好調
_ すでに合格の報が飛び交っている。
今年は中学受験好調のようだ。
感謝されて嬉しいが、それは全て生徒とご家庭のご尽力の賜物である。
私は、「教育環境設定」を行っただけである。
子供を壊さずに受験成功する。
これは教育コンサルタントとして最大の目標だ。
SAPPIXもENAも日能研もV-netには叶うまい。
予習シリーズは羊に喰わせた。
ここには、驚くべきことに、受験を積極的に楽しんで行う子供たちがいる。
彼らは勝手に自己中心的に学んでいる。
自分から学びたいことを作って取り組んでいる。
笑顔と笑い声が絶えない。
受験もクソもない。
どこまでも最大限に自分が伸びるかのみである。
ここには、ただ分かることの快感と自己向上があるだけだ。
他に何があるというのだ。
受験なぞ、「オマケ」に過ぎない。
私の生徒で、親に勉強しろと言われている子供はいない。
彼らは勝手に勉強している。
私は「不思議」に思うことを止めようとしている。
本来これがあるべき姿なのだ。
単一の理由を求めることは根本から誤っている。
全ての結果は「要素の集合」から来るのだ。
重層的な非決定。
いかなる場合も、クオリアと偶有性が付いてまわる。
つまり外的な知識習得よりも、内発的な好奇心の連鎖が勝つ。
しかし、この秘伝は、個人対個人の「対向発生」においてしか伝わらない。
高みを渡る快感。
これは性的なエクスタシーとも重なる。
だからこそ、人は最大限の自己向上に無意識に邁進できるのだ。
エロスもロゴスもあったものではない。
限りない自己向上の快感以上の快感は、恋愛と芸術以外には得られない。
子供たちは大人以上に恐ろしい。
彼らは分別抜きにそれを知る。
そして努力するだけの体力と気力がある。
2006-02-03 最強軍団
_ 今年は高校受験生が多い。
その中に、4人のきわめて未来的な女の子たちがいる。
その内訳は、
① 公立中、家族経済苦労人、長刀全国2位
② 公立中、社会生活苦労人、感性鋭敏精神不安定帰国女子
③ 私立女子中、学校生活拒否、料理、芸術、文学、きわめて優秀
④ 私立女子中、超上昇都会志向、アイデンティティ不要超未来型女子モデル
_ ②④は、独自世界構築他者意見ほとんど無視。実に良くしゃべり、実に自分の気に入ったことしかしない。
①②は、忍耐力に優れ、まるでコケ類が増殖する様に確実に発達。
この4者に共通するのは、社会的常識性と自己主体性の折衷了解。
彼女たちは同年齢の男の子たちより2年近く早熟であるが、出し抜かれる社会的無知も共有する。
彼女たちの共通点は、どの親御さんも手を焼いていることであろう。
彼女たちは驚くべきことに「アイデンティティ」を必要としない。
情報過剰な社会において、彼女たちに必要なのは直感あるのみだと言うがごとくである。
私は、この少女たちの無前提の逞しさを大変心強く思う。
右翼のおっさんも左翼のオヤジも彼女たちには叶わない。
彼女らは未来社会の母親となる女たちである。
彼女たちは感受性的に受け入れられないものを簡単にはじき出す。
直感力—彼女たちは宗教も超越してしまっている。
子孫を産めるのは自分たちだけであることを無意識に了解しているのだ。
彼女たちは、人間的に非常に魅力的である。
彼女たちは、全員、学校でその存在の可能性を無視されている。
みんな怖くないの?
私はこれほどのパワフルな存在範疇を他に知らない。
2006-02-04 VISION
_ この世には、ブラックホールならぬ「渦巻」があって、扁平な価値観に囚われたものは、必然的に無意識的にその周囲を回り始める。
自覚的に渦に吸い込まれることはある意味で快感かもしれない。
だが、無自覚的に吸い込まれたものは、意外な後悔を認識することだろう。
もしも知性というものが存在するならば、自覚的にこの渦巻きに近寄らず、自己の達成に向かって泳ぎ切る意思と言い換えることもできよう。
人は囚われる。
そしてその囚われたことを自覚できない。
明かりの消えた室内で、人は選択肢を喪失する。
VISIONを喪失したところに幸福はない。
VISIONとは究極の自己存在確認の前提である。
2006-02-06 生徒からのメール
_ 以下に新社会人の元教え子からのメールを紹介する。
「正論」をやっと手に入れて読ませていただきました。
非常に偏った記事の多い中で、カドの取れた、
まさに“エンターテイメント文業”でした。
それにしても、今まで一部の松永先生を知っている、
もしくは関心がある人にしか伝えられていなかった
思想ともいえる考え方が、「ドラゴン桜」という“流行りモノ”をきっかけに
一般社会に出ることになる、というのは、
なんとも皮肉と感じざるを得ません。
さて、正月にいただいた先生からのご質問、
「先生から学んだことともっと教えて欲しかったこと」ですが、
残念ながら、「“生き方”そのもの、“考え方”そのものをいろいろと学んだ」
ということぐらいで、あまり具体的に思い当たりません。
特に何かを教えてほしかった、ということもありませんでしたし。
これは恐らく、「指導法がアバウトすぎる」という批判に繋がっている点だと
予想されますが、私はむしろこのことを肯定的にとらえています。
なぜなら、せいぜい18、9の若者の「将来やりたいこと」など
そもそもアバウトで、逆に具体的に限定した指導をしてしまう方が
危険だと今になって感じているからです。
たぶん人は、年をとるごとに情報や経験を得ていく過程で、
自分にやれることとやれないこと、やりたいこととそうでないことを知り、
むしろ自動的に選択肢が減っていくものです。
また、社会に出れば -それ以前に社会に出る過程で“選択”を
強いられているわけですが- その社会の都合で不本意な選択を
強要されたりするわけです。
なので、若い人には、なるべく将来何をするにしても通用する
根本的な力を身につけさせてあげて、かつ選択肢も数多く
提示してあげるのがよいと思います。
なんだか“新社会人の悲痛”が漂う文章となってしまいましたが、
説明すれば、感受性の高い若者には理解が得られると思いますが
いかがでしょうか。
受験シーズンが去って少し時間ができたらまたぜひお会いしたいです。
それでは失礼します。
2006-02-08 2/8
_ 読者の皆様、並びに教育相談お申し込みの皆様。誠にありがとうございます。何ぶん、高校大学受験直前で、手短かの応対、お許し願いたいと思います。
自信過剰と言われる向きもありますが、私は、こと教育相談にかけては、まず私以上の提案をできるものはいないと自負しています.
教育に最も大切なことは、「壊さないこと」です。受験結果に囚われ過ぎて、お子様の健全な成長を奪い取ることは、大きな資金を投じてまでやることではありません。
いったいどうして、自己成長を願って勉強することに、「勝ち」も「負け」もあるでしょうか。
子供たちは、「成長」の手応えがあれば、納得します。合格しても、それを当然の結果と受け止めて、驕り高ぶることがありません。また、失敗しても、それを「傷」に感じることはありません。
扁平な価値観を葬り去ったところにこそ、真の子育てがあります。
最近、「先生の相談後、夫婦仲が良くなった」というご感想をときどきいただきますが、このことからもいかに普段受験産業にダマされている人が多いかが分かると思います。
大切なのは、学歴よりも、親となれるしっかりした人間を育てることです。
そして、そのために正しい基礎学問は欠かせません。
さらにそれにつなぐ好奇心と遊びが欠かせません。
2006-02-09 高校受験当日
_ 2月10日午前6時起床。入浴洗面。
午前7時、車で生徒宅へ。
この生徒は、旧暦大晦日に、ミニイヤシロツアーで、受験校合格の「キメ」に現地査察に行った時に、第2志望校の前で、「でもこの学校は第一志望の発表の後だから受けに来ないんですよね。」と言った男子生徒である。昨年6月に父親に先立たれている。
環八は渋滞目前の感じだった。
30分で到着。試験開始まで1時間20分ある。
予定通り近くのロイホで、パンケーキの朝食セット。やつはソーセージの他にベーコンをトッピングで付けた。
ロイホはガラガラだった。私は学生時代に作曲家の友人と朝までこの店で芸術論を戦わせたことを思い出した。
コーヒーを飲みながら、各教科ごとの最終シミュレーション。
10月に受けた模試時点では、偏差値は20近く下回っていたV-net以外の彼の周囲全員が「キチガイ!」と呼ぶ受験である。
試験慣れしていない彼の怖いのは数学だ。数学の相棒は「絶対取らす」と言った。
英語担当者は、「もうキミとは3月まで授業をしないから」と第2回試験はないと予想した。
本当だろうか。こうして私が会場に付いて来たのは絶対に受からせたいからだ。
続いて面接のシミュレーション。これも完璧。
国語の入試問題は過去20年分を3回以上やった。70を切ることはない。ということは、数英で110取れば合格だ。数学が55切らなければ合格する。試験順番は国英数。
しかし最早人力は尽きた。そして、合言葉は「仕事」だ。
「忘れるな。これは自分で自分の馬券を買って自分で走る『勝負』だ。思いっきりやってこい。ブレるな。『仕事』でやって来い!」
「分かっています。」
校門手前で車から降ろす。
追い抜いた彼の横顔は、勝負に入る大人の男のそれだった。
お願いだ!彼を受からせてくれ!
私は珍しく天に祈った。
2006-02-10 合格発表
_ いくら飲んでもなかなか眠くならない。
軀の疲労は極限を超えている。
深夜、生徒の報告をもとに、最低点法で繰り返し合否を占う。
「出題傾向は変わっていた。特に英語は難しくなっていた。しかし数学は、基礎問題をパーフェクトに取って、2次関数も確率も取った。残りの時間で確認をした。国語は、順当に取れたと思う。7割は切っていないと思う。面接は想定内で、相手に『ほう!』と言わせた。」
英語が50を切っても合格する。合格最低点は当然去年を下回る。しかし2次募集のための足切りラインがある。そのラインは175だろう。
過去の経験上、どう見ても合格する生徒たちの報告である。合格する生徒たちは、「どのぐらいできたか」とは言わない。「どこを失点した」と言う。しかし、これまで「奇跡」を数多く実現して来た私でも、怖いものは怖い。寝床に入ってからも計算していると、彼の亡くなったばかりの叔父さんやお父さんが現れる。「資本家」のおばあさまも現れる。しかし最後に、彼のお母さんが微笑む姿が浮かんで来た。このおかげで私は眠りに落ちることができた。
2006-02-13 勝利
_ 午前10時。母親からの連絡で彼の合格を知る。
合格おめでとう。
すぐに学校に報告に行かせたいが、今日は公務員は休日である。
数学と英語の相棒に、「受験終了」のメールを送る。
実は「合格」は、我々の「仕事」ではない。我々は「小出監督」、走り続けたのは彼である。
何と言っても嬉しいのは、彼が私の教育理論の「14歳までは勉強を強制するな」が正しいことを実証してくれたことである。彼は最後まで全く疲れることなく前向きに努力し続けた。むしろ我々教師がそのパワーに引っ張られ続けた。
我々はプロである。生徒に自ら伸びようとする気があるならそれを再現なく伸ばすことができる。
引き続き、次々と第一志望合格の報が入る。
今年は国語得点が安定している。
どの生徒も65を切ることはない。
だが、もう一人志望校合格をまだ果たせない生徒がいる。
私は、受験プロとして、この生徒のために、そして今年以降のあらゆる生徒のためにも、読書が不充分な生徒でも75%以上国語得点させる方法を生み出さなければならない。国語が75あれば、数英の失点をカヴァーして合格させることができる。
漢字と知識問題失点以外で、読解問題で9割以上取る戦術。
どうも開発しつつある手応えがある。
そろそろ学校や予備校に買って欲しいところだ。
臨機応変、油断大敵。
2006-02-14 サピックス
_ 受験のことで手一杯で、社会状況についての記述が手薄になっているが、書きたいことは山とある。
サピックスの進出が目覚ましい。どうやら日能研をしのいだ模様だ。
私は、サピックスの教育を、「鞭打ち教育」と呼ぶ。スパルタではない。そこには愛国心はない。他者愛がない。合格のために、「生徒」を「奴隷化」する。そしてそこには、個人の世間的な願望成就があるだけである。
サピックスの受験数学研究は出題側を上回っている。これは認めよう。彼らはアルゴリスムに関する何かをもつかんでいる。しかし、その教育方法の背後に、「戦死者」が多数出ることは意外と知られていない。
サピックス教育は、できるものを確実にできる様にするが、そうでないものを完全に勉強嫌いにする。主催者の高橋は、鈴木宗男型の恫喝型指導者である。
サピックスの方針は、ただただ多くやらせることに尽きる。アタマより腕力である。しかしこれは、すでに過去の教育方式である。思考の柔軟さについての顧慮がない。
サピックスは国語教育で決定的に劣るTAPを逸脱した時点から、彼らは国語力増強についてのメソッドを持たない。そして、これを軽視する。
このことがかえって、闇雲な努力によって創造力の広がりを抑制する教育に結びついている。
日能研もそうだが、サピックスも、最早賢い親が完全に信頼するところではない。
これは教育コンサルタントの客観的な意見である。
2006-02-15 文科省
_ 「ゆとり教育」の次は、「言葉の力」だってよ。
私は彼らが私の主張の後を追って来るように思われてならない。
もう誰も信じまい。彼らは心から必要だと思ってやっているのではあるまい。
つまらぬ批判から自分たちが本当にやっていることをなんとか隠蔽しようと思っているだけである。
文科省天下り利権組織の代表のセンター試験を止めない文科省は、正しく国民の敵である。
彼らの眼中には自らの既得権益の保全しかない。そこには、国民文化を語る資格が全くない。
人々が、日の丸や君が代で教育できるというのは、まるで名誉革命を求める英国王室のようだ。
しかし最早、我々は、彼らの嘘レトリックを簡単に見抜ける水準にある。
実際彼らはこの20年間何の効果的な対処もできず「事後処理」に走り続けた。
しかも反論能力のない中教審に、無責任な「丸投げ」を行い、お茶を濁して我々の税金を使い続けた。
文科省は、中国共産党の指導部と相似である。
彼らは、成熟しつつある我々国民を未だに「情報操作」できると錯覚しているのだ。
文科省は必然的に自己沈没する代表的な船である。
彼らの「功罪」は、我が国の歴史に永く名を留めることだろう。
今に、元文科省役人を名乗ることは、自己の利潤追求に子供のアタマを壊すことを優先したソニー同様、歴史に名を残す恥となることだろう。そしてそれは最早くつがえることはない。
道路交通省よりも、防衛庁よりも、都市銀行よりも深い反省をして欲しい集団、それが文科省である。
早く一度解散しなさい。君たちには国民にとって存在の意味が限りなくゼロに近い。
君たちはやってはならないことをやり続け過ぎた。自己の優越感に溺れ過ぎた。
他ならぬ我が国の将来を担う教育において、自らの地位保全を国民の文化的発展に優先した。
君たちのするべきことは「切腹」だ。
それができないなら、とっととホームレスになれ。
君たちのやったことは「国家反逆罪」だ。
とどのつまり、君たちは子供たちの健全な発達状態を軽視し続けたのだ。
そんなものは、君たち自身が、公僕としての社会的資格がないことを意味することは周知のことだろう。
自己の過ちを認めないトップには未来がない。