2007-05-26 SEOUL紀行
_ SEOUL紀行ー連載第3回
私が最後に海外へ出たのは、1989年のスペイン&グラン・カナリア並びに、ベルリンの壁崩壊直前の旧社会主義圏東欧旅行だった。この時は、東西両ドイツ、チェコ、ポーランド、ハンガリー、イタリアと二ヶ月に渡って夫婦で回り、社会主義が末期的状態にあることを肌で感じたものだった。帰国直後にベルリンの壁が崩壊した。
そもそも私が家庭教師の仕事をし続けたのは、外国旅行をしながら文章を書く生活のためだった。就職をすればそれができないからであった。
しかし、90年に長女が生まれて、生活に追われ、海外旅行ができなくなったのだった。
そして私は、旅行へ行く代わりに絵画を収集し始めた。そして、その間に、知り合った芸術家たちをモデルにした小説を書き続けたのだった。
95年に長男が生まれると、芸術家たちとの付き合いにも距離を置き、『我が子は最低点法で勝つ』を出版した。その結果、全国からクライアントが訪れるようになり、99年に、駅の近くに教育相談事務所を設けた。これが、V-netの始まりである。
そもそも私は極めて飽きやすいタイプである。好奇心は強いがすぐ飽きてしまう。自我の強い女房と結婚したのも、彼女が私を飽きさせない不動のタイプであったからだと言える。
40歳を前に思った。
―人の人生究極飽きないものは、文学、芸術、旅、そして、オモロい人に出逢うことである。
これだけはいつまでも飽きないことだと思われた。
子どもをもうけて、できなくなったのは旅であった。いや、以上四つの全てに制限がかかった。私は生活のために働き続けた。かろうじて続けたのは小説を書くことと、オモロい人との出逢いを大切にすることであった。
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