ブイネット教育相談事務所


2008-01-20 センター試験

_ センター試験

読者ご存知の通り、私は死刑廃止論者であると同時に、センター試験廃止論者である。

死刑は、民主主権在民の原則に矛盾してしまうから、センター試験は「亡国」を政府が行うという論理矛盾からである。

私は、センター試験というよりもマーク試験に反発しているのかもしれない。どこかそこに人間を審査するには非人間的の感を禁じ得ないからでもある。

実は、統一的な試験とは階層差別することである。しかし、18歳時点のマークシート試験で階層差別化などできるものであろうか。それを信じるのは人としてバカバカしいことである。そしてそれを国家が機械を使って料金をとって行い続けるのはとんでもない愚行である。しかもデータは保存される。

少子化社会において最も大切なことは、減少しつつある人口の中でお互いの存在をより尊重する心を育成することである。それを知識とレトリック読みで差別化して「非活性化」する。これは預けると損をする金融機関に金を預けるのと同様である。予備校がこれに参加するのは、これが遍く儲かる「公共事業」だからである。

ネットでもマスコミでも、センター試験を「既成の事実」として扱い、これを批判する姿勢はほとんど見られなかった。未来国民の家畜的「重量測定」を国家が子どもにしても「オカシイ」と思わないのである。ねえ皆さん、相手は子どもだよ、子どもにこんなバカな試験のために勉強させてどうするの。その間に海外でもほっつき歩いてこさせる方がよっぽどいいじゃあない。これ以上鬱病的未来人を生産し続けてどうするの。

これは牛に牛の骨粒粉を食べさせるのと同様にやってはならないことなのである。機械で人間知性を測定することは間違っていることなのだ。ソクラテスやキリストやブッダやアッラーがセンター試験で高得点するとは思われない。

すでに「利権組織」と化した大学入試事務局は、50万人強の受験生から1万8千円(2教科だと6千円引きだってよ)を集めて90億円近くの収入を得ている。大学会場代も職員費用もほとんどタダ。その他のことと「人件費」に金がかかって、会計は収入と支出が毎年ほぼ同じ。「不正」が行われていないわけがないが、マスコミは書かない。

こういうことが教育の場で行われるのはいかがなものであろうか。この人たちは世代交代される非差別者たちの冷たい怒りを畏れることはないのであろうか。だからこそ、国立大学こそがセンター試験に反対するべきである。しかししないところを見ると、やっぱり独立学校法人化したとかいう国立大学の職員人事は相変わらず「文科省」が握っているのネン。

半世紀前の左翼反乱を恐れるあまり、国民リテラシーを劣化させる政策はもう充分なのではないか。ロシアと中国は今や新興「資本主義国」である。未来ヴィジョンとアイデア不足のエリート多出の現状からすれば、実体験濃く、本を良く読んで、文章発信力があるものを期待する試験に早めに移行するべきであろう。

ちゃはは、それもマークシートや機械採点でやっちゃったりして。

ともあれ、ワセダも立命館入試も全くかなわない、「親方日の丸公営ギャンブル」センター試験であった、

以上当然のごとく、全て冗談で書いた。