ブイネット教育相談事務所


2008-01-24 「先達」

_ 「先達」

満月の日、わずか一日のうちに偶然、お二方の大先達にお会いした。

一人は古典文学上の恩師のT、もう一人は芸術上の恩師のNである。

T師に初めてお逢いしたのが、私が15歳の時で、20歳年長。N師には私が26歳の時で、16歳年長である。双方独身で子孫がない。つまり、世代交代しなかった。しかし両者とも驚くほどの子ども好きである。二人とも、異常に動物好きである。

この二人は、私の人生を決定的に方向付けた。おのおののことについて語れば、有に数冊の本に余る。

T師は、与えられた事象の解析に世の人の数十倍勝っていた。これほど論理的知性に優れる人にかつて私は遭ったことがなかった。そして、天才的な教育者であった。筆者の今日があるのは若き日のこの人の指導の賜物である。

N師は、天才的な芸術家であった。デュシャンよろしく、芸術には面白味がなければ話にならないことを私に伝えたのは、まさにこの人である。「Joker」を生んだのがこの人だと言っても過言ではない。私はいまだかつて、この人を上回る感性を持った人に出逢ったことはない。

そもそも読者ご存知の通り、私はLD=教室では学べないものであり、畢竟、一対一の個人指導でしか学びようがないものであった。

学ぶためには相手が魅力的でなければならないのは恋愛と同じである。滅多にない、どうしても素通りできない、「これ」と思う人物に出逢うのは、まさに千載一遇=あたかも偶然のごとくの必然である。

とてつもない相手に出逢った時に生ずる、心底からの敬服感ほどの快感はない。

さよう、私は精神的には完全にホモセクシュアルである。

オモロイことについて、女が男に勝ることはまずない。

女は愛らしく魅力的であるが、面白くて「病み付き」にはさせない。

美しい女は飽きる。しかしオモロイ男には飽きさせない何かがある。

今T師は、多年を費やした源氏研究の著作整備に余念がない。

一方N師は、長期沈黙後の一斉芸術活動の爆発準備に余念がない。

彼らの「成就」は「必然」と察知した。

長い時を経て、いよいよ時代が彼らに追いついて来たのである。

高度な話に夢中で、T師とは湯豆腐で唇の左側を、N師とは春巻きで唇の右側を火傷してしまった。

時代のはるか先を行って、現実を顧みることのなかったお二人であるが、師らのお仕事の成就

は、私の新著書成功ににも一端保障されていると、勝手に強く元気づけられた幸福な一日であった。「やる気」が出た。

こんな方々が、わざわざ遠方吉祥寺まで尋ねて来て下さるとは、本当に頭が下がることこの上ない。彼らからすれば私は、ただ適当なことを書き散らしている「愚物」にしか過ぎないのに。

目が覚めると、雪がふっていた。

なぜだか感謝の心につつまれた。

自分なんてない。

みな外部存在のおかげである。